「意味のないものはない」
映画館で昔のアニメ作品を観る機会が増えたと同時に、作品の設定をもっと知りたくなり最近やたらとWikipediaやYouTubeを回遊しています。
それと、同時に関連項目でヒットした内容にも気になりはじめ、さらに回遊が頻度が増えつつあります。
映画館で観てドハマリした「AKIRA」についていろいろ見ていたところ、WikipediaやYouTubeの関連項目に「今敏監督」が出てきたので、今はもっぱら今敏監督の作品に学生以来再び熱中し始めているところです。
今敏監督といえば「パプリカ」「PERFECT BLUE」「千年女優」など、現実と夢(もしくは、もう一人の自分、映画の世界など)が交差する作風が特徴で、緻密でリアルに描いたアニメーション映画を手掛けてきました。
残念ながら2010年に亡くなっており、もう新作を見ることはかないませんが、どの作品も印象深くて見終わった後しばらくは圧倒されて気が抜けてしまいます。
先日、今敏監督が初監督作品の「PERFECT BLUE」について解説している動画を見ていて、その中でちょっと目からウロコになった言葉がありました。
「描かれているものに意味のないものはない」
(一言一句正確には覚えきれず↑は正しいものではないかもしれません。ご了承ください^^;)
あたり前のことなのですが、アニメーションは何もないまっさらな紙(もしくは画面)に登場人物から背景、ちょっとした小物や陰影など、1からすべて描かなくてはいけないので偶然映り込むものはおそらく存在しないはずです。
アニメ制作のことを知らない私もそれくらいはわかっていたのですが、この言葉の後に監督が数々のシーンの解説で
「この映画は見る/見られるの関係が重要なので、姿が映りこむ鏡や窓などのガラスはすべて当時のテレビと同じ3:4の比率にしている」
「主人公と窓などが一緒に映るときは表情を暗くしたり影を入れたりして不安なシーンになるようにしている」
「登場人物の部屋の小物の数や配置については、すべてその人の内面を表している」
など、「そんな細かいところまで?!」と思ってしまうほど、どのシーンも意図的に描かれていることにひたすら驚かされました。
アニメーション映画の奥深さを改めて気付かされましたし、それを作るための設定やストーリー構成、画面設計、そして予算や納期に合わせる…などなど、めちゃくちゃいろいろなことを考えて作らないといけない仕事をしている方に対して尊敬の念を抱かざるを得ません。
解説後ご本人は
「これだけいろいろ設定してるけけど、それに注目しなくてもよくて、映画そのものを楽しんでほしい」
「映画の解釈はいろいろあった方が映画が豊かになっていいと思う」
のようなこともおっしゃっていました。
上映中はつい伏線探しや設定にこだわってやや力みがちに映画を見ていた私に「映画ってもっと自由に見ていいんだよ」と教えてくれたような気もして、ちょっと肩の力が抜けた気がします。
今敏監督の作品も映画館で再上映してほしいなぁ…。