川づくりにメタバースを活用! ゲームエンジンを使った新しいインフラ整備の形
エンターテインメント業界にとどまらず、さまざまな産業分野で活用が進むメタバース技術。今、河川整備といった土木分野での活用の取り組みが始まっています。
国土交通省九州地方整備局では、インフラ分野で全国初となるメタバース・デジタルツインの技術開発に取り組んできました。国土交通省の建設専門官である房前和朋さんは「クリエイターをはじめ多くの人がインフラ整備に関われば、大きなイノベーションにつながる」と期待します。
インフラ分野はクリエイターにとって新たな活躍の場になるのでしょうか。インフラ整備にメタバースをどう活用するのか、今後の展望などもあわせて聞きました。
国土の正確なデジタルデータをメタバースに活用
インフラ分野におけるメタバース活用の背景や経緯をお聞かせください。
日本は国土の正確な計測に力を入れており、世界でも類を見ないほど、細部までデジタル化された測量データを有しています。
しかし、建設業界で用いられるBIM/CIM(※1)という技術とUnreal Engine(アンリアルエンジン)などゲームエンジンとの間で互換性がなかったことや、メタバースやデジタルツインに活用しようという発想に乏しかったことなどから、こうした土木分野のデジタルデータ活用はなかなか進みませんでした。
また、土木分野のデジタルデータをゲームエンジンで使えるデータに変換するプロセスにも課題がありました。例えば、ゲームであれば、実際の1mが1.05mで表現されてもあまり支障がないかもしれませんが、土木分野で活用するには、メタバースの1mが現実でも必ず1mになるように、高い精度で一致させる必要があります。こうしたデータの変換は、技術的に非常にハードルの高いものでした。
そこで私たちは2018年6月、九州技術事務所にVR研究室を設置して、ゲームエンジンの利活用のため、技術開発を進めてきました。2021年には、土木分野のデジタルデータをゲームエンジン上で使用できるデータへ半自動的に変換する技術を開発。これにより、国土に関するデジタルデータをメタバースに活用できるようになったのです。
(※1) 計画、調査、設計段階から3次元モデルを導入することにより、その後の施工、維持管理の各段階においても3次元モデルを連携・発展させて事業全体にわたる関係者間の情報共有を容易にし、一連の建設生産・管理システムの効率化・高度化を図る取り組み。
なぜメタバースに着目されたのでしょうか。
もともと日本の建設分野は、諸外国に比べて3次元技術の活用に後れを取っているといわれており、「このままだと日本はインフラ分野の3次元活用が立ち遅れてしまう」という声を耳にしていました。
それならば「私たちが日本発の新たな3次元技術をつくって広めていこう」と思ったのがきっかけです。他国に遅れている現状が悔しかったので、見返したかったのかもしれませんね。
日本の土木分野のDX化が思うように進んでいないという憂慮があったのですね。
はい。数人で始めたプロジェクトは徐々に仲間が増え、多くの方のご協力をいただきながら、2021年7月にはゲームエンジンが河川CIMの標準化案に推薦されるまでになりました。ゲームエンジンを使った3次元技術が、いよいよ実際のインフラ整備に導入される。そのお膳立てが整ったというわけです。
同年12月には、山国川「かわまちづくり」(福岡県吉富町)において、全国で初めてメタバースを使った住民説明会を開催しました。
インフラ分野でも完成前の“お試し”が可能に
住民説明会にメタバースを使うと、どういったメリットがあるのですか?
従来の説明会では、デジタルデータから模型やパース(※2)といったアナログなツールをつくって説明をします。変更があれば、再度パースを描き直すといった作業が発生するうえ、合意形成後は模型やパースから再び3次元の設計を起こすため、デジタルとアナログの変換が繰り返されます。時間もコストもかさみ、効率がよくありません。
メタバースを使えば、現実世界を再現しながら、さまざまなデザインを瞬時に切り替えられ、時間や天候、季節も自由に設定できます。住民はVRゴーグルで仮想世界を歩き回り、自由な位置から完成イメージを体験できるため、説明会を通じた合意形成がスムーズに進みやすくなるというわけです。
例えば、河川敷にドッグランを整備するのに「日陰が欲しいので、橋の下はどうか」という意見が出たとします。設計通りに日陰ができているかどうかは、パースや模型では表現しにくいのですが、ゲームエンジンであれば、お盆の一番暑い時期の正午の日陰を再現することも、その場ですぐにできてしまいます。
(※2) 建物などを立体的に表現した完成予想図。
日用品のサンプルを試してみるように、インフラ分野でもいわば完成前の“お試し”ができると。
そうですね。あらゆる条件を即座に再現した仮想世界で、施工前に完成後の状態を体験できることが大きなポイントです。体験から生まれた具体的な要望を現実に反映させれば、より住民の気持ちに沿ったインフラ整備が可能になります。
山国川の説明会でもまだ実現していませんが、いずれは、ヘッドセットを使って遠方からオンラインで会議に参加し、仮想世界の中でのディスカッションも可能になるのではないでしょうか。
仮想世界を現実に「コピー・アンド・ペースト」する新しい手法
メタバースを使えば、他にどういった検証ができるのですか?
山国川での事例をいくつかご紹介しましょう。
住民から要望があった桜並木の整備について。山国川は堤防が小さいため、桜を植えるには、堤防を拡幅(かくふく)する必要があります。ただ言葉で拡幅といわれても、イメージが湧きませんよね。
そこでメタバース上の仮想世界で桜を植えた堤防を再現し、満開の桜並木の堤防を歩いてもらいました。拡幅の仕方や桜の間隔など、図面やパースではわかりにくい完成イメージを、整備前に確認できるのです。
また、子どもたちが遊ぶ水路の安全性も、整備前に仮想世界で体験することで、水深や飛び石の間隔などを直感的に理解して確認できます。ほかにも階段のデザインや、オートキャンプ場でのトイレの導線、河川内の植樹による日陰の様子など、あらゆる要素を瞬時に作り替えながらリアルタイムに検討ができます。
体験しながら確認できると、非常にわかりやすいですね。
まさに、仮想世界で理想の川をつくって、それを現実に上書きする新しい手法が開発されたといえますね。以前であれば、現地を測量して、図面を引いて、モノをつくってという工程を踏んでいたものが、これからは現実世界と仮想世界をコピー・アンド・ペーストするような進め方で整備ができるようになります。
私たちは、全自動や半自動の建設重機の開発も行っており、こうした機械などにデータを送り込むことで、理想の川の施工が自動的にできるようになるでしょう。メタバースの活用によって、仮想世界につくった理想の箱庭を現実世界に移すことが可能になったのです。
国土交通省や建設業界は、もともと国土の正確なデータを大量に保有していますし、足りない部分も一般的な測量技術を活用した3Dモデルで補えるため、安価に運用できるのもメリットですね。
デザイナーが川をつくる時代になる
エンジニアの確保や育成はどのように行っているのですか?
BIM/CIMでは、建設業界内で技術者を育てるところからスタートしなければならず、習熟するまでには5年から10年もかかります。つまり、技術者の確保にものすごく時間がかかるのです。
一方で、ゲームエンジンをつかえるクリエイターはいまやゲーム業界のみならず、航空業界や自動車業界など、さまざまな分野に技術者がいるため、人材の流動性が高い。他分野からインフラ分野に来ていただくことはもちろんですが、それだけでなく、インフラ分野でゲームエンジンの技術を学べば、他の分野にも挑戦できます。
少子高齢化により、技術者の育成が社会課題になっていますが、人材の流動性の高い技術は社会的にも非常に有望だと考えています。
クリエイターにとっても新たな活躍の場が広がりますね。
実は、「今後はデザイナーが川をつくる時代になるかもしれない」とさえ思っています。
以前であれば、ゲームエンジン上でデジタル化された測量データを正しく運用するには、土木技術の専門的な知識が必要でした。しかし、私たちの開発した新しい技術がその壁を取り払い、クリエイターや住民がメタバースを活用して河川事業に参加できるようになったのです。今まさに、より良いインフラ整備につながる仕組みが構築されつつあると感じています。
今後、土木業界にも多くのクリエイターの皆さんが参加してくださればうれしいですね。
開発したメタバース技術を無償で公開
現状での課題や注力していることを教えてください。
インフラ分野のメタバースの活用は、まだ一部の組織のみでしか技術を有していないことが課題です。そのため、九州地方整備局では、ゲームエンジンを用いたメタバース技術を無償で公開しました。
マニュアルや解説動画のほか、データのコンバート方法やデジタルツインの設定方法といった各種プログラムを提供したり、講演会を実施したり、積極的に普及促進を図っています。
昨今、国土交通省が推進する国土のオープンデータ化により、インターネットからダウンロードした国土のデータを利用できる環境が整ってきました。ゲームエンジンはインフラ分野で使う場合に限り無料のため、私たちが開発した技術を使えば、誰でも国土を正確に表現した仮想空間がつくれるのです。
これだけの技術を無償で公開されているのには驚きました。
私たちだけが賢くなっても、社会に対して何の利益にもなりませんので(笑)。公開されたデータを活用すれば、多くの人がインフラ整備に関われるようになります。多くの方がこの技術を使って、社会がより良い方向に向かうことを願っています。
それにより、私たちが考えもつかなかったような、すばらしいアイデアが次々と生まれてくることを期待してやみません。さまざまなデータが可視化されて共有されれば、きっと大きなイノベーションが生まれるのではないでしょうか。
取材日:2022年11月8日(オンライン取材) ライター:小泉 真治