アートディレクターは 技術や創作手法など、幅広く吸収し アニメーション制作に注ぎ込む役割
- Vol.50
- アニメーションディレクター/I.TOON Ltd.主宰 伊藤有壱(Yuichi Ito)氏
『ウォレス&グルーミット』に大きな衝撃を受けた。 だが、みずからクレイを手がけるまでには、 そこから4年の月日を要した。
伊藤さんがクレイアニメに進んだきっかけをつくったのが『ウォレス&グルーミット チーズ・ホリデー』(1989年作品/アードマン・アニメーションズ)であることは、けっこう有名なお話です。
あれは、僕の中にもドカン!と来ましたね。ただ、正確には、むしろ「クレイはやるまい」と決心させてくれた。なにしろ、あの作品にインスパイアされた世界中の若者が、以来、一斉にクレイに取り組み始めましたから(笑)。
衝撃を受けたのに、「やるまい」と決めた。天の邪鬼(あまのじゃく)ですね(笑)。
決して、そっぽを向いたわけではないんですよ(笑)。クレイに関して気になったエッセンスを抽出するのに、つまり自己分析をするのに4年ほど要したということなんです。
そうか、それくらい凄い衝撃だったのですね。
1990年(公開年)と言えば、アニメーションはコンピュータグラフィックス全盛の時代ですからね。そこに、あのアナログ表現は見事なカウンターパンチでした。 僕も、クレイパペットやドールハウスが醸し出す得も言われぬ世界観、そしてシナリオとカメラワークの秀逸さに心を奪われました。
で、4年かけて、やる気になった。
4年後にわいてきたのは、あの素晴らしき妄想のアニメーション化をもくろんだ天才ニック・パーク(監督)青年の未完成の卒業制作を4年もの長きにわたって支援した、アードマン・アニメーションズという制作会社への興味でした。そこで、1994年に英/ブリストルに渡って、単身で創設者の1人であり当時副社長だったピーター・ロードさんにお会いすることができたのです。 ロードさんの言葉はどれも印象深かった中で、特に、「自分の居場所は自分でつくるものだ」が強く心に残ります。今、あらためてその意味を考えさせてくれます。
それは、どんな意味?
自分のクリエイティブを最高のものにするために、道具からはじまって制作環境、仲間、発表していく場所や支持してくれる人々との関係など、すべてが「クリエイション」に通じている・・・なんて解釈をしています。
なるほど、作品を成立させるためのリアリティを伝授してもらえたわけですね。
そう言って、いいでしょう。そんな経験をしつつ1ヵ月ほどの滞在を経て帰国すると、タイミングの良いことに、NHKから「幼児番組の企画をプレゼンテーションしてみないか」と誘いを受けました。
なんて、幸運な展開!
それが、『ニャッキ!』です。 実質この作品で初めてクレイを手にして、以降試行錯誤を繰り返しているわけですが、「クレイは主人公のニャッキだけ」など、自分なりのオリジナリティを見つけてスタートを切れたのが有意義でしたね。
ソウル・バスを知り、「映像の中で、動くグラフィックデザイン」 という活動領域に興味を持つ。 CMの仕事を通して、アニメーションディレクターとなる。
では、ちょっと、伊藤さんの経歴を追ってみたいです。東京藝術大学の美術学部デザイン科を卒業なさって、デザインではなく、映像制作の世界に進んだんですね。
在学中は、なんとなくグラフィックデザインの道に進むつもりでいたんですが、どこか納得できない気持ちもあった。そんな時に、ソウル・バスという、映画のタイトルデザインなどで著名なグラフィックデザイナーの存在を知ります。それで、「映像の中で、動くグラフィックデザイン」という活動領域に興味を持ちました。 また、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』、『ブレード・ランナー』など、最新の技術を駆使して、人の爆発的な創作イメージを映像作品として受け入れていた世代であったことも大きかった。それで、ビジュアルエフェクツの(株)白組に就職しました。 1980年代後半から、アニメーションディレクターとしてCM制作にたずさわるようになりました。
アニメーションディレクターとして、どんなお仕事を?
それはもう、アナログのセルアニメから実写映像との合成やビジュアルエフェクツ、コンピュータグラフィックスを駆使したものまでさまざまです。プロフェッショナルとして映像制作に参加することのおもしろさを、とことん体験できた時期です。
なるほど、ということは、『ウォレス&グルーミット』に出会った1989~90年は、アニメーションディレクターとして、プロフェッショナルとして、バリバリに充実している最中でもあったのですね。
僕があの作品を目にしたのは、1990年の広島国際アニメーションフェスティバルでした。実は、フェスティバルには、僕も『星眼鏡』という自主作品が入選していたのです。同じノミネートに並んだおかけで、一層衝撃は強かった。
『星眼鏡』とは、どんな作品?
