職種その他2022.02.22

世界的に活躍するパフォーマンス集団が好きな場所で働く新しいスタイルへ

広島
合同会社白A President
Ryosuke Sato
佐藤 良介

プロジェクションマッピング、ARなどのテクノロジーを駆使するパフォーマンス集団「白A(シロエー)」。テクノサウンドと融合させた今までにないエンターテインメントを創り出し、アメリカの国民的オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」でアジア人初のゴールデンブザー賞を獲得した。そんな世界的に活躍する集団のPresidentである佐藤良介(さとう りょうすけ)さんに、これまでの活躍と、コロナ禍での挑戦、さらに将来に向けての戦略を伺いました。

なんでもかんでも面白そうだったらまずやってみよう

合同会社を起業されるまでのキャリアを教えてください。

元々僕たちチームは宮城出身で、高校の同級生6人で結成しました。通っていたのは、特別な学科ではなく普通科の高校。けれどメンバーのうち2人はお笑いコンビを組んでいたくらい面白い人たちで。中学生のときから結成していたみたいなんですが、高校生からコントや漫才の芝居を磨くため演劇部に入部していたんです。高校卒業後、演劇部の顧問が劇団を立ち上げました。僕自身は野球部に入っていて演劇部ではなかったんですが、僕の担任の先生が立ち上げたし、仲のいい友たちが加入するのもあって、その劇団に軽い気持ちで入ってみたんです。そして劇団の男メンバーだけでグループを組んだのが、白Aの始まりですね。最初は仙台市内のコンサートホールを借りて、お笑い中心のライブをしていました。1〜2年くらい活動した後、2002年に、そのメンバー全員で劇団を脱退。そこから白Aの活動は本格的にスタートしました。

活動を始めてみていかがでしたか?

白Aを始めたときはまだ全然収入がなかったですね。大学を卒業した後、全員まず企業に就職していました。僕の場合は、6年間くらいサラリーマンをしていたんですよ。グループ活動資金を月謝みたいに皆で出し合ってライブハウスで公演をしたり、コンテストに出場したり。その頃、東北放送で15分間の「SIRO-A TV」という番組枠をもらえて。けれど番組の企画・構成・出演・映像編集をすべて自分たちでしていたので、本当にしんどかったですね。本職の仕事も休みがちでお金がない。映像編集を学んだことがないから難しくて時間が足りない。でもそのうちだんだんと知識もついてきて、僕が映像編集担当になったり、メンバー内で役割分担ができたりして少しずつ作業はスムーズになっていきました。大変だったけれど、このときの経験が今の活動の軸になっているんですよ。プロジェクターを買ったのもこの時期。僕たち、なんでもかんでも面白そうだったらまずやってみようというスタンスなんです。小さなチャレンジが今の活動に繋がっていますね。

言葉の壁がないパフォーマンスは子どもから大人までウケがよかった

海外公演はいつ頃から始めたのですか?

大きなきっかけは、アミューズ主催の『東京劇団フェス’08』に出場したことですね。おかげさまで少しずつグループの認知度が上がってきて、コンテストに東北地区の代表として他薦でエントリーされました。大会に出場する他の団体が披露するのは、お芝居が中心です。でも僕たちだけプロジェクターとレーザーをバンバン使ってコントはするし、映像は使うし。白Aだけかなり浮いていたと思います。イベント終了後にアミューズから電話がかかってきました。業務提携を2〜3年結び、2011年頃から正式にアミューズ所属のアーティストになったんです。アミューズに所属してからは、事務所の戦略として僕たちがやってきたパフォーマンスをブラッシュアップすることに。プロジェクターを使ったプロジェクションマッピングや、ダンスが引き立ちましたね。僕たちのパフォーマンスは目で見れば誰にでも面白さが伝わる演目だったので所属後すぐに海外へ。僕たちにとってありがたいことでした。

海外公演はいかがでしたか?

