映像ではなく“熱”を撮る。人気番組を手がけるディレクターの仕事への向き合い方
「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」「PS純金」などの人気番組にディレクターとして長年携わり、2024年に独立してからは活躍のフィールドをさらに広げる愛知の株式会社8PEACEの代表・八津川 真帆(やつかわ まほ)さん。29歳でテレビ業界に入ったいきさつやテレビ番組ディレクターの醍醐味、仕事への向き合い方、クリエイターへのメッセージなどを話していただきました。
食品会社の内定を蹴って自分らしい生き方を模索
学生時代はどんな夢を描いておられましたか?
1人で過ごすよりも誰かと一緒にいるのが好きで、子どもも好きだったので小学校の先生になるのが夢でした。しかし大学で教職課程には進まず、就活をして食品会社の内定をいただきました。
ところが、卒業間際になってこのまま社会人になることに違和感を覚え、内定を辞退してしまったんです。いろいろなことにチャレンジして“本当にやりたいこと”を見つけたいと考えました。
就職せずに卒業し、どのように過ごされたのでしょうか?
それが……自分が何をしたいのかを模索しようとする矢先に子どもができたことがわかって、結婚することに。とにかくお金を稼ぐ必要があったのでいくつかの職を経て、建築部材企業の営業になりました。
建築の知識はまったくなかったのではじめは大変でしたが、元々器用だったことも手伝って、しだいに営業成績をあげられるようになりました。しかし27歳で離婚することになり、それを機に「自分は何をしたいのか?」にもう一度向き合うことになったんです。
「テレビが大好き!」という思いに気づく。居酒屋での転機でテレビ業界へ
そうだったのですね。どんな答えが出たのでしょうか?
自分の人生を振り返ってみて、テレビが好きなことに気づきました。子どもの頃からバラエティ番組が大好きでしたし、家族が揃ってテレビを見る団欒の時間や、人気番組の翌日、学校内がその話で持ち切りになる世界観がすごく好きだったんです。「テレビ番組を作る人になりたい!」と強烈に思いました。
テレビ業界に入ったいきさつは?
業界に入れたのは偶然でした。当時よく行く居酒屋があったのですが、その女将さんに「テレビの世界で活躍したい!」という話をしていたところ、たまたま制作会社の社長さんがいて「じゃあ、うちの面接受けてみる?」と誘ってくれたんです。翌日に面接し、テレビ業界に入ることができました。憧れていたバラエティ番組の制作スタッフとして中京テレビに常駐することになりました。
名古屋の人気番組に携わり、半年でADからディレクターに。ハードな日々を乗り越え
どんな番組に携われたのでしょうか?
テレビ業界で最初に携わることになったのが、中京テレビの「PS」という人気番組。AD(アシスタントディレクター)として制作の現場に飛び込みました。そこで成長と挫折の両方を経験しましたね。
いろいろあったのですね。
すでに30手前だったので活躍している同世代の方もいて、焦りはありました。でも一心不乱に食らいついて、リサーチや取材のアポ取りなどに自発的に取り組んだことで約半年でADからディレクターに昇格しました。
その後も「PS」「PS三世」「PS純金」に10年以上PSに携わり、「オモウマい店」の立ち上げからチーフディレクターになりました。独立を機にチーフから外れましたが、今もアドバイザーのような立ち位置で番組制作のお手伝いをしています。
入社半年でディレクターに昇格ということで、すごく順調に見えますが。
ディレクターになって5年ほどは「お前はつまらないから辞めたほうがいいよ」と言われるなど、なかなかハードな状況でした。同世代にすごく優秀なスター社員が2人いて、少なからず劣等感も感じていました。その時はすごく落ち込んでいたのですが、24時間テレビのある企画がきっかけで意識が大きく変わったんです。
仕事への意識が大きく変わった車椅子ダンサーとの出会い
どのように変わったか、ぜひ教えてください。
車椅子のダンサーさんに出演依頼をして、1カ月ほどかけてなんとか承諾を得ることができました。24時間テレビの1日目でダンサーさんの紹介VTRを流し、2日目にステージパフォーマンスをしていただく段取りになっていたのですが、反響が想像以上に大きく、車椅子というハンデを感じさせない彼のファンになった人々がパフォーマンス会場に駆けつけてくれたんです。
無名だったダンサーが1日にしてスターになる様子を間近で見て「テレビディレクターの仕事は誰かの人生を変えてしまうこともあるんだ」という気持ちになり、取材に臨む心構えが変化したように思います。常に手を抜かず、取材対象者の人生を背負うくらいの気持ちで真剣に向き合うようになりました。
人間の“素”の部分を引き出して、視聴者に送りたい
テレビ番組のディレクターとして心がけておられることは?
「映像を撮る」のではなく「熱を撮る」ことを大事にしています。人間って“素”の部分がいちばんおもしろいと思っているので、いかに素を出してもらえるかを意識しますね。
「PS」で隣接するライバル市町村がバトルするという人気企画があったのですが、慣れないカメラを前にとりつくろった地元の方に「隣町の人がこんなこと(陰口を)言っていましたよ」と言うと急にスイッチが入って饒舌に語りだすんです。地元への愛着が特に強い愛知県民の気質もあると思いますが、熱を帯びたトークには人を惹きつける魅力があります。
企画の芽を、大きく育てるのが得意。社名に込めた思いとは
独立への思いはずっとあったのでしょうか?
所属していたのが小さな制作会社なので「いずれは独立」という思いはあったのですが、自分の中で次のステップに進んで新たなチャレンジをしてみたいと感じたのが直接のきっかけです。独立してからは中京テレビ以外の仕事にも携わるようになり、フィールドが広がりました。
会社名「8PEACE」の由来を教えてください。
8とピースサインを組み合わせると、私の苗字「八津川」の82になるので「8PEACE」という社名にしました。
また、家族や友達とテレビを見る時間って、とても平和じゃないですか。私が作った番組を観た人々が平和になるといいなという気持ちも込めています。
御社の強みや特長は?
小さな企画の芽を、大きく育てるのが得意で、それが強みなのかなと思います。1を100にする力があると自負しています。
また、テレビ番組は1人では作れません。カメラマンや音声さん、取材対象者、タレント、構成作家などなど、たくさんの方に手伝ってもらって番組が成立します。ディレクターには「助けたい」って思わせる能力が必須なのですが、それは持っているかなと思います。
テレビに関わる若手輩出へ。原動力になる「熱中できる芯」を見つけて
今後の展望を教えてください。
現在はディレクター私1人の会社ですが、これから人材を増やしていく予定です。「テレビ番組制作って楽しい!」と思ってもらえる若手をどんどん輩出していくのが今後の目標です。
また、テレビ業界は東京が中心なので「名古屋では何もできない」と考えるテレビマンがけっこういるのが現状です。でも、中部圏には食文化をはじめまだまだ発掘していない隠れた魅力がたくさんあると考えています。生まれ育った愛知を中心に、今後もテレビマンとして活動していきたいと思っています。
最後に、世の中のクリエイターにメッセージをお願いします。
テレビ番組のディレクターって、すごく魅力的な職業だと思います。テレビ局の名刺があれば企業の社長や芸能人、スポーツ選手など普通では出会えない人にも会えますし、普段は行けない場所に入ることができたりします。番組のリサーチで全国を巡り、おいしい食べ物も食べられます。その中で自分が「おもしろい!」と感じたものを、公共の電波にのせて発信できるすごい仕事だと思っています。
しかし、最近はテレビ番組の担い手になりたい若者が減っているようです。ぜひ私のようにテレビ業界に飛び込んで、おもしろい仕事に挑みながらたくさん笑ってほしいなと思います。
また、私の場合はそれが“人間の素”だったように、クリエイターとして何か一つでもいいので熱中できる芯になるようなものを見つけてください。それが創作の原動力になると思いますよ。
取材日:2024年11月1日
株式会社8PEACE
- 代表者名:八津川 真帆
- 設立年月:2024年4月
- 資本金:100万円
- 事業内容:テレビ番組制作
- 所在地:〒452-0907 愛知県清須市鍋片2丁目177-2
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