「俳優の教科書」を作る!〜脚本を読み解く力をつけるために〜【前編】
長年お世話になっている俳優養成所の社長M氏と、俳優にとって「教科書」となるような書籍を制作中である。
なぜ「教科書」なのか。
これまでも、人気監督陣による俳優向けワークショップを書籍化したり、
業界での戦略から身体訓練の方法まで、俳優が自分を鍛えるためのメソッドをまとめたり、
役を体現するために名作脚本の読み解き方に焦点を当てたりと、俳優向けの本を編集を担当してきた。
前回の「脚本術か、俳優術か」でお伝えしたように、脚本家は人間ドラマを描くため人間観察を怠らず、
日々、人間の心理の理解に努め、量が質に転換するまで息を吸うように映画や小説など大量のコンテンツを吸収し、
さらに監督やプロデューサーらと延々と打ち合わせながら最終的に完成稿を仕上げる(と様々な脚本家から伺ってきた)。
こうして出来上がる脚本とは、幾度も推敲を重ねて、映像化のために磨き上げられた「作品の設計図」である。
撮影現場では脚本を頼りに、スタッフ全員がコミュニケーションをとるのだ。
しかし。
俳優養成所の社長M氏の話によると、そんな苦労の末に生み出された脚本から
作品の核心を確実につかみ、それを演じられる若い俳優はほんのひと握りだという。
多くの若い俳優志望者は、磨き抜かれたセリフ、ふるまい、ト書きの描写までこの脚本が全体を通して何を言おうとしているかもわからないという。
というわけで、社長のM氏は今日も「なんてことだ!」と頭を抱えている。
また特にこの数年、オーディションで真っ先に落とすのは「良い子から」だという。
語弊がありそうだが、「良い子=素直な子」と仮に定義すると、例えば「お芝居で人を幸せにしたい」といったテンプレの自己PRをする子らしい。
良い子は、脚本に書かれたセリフを「そのまま」受け取ってしまうのだ。
よく考えてみれば、「良い子」も、言葉の裏側を読むことなんて、普段の生活ならきっとできているはずなのだ。
人間は、表と裏を使い分けている。
役割に応じて態度やコミュニケーションを変えるのが通常だ。
会社や学校での顔と、家庭や恋人の前での顔が、同じなわけがない。
しかし、怒鳴り散らすセリフがあれば、「怒っている人」
泣きわめくシーンがあれば「悲しい人」
極端に言えば、そこまでの理解で思考が停止してしまうらしい。
役の捉え方がとても表面的で、その行動をとる人間の内面で何が起きているか、想像することができないそうだ。
ある意味、人を疑わない素敵な子だとも言える。
しかし、よく考えてみれば、わざわざ脚本に、お芝居に、そのような何のクセもない人物が、何の意図もないセリフを喋るわけがないのだ。
社長のM氏は「小学校の国語の教科書にある問いに答えるような力なのかもしれない」という。
そうか、俳優はセンスや雰囲気、容姿とは違う“脚本”という読み慣れないものを読み解くための「教科書」が求められているのかもしれない。
そう思って、「俳優の教科書」という書籍の企画を立案した。
では具体的に、そのような子にどのように脚本を読む訓練を積ませているのか?
主に脚本を読み解く力を鍛えることを目的にした「俳優向けの訓練合宿」が行われていると聞き、
その内容や俳優の様子について、インタビューさせていただくことにした。
後編へ続く