言葉の壁がないパフォーマンスだったので、どの国で公演をしても、子どもから大人までウケがよかったのがうれしかったです。とても楽しかったですよ。でも一番辛かったのは、2週間まともに食事ができなかったとき。一日一都市ずつデンマークの各所で公演をしたことがあったんです。公演が終わったら次の日はまた別の都市で本番がある。2週間休みなしでした。ライブが終わって片付けを済ませた午後10時頃、会場を出ると周辺の店はすでに営業が終了していて、当時はコンビニエンスストアのような店もない。食事できないまま次の都市へ行き、朝から会場に入って準備スタート。2週間で10キロ痩せてしまいましたね。

いつから独立しようと思ったのですか?

考え始めたのは、2015年にアメリカのオーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」でゴールデンブザー賞を獲得した後。海外で活動したいメンバーと国内に家族や恋人がいるメンバーは日本で活動したいとチームの方向性が2つに分かれました。これではチーム解散の危機だと思い、メンバーとよく話し合うことにしたんです。解決策として、日本にいながら外国人に向けたパフォーマンスをしようと。インバウンド需要を狙うため、2017年8年に浅草でショーを始めました。この頃、僕らも大人として活動の方向性を自分たちで決めたのなら独立する必要があると感じ、10年間お世話になったアミューズを抜け、2019年に独立を決心。合同会社白Aを設立しました。

メンバーがバラバラの場所にいることで活動の幅が広がる

独立してからの活動はいかがですか?

2019年に独立したときは、稽古場がある横浜を拠点にしていました。けれど2020年に新型コロナウイルスが流行。そのためインバウンド需要狙いを、一度思い切って辞めようと決めたんです。東京で1〜2年はライブ開催が難しいと予想し、ならば狙いは地方だと。宮城出身のメンバーが多いのですが、全員で宮城に行ってもチームの活動の幅は広がっていかない。だから僕は妻の出身地である広島に行くことにしました。広島でビジネスを広げようと、わりと軽いノリで来たんですよ。仕事のやり方は昔の時代とは異なり、今はインターネットがありますし、テレビ電話をすればどこにいても話し合いができる。必要なときにだけメンバーが集まればいい。好きな場所に住もうと、沖縄に行った人もいます。白Aはメンバー全員が年齢や性別が関係なくフラットな関係。そうなるといろいろな意見やアイデアが出てきて、新しいものが生まれる。何年間も仲が悪かったのに、また高校生の頃に戻ったみたいに今は仲がいい。パフォーマンスにもいい影響が出ていると感じています。

この先、チームの活動をどうしていきたいですか?

2020年3月からオンライン配信を始めました。新型コロナウイルスが流行しているからといって活動は止めません。どう収益を得るか話し合いながら上手に活動していきたいですね。メンバーがバラバラの場所にいることで、活動の幅が広がっているんですよ。事業所が全国にたくさんあるような感じです。その場所その場所で、メンバーそれぞれが新しい仕事を作っていく。必要なときにだけ集まって活動していくスタイルが今はいいと思っています。

広島ではどんなことに挑戦したいですか?

広島ではインバウンド向けのコンテンツを今から作ろうと思っています。広島の街は外国人が遊びに来ても日帰りし、宿泊してくれないのが悩み。滞在時間を長くするため、広島市内に3〜4つインバウンド向けのショーコンテンツを用意しようと構想中です。僕らのテクノロジーであるプロジェクションマッピングを使った「ハイパー神楽」みたいなものや、広島の武将隊と一緒に披露するショー、バーレスクとコラボレーションしたいなと思っています。

取材日:2021年12月28日 ライター:宮川 佳子

合同会社白A

  • 代表者名:佐藤 良介
  • 設立年月:2019年4月
  • 事業内容:パフォーマンス事業、クリエイティブ事業、GYMNASTICS事業
  • 所在地:〒736-0082 広島県広島市安芸区船越南3-24-10-101
  • URL:https://www.siro-a.com
  • お問い合わせ先:上記サイト「お問い合わせ」フォームより

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP