大切なのは作ることへの誠実さ。世界で1番売れたゲーム機「PlayStation」のロゴを生み出したクリエイターが思い描くCIの未来とは
誰もが知っている家庭用ゲーム機、PlayStation。鮮やかで立体にも見えるロゴマークを、多くの人が一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。そのロゴを制作したのは当時ソニー株式会社に勤務していた坂本学さん。日本を代表するCIデザインのプロフェッショナルです。コーポレート・アイデンティティ(CI)というブランドや企業の軸となる部分を形にしていくCIデザイン。現在は独立して株式会社アローグラフを立ち上げた坂本さんは、ただデザインするというだけでなく、本当に伝えるべきものは何かを考え、コンサル業にまで幅を広げて「伝えるべきことを伝えるデザイン」にこだわり続けています。今回は坂本さんに、デザインの道へ進んだきっかけからソニーでの活躍、独立後の仕事や将来の展望について伺いました。
多くを知っていきたい。デザインのためにデザイン以外にも意識を向けていた。
デザインやクリエイターの世界に興味を持ったきっかけは何でしょうか。
デザインと絵画の区別がつかないような小さい頃から、なんとなく絵を描くような仕事につくことを考えていました。具体的にデザインの道へ進もうと興味を持ったのは大学に入る前、高校の頃です。まだデザインというものをはっきりわかっておらず、おぼろげながらですが、面白そうだと思っていました。だから実際には本格的に理解してデザインの道に入ったのは大学に進学してからですね。
進学先に美大ではなく筑波大学を選んだのはなぜでしょうか。
筑波大学は総合大学なので芸術を含め多くのコースがあります。総合大学の良さは幅広いジャンル、いろんな学生が集っていることでしょうか。ひとつの世界で閉じ籠ってしまいたくないと考えていました。そこで、デザインや芸術を学びながら心理学や教育学なども学べる筑波大学を選択しました。
美大とは雰囲気も違うと思います。広い大学なのですが、芸術系の学生がいるエリアには体育系の学生もいたので、有名な選手がいる珍しい環境でした。
学生の授業の取り方も人それぞれで、必須の一般教養の単位を取ったら後は、デザイン系の授業に集中する学生もいました。私にとっては面白いカリキュラムなのでいろんなことが吸収できるのはメリットでした。結果として自分に合っていて、いい大学でしたね。
その後、ソニーには新卒で入られたんですか?
学校に企業から実習の案内が来る時期があります。今でいうとインターンに近いものですね。表向きは実習ですが、実際は採用試験のようなもので。募集をかける企業の中で一番早かったのがソニーでした。実はソニーに何がなんでも入ろうという意志はなかったんです。学校で募集がかかったときに、誰も手を挙げなかったので、学校内では誰かと争うこともなく、すんなり参加が決まりました。こういうのは経験が大切と思っていたので、希望者が自分だけというのはちょっと信じられなかったですね。
実際に参加したときの内容は、課題をもらって制作し、プレゼンをするという流れです。そこで縁あって採用してもらえました。
ソニーでキャリアを積み始めた頃の経験をお聞かせいただけますか。
ソニーはユニークな会社で、担当になると新人でもベテランでも責任を持たされます。いい意味で自分の仕事を持つことにスタッフの差分はなく、上層部に対してのプレゼンも、駆け出しのような若手でも自分で説明し、プレゼンします。自分も割と早いうちから担当を受け持つことになりました。
最初、自分はグラフィックデザイナーとして配属されました。当時グラフィックデザインの部門はパッケージデザインなどを扱うグループ、オーディオテープやビデオテープのような商品そのものをデザインするグループと、2つのグループがありました。
自分が配属された年にその2つに加えて、CIデザインのグループができました。企業内でもCIをしっかりやるべきという動きがあり、自分が配属されたのはこのCIグループです。
ソニー時代に学んだCI。入社3年目でPlayStationのロゴの制作という大役を任された
坂本さんがソニーで制作された作品で有名なものといえば、PlayStationのロゴと伺っていますが。
そうです。ちょうど12月3日がPlayStationの発売から25周年でした。
PlayStationは「史上最も売れた家庭用ビデオゲームコンソールブランド」としてギネスに認定されたそうです。商品自体は自分が作ったわけではないですが、今でも市場にそれなりのポジションを持っているものに関われたのはとてもありがたいですね。このロゴを制作したのは入社3年目の頃です。あれから25年間、支持されているんですから。
初期開発チームに師匠といえる人が加わっていました。企画は一時頓挫しかけたのですが、社内で熱意を持っていた人がいて、新しくゲーム機を開発することになり、自分がロゴを担当することになりました。 ロゴを作るCI部門には当時、デザイナーは師匠と自分と新人の3人だけでした。あまりない機会だと思います。ありがたい話ですね。
でも当時の発注書を見ると、デザイン期間は2週間というかなりタイトなスケジュールでした。
PlayStationのロゴは平面ですが平面らしくないところがありますよね。
ちょうどファミリーコンピューターのドット絵の2Dの時代から3Dへと移行し始めた黎明期で、業界が変わっていくタイミングでした。ちょうどゲームのメディアがカートリッジからディスクへ移っていった時期でもあります。他の企業も多く参入し始めて、据え置き型ゲーム機の種類が増えていました。その中で3Dが特徴のPlayStationが開発されたわけです。
ロゴのデザインにかけられる時間は2週間しかなく、その間にものすごい数のスケッチを描きました。ノート1冊を使い尽くすくらいの分量です。案を出してはレビューしてアイデアや意見をもらってブラッシュアップすることの繰り返しです。
通常はこの流れがだいたい1週間なので、期限の2週間ではレビューをもらえるチャンスは2回しかありません。そのため、この時は1日おきにレビューをしていました。そんなハードな現場の中で、最後の最後に出てきたのがあのロゴです。
3Dが特徴のゲーム機ですが、だからといって何かに厚みをつけるようなロゴは安易と感じて、考えたデザインです。ふたつの要素が実像と影のような関係にして作られています。エッシャーのだまし絵的な要素がありますね。2Dなんですが3D的な感覚もある。2つの要素にはイニシャルのPとSを使いました。 大変でしたが案を出すのは楽しかったです。ロゴ担当は一人だけれど、チームでも支えるという体制はよかったです。チームでやるところ、個人でやるところがとても明快だったので、やりやすかったです。
その頃からロゴを作るときに大事にされていることはありますか。
付け足すデザインではなくて、伝えるべきことを明確に考え、要らないものをそいでいくプロセスを大事にしていました。その一方でエンタメなので楽しい感じをどう盛り込むのかも大切にしています。このことは当時もですし、今も大事にしている点です。
ソニー勤務中に北米に派遣されたそうですが、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。
2度行かせてもらいました。1回目は北米に1997年から2000年の3年間。目的はデザイナーとしての幅を広げるためです。もともと海外に拠点はありました。現地でのマーケティングデザインのサポートが主な仕事です。CIもやりましたが、少数精鋭の部隊なので、何でもやりました。例えばウォークマンのベースを使いながら、プロダクトとしてではなく、ライフスタイルブランドとしての売り出しを考えました。ウォークマンの「フリーク」というサブブランドは、見た目を変えることで、ストリートファッションとの親和性をもたせました。音楽を聞くという従来の機能に、ユーザーのライフスタイルを組み込んだ形です。ウォークマンは技術そのものはあまり新しいものではありません。再生機という既存の技術がコンパクトになったことで、新しい価値観やライフスタイルに影響を与えました。そのことがむしろ評価されたのではないかと思います。
2度目は海外拠点の見直しのタイミングに合わせて、ロサンゼルスでのデザイン部門立ち上げが決定し、そのマネジメントとしての赴任です。この赴任前に東京でインタラクションの部分を担当し、ソニー銀行のサイトを担当していました。そこでユーザーエクスペリエンスをどう考えるのかを学び、経験が必要とされたのだと思います。
そして独立へ。あえて好きな会社を飛び出したのは挑戦だった
水も合って、評価もされてきたソニーから独立しようと思ったのはなぜでしょうか。
マネジメントとして北米に赴任した期間は5年と言われていましたが、その後については、何をすべきか出る出ないは関わらずに考える時期でした。北米に行って、外のクリエイターとお仕事をさせていただく機会が多かったのですが、成功するしないはともかく、専門職ならば、その部分できちんと勝負しなければいけないんじゃないかという気持ちが強くなってきたのです。とはいえソニーは、今でも大好きです。ソニー社員ということも大切だったんですが、デザイナーとしての自分を1度試してみたいと、わがままを言わせてもらいました。辞める2年前くらいから上司に相談していました。満を持して、円満に独立することができました。当時の上司とは今でもお付き合いさせてもらっていますね。
実際に独立されてよかったことと悪かったことはなんでしょうか。
悪かったことは正直ないですね。かといって順風満帆というわけではないんですが。おかげさまで社員にも恵まれ、なんとかやっていけていますので、すごくありがたいなと思っています。
良かったことは、ソニー自体は大きな企業なのでプロジェクトの規模も大きくダイナミックな面白さがありましたが、独立してからは規模は小さいかもしれませんが業界としてお付き合いする方が圧倒的に広がりました。これまでお付き合いしてきた電気業界やIT業界の方の他にも、食品会社などさまざまな業界の方々とお仕事できるというのは非常に面白いです。
独立前も独立後も違う面白さを見つけられているというのはいいですね。
そういうことはなかなかないと思うのでありがたいですよね。
自分は超ボジティブ人間で、常に今が最高だと考えています。今日が最高なら明日はもっと最高。なのでいろんなことはあると思うんですが結局自分が選んできたことだと。そう思いたいですね。
常にポジティブでいようとするのは難しいと思うんですがコツはありますか?
自分は以前、割と心配性だったんですね。期待した割に結果が伴わないと、落ちる率も高いじゃないですか。だったら最悪の事態も含めて想像しておけばと、いろいろ考えるんですが、ある時から、考えるのは無駄じゃないかと思うようになりました。どうせなら楽しい方がいいじゃないですか。
ポジティブには楽しむことが必要なんですね。
こういうことを、いろんな人がおっしゃってるので気にかけていたんですが、なかなかこれは難しい。自分もそう考えようと心がけて実践するうちに身についてきたと思います。ポジティブに作っているものには楽しんでいる気持ちがにじみでてきます。お客さまがいるような仕事だと楽しんでやっている仕事はその楽しさが世の中に伝わると思っています。つまらないと思いながら作ったものが受けることは少ないと思うので、自分自身が楽しくやっていくということも大切じゃないかと思います。
実は独立した頃は、仕事が全くなかったということもゼロではありませんでした。働き方改革なんて言われている時代にいまだに徹夜もしていますが、そういうしんどさは、仕事がなかったときに比べれば全然いいと思ってしまうんですよね。
仕事がないときにソニーに戻りたいと思ったことは?