35ミリフィルムでつくった、2分22秒の繊細な夜空の星光が主役のアニメーション作品です。映画館のスクリーン用の35ミリフィルムの情報量はハイビジョンをはるかに超えます。プロの現場で培った技術と感覚を忘れないために、まったく個人で、自費でつくりあげたささやかな作品です。
エンターテインメントに、プロフェッショナルとして、 アニメーションディレクターとして力を提供し、 「自分の居場所は自分でつくるものだ」へのアンサーに。
1994年にフリーランスになり、1998年にI.TOON Ltd.を設立。私たちは、『ニャッキ!』や『ピンキーモンキー』をリリースしている会社と、クレイアニメの作家である伊藤有壱さんと認識していますが、ご本人の自覚は?
アニメーションディレクターです。フリーランスになるにあたって、当時、この肩書きを名乗る人がいなかったこともあり、かなり意識して名乗っています。 会社としてはクレイアニメ専門というわけではなく、クレイアニメと非クレイアニメの比率はほぼ50:50となっています。
アニメーションディレクターを名乗ることに、どんな意義を見出しているのですか。
たとえば映像の世界には撮影監督(Director of Photography)が、グラフィックデザインの世界にはアートディレクターが、さまざまな世界にそれぞれのジャンルのディレクターがいますね。僕は、アニメーションの世界にも、技術や創作手法など、幅広く吸収して、それをアニメーション制作に特化して注ぎ込む役割、つまりディレクターという存在がとても重要だと思っています。
ただ絵を描いたり、ストーリーをつくったりするだけでは、成立しない作品もあるということですね。
アニメーションという手法はイメージが純粋に形になるし、そのコントロールもとてもしやすい。ところが一歩間違うと、それこそが欠点にもなりかねません。1コマずつ組み上げるアナログ手法にも、コマ割をコンピュータの計算でおこなうCGにもそれぞれ長所短所があって、目的や観る人の生理にどう訴えるかによって上手に使い分ける必要があります。 プロジェクトによって、シチュエーションによって、一番いいものを考え、提案するアニメーションディレクターの役割は、とても大きいのです。
それらの技量を発揮して、伊藤さんが成し遂げたいことは?
「良質のエンターテインメントを創りたい」――その一言に集約されると思います。僕の中ではそれは、ファインアートも含めて、という意味で使われることの多い言葉です。
エンターテインメントに、プロフェッショナルとして、アニメーションディレクターとして力を提供し、会社としてのアイトゥーンを軌道に乗せる。それが、ピーター・ロードさんからもらった「自分の居場所は自分でつくるものだ」へのアンサーにもなっているようですね。
道なかばですが、そこにつながっていると思います。
では、最後に、このシリーズ恒例です、若いクリエイターたちにエールをお願いします。
僕みたいな、ぜんぜん偉大じゃない者が「厳しい世界ですよ」なんて言っても説得力ないしなあ(笑)・・・。 あえてみんなに贈る言葉があるとしたら――クリエイターは、何をクリエイションするかという自分のテーマを模索するのが第一歩だと思っています。そのためには、自分の内側を見つめることと、自分の生み出したアウトプットを冷静に見つめることの2つが必ず必要になります。若いみなさんには、その双方に、しっかり向き合ってほしいと思うのです。
取材日:2009年4月17日
Profile of 伊藤有壱
1962年東京生まれ。5歳より横浜在住。 1985年に東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。SFXプロダクション、CGプロダクションを経て 1998年I.TOON Ltd.を設立。同取締役代表。 日本アニメーション協会理事 東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻教授 大阪芸術大学キャラクター造形学科客員教授 【アニメーションディレクターとしての主な作品】 •「ニャッキ!」(NHK教育プチプチ・アニメ) •「グラスホッパー物語」(NHKみんなのうた) •ピンキーモンキー(フレンテTVCMシリーズ) •宇多田ヒカル「traveling」PV(クレイパート) •平井堅「キミはともだち」PV •「ファミリーキュキュット」(花王TVCM)シリーズ •クレイアニメソフト「CLAY TOWN」プロデュース •「日テレ営業中」シリーズ •毎日放送「知っとこ!タイトル •ブルブルくん(わかさ生活「ブルーベリーアイ」TVCM) •NHK連続TV小説「純情きらりタイトル •ノラビッツ・ミニッツ(松竹110周年プレミアムアニメーション) ■I.TOON Ltd.: http://www.i-toon.org/