それはなかったです。粋がっているというわけではなくて、自分はソニーに育ててもらったからには、成功して恩返しをしたいと考えていました。中途半端な状態では戻りたくない。もちろん戻ったら戻ったで受け入れてくれるいい会社だと思います。自分の選択としてはなかったです。
本当にだめになったとしても、何でもやれば一人だけならなんとか生きていけるという心持ちはありました。
昨今は、会社員だから安定しているわけじゃない。だから残るも英断、出るも英断なんじゃないでしょうか。単純に選択肢の違いだと思っています。どちらにもリスクがあり、どちらにもチャンスがあるので、自分の選択を信じるしかないです。
ただ誤解を恐れずに言えば、ソニー時代にも社会人として責任を持って行動していたつもりでしたが、その責任の形は、組織に属しているので、明確ではなかったと今は思います。出てみると、すべての責任が自分自身にかかってきますから、意識していたつもりでもまだ甘かったのだと感じています。
最近はどのようなお仕事をされているのでしょうか。
コンサル的な仕事も増えてきています。マーケティングに近い、アウトプットに直接つながっている部分があるので、デザインだけでなく、そういったところ全般でお受けすることもあります。
最近では、とあるカードゲーム系の会社のお仕事がありました。10周年記念のタイミングで海外展開も視野に入れたいとのことで、これまでのイメージが出来上がっているCIを一新したいというお話でした。その仕事はロゴの使用も含めて議論しながら、どうデザインにフィードバックしていくかと進めるので、かなり理想に近いプロジェクトでした。
配属されてから、独立後もCIデザインを続けられたということはやはりお好きだったのでしょうか。
そうですね。長くやってるから得意だというのもあります。CIを変えれば会社がよくなるんじゃないかという一世代前の考えから、最近はブランディングを会社の根の部分から見直さねばならないと風潮が変わってきていると感じます。そういう中でデザインがどう関わっていくのかは新しいチャレンジです。企業の根幹をクライアントと一緒に考えていけるダイナミックさがあります。一応、CIにもセオリーはあるのですが、会社は生き物ですから、そのセオリーから外れることがある。一期一会のお手伝いができるのは面白いところです。
これまで続けてこられたのは信頼を勝ち取るだけのプレゼン力がかなり高いのではないかと感じますが、ご自身ではどのように思われていますか。
ソニー時代、基本的にデザインした人間がプレゼンするのですが、いろいろ事情があって、代わりに私にやってくれと言われたことがありました。そのくらいプレゼンには強いと思います。ただ逆に言うと、そこが自分でもまずいところでもあって、通せることを過信し過ぎてしまってはいけないと思っています。時代は正直を良しとする流れになってきています。マーケットだと利益を考え、10円の価値のものを1,000円で売ることが求められたりしますが、それを通せる力がある時にやってしまっていいのかと考えてしまいますね。
自分の考えとしては、本当に伝えるべき、表現すべきことがあるというところからデザインが始まっているはずなので、そこが正直であれば、通るはずだと。その場合、通せる力は武器になるのですが、そこが抜けたままだとテクニックに頼ることになります。イケてないものを通してはいけないです。 テクニックで言えば、伝えたいことを正しく伝えられたかという部分で、プレゼンの強さとして大切なのは、作ることへの誠実さだと思っています。
CIを通じて思い描くこれからの展望
これからはどのようなお仕事をされたいですか。
デザインは産業の中で大きくなった分野ですから、時代が大きく変わっていくなかで、デザインの立ち位置そのものが変わっていく気がします。自分は、デザインでどのように世の中に貢献できるかを意識しています。長くやってきたので、CIやデザインしか自分はできないというのもありますが。 世の中の課題をデザインの立場から解決していければと思います。これは依頼という形だけでなく、自分から提案し、仕掛けていきたいですね。これからの社会で企業は世の中のためになる活動をしていくことがとても重要と考えています。
日々がんばっているクリエイターにメッセージをお願いします。
多くの仕事がある中、さまざまな人や多様な価値観と出会える仕事はなかなかないと思います。これからもっと感性の時代になると思いますから、クリエイターに求められることは少なくないはずです。この先、AIが増えて世の中の仕事が変わっていくこともあると言われていますが、クリエイターが求められる領域はむしろ増えていくと考えられます。もしクリエイターを選んで、将来を心配しているような人がいたら、大丈夫ですと言いたい。こんなに楽しい仕事はありません。それにこんなに社会に貢献できる仕事もなかなかないので、ぜひ自信を持って突き進んでください。
取材日:2019年12月4日 ライター:久世 薫 スチール:橋本 直貴 ムービー:(撮影)村上 光廣、(編集)遠藤 究