地域の魅力や課題、社会に浮かび上がる問題をすくい上げ演出し、新たなイノベーションを起こす
お笑い芸人のキングコング、西野亮廣を主演に抜擢し、注目を集めた映画『デンサン』。衰退し続ける伝統産業の再生をテーマにした本作品を制作したのは、富山県高岡市で映像制作を手掛ける『大仏兄弟株式会社』代表・金森正晃さんです。金森さんは、自ら育った“ものづくり”のまち高岡を舞台に、伝統産業が抱える課題と新たな可能性を描きだし、地元の人々に新たな意欲を与えるとともに、海外へ日本文化を発信するきっかけにもなりました。新たな可能性に挑み続ける金森さんの事業方針や今後の展開について伺いました。
地元の“ものづくり”の力を再生したい
会社を立ち上げるまでのご経歴を教えてください。
昭和55年、高岡生まれです。父親が銀行員で転勤があり、小学1年から5年までは北海道と東京に住んでいました。この経験が、地域にいながら外の感覚を掴むという今の自分に繋がっていると思っています。高校生の時、オールナイトニッポンなどのラジオ放送を聴いてラジオが大好きになり、絶対にラジオの仕事をやりたいと思ってメディア系の大学へ進学しました。卒業後は東京の制作会社に就職し、ラジオ制作の仕事を始めたのですが、報酬が想像以上に低いことに困り、1年位で退社して高岡へ戻ってきました。
戻られてすぐ映像の仕事をされたのですか。
最初は音響スタジオに入社しテレビの音効の仕事をしました。音楽が好きだったので、音に関わる仕事をしたかったからです。そこに勤めているうちに、テレビ局の人と仕事する機会が増え、テレビの仕事もおもしろいと感じ始めました。そうこうするうちに、地元テレビ局の中途募集があり面接を受けたら、春から来てくださいということになったのです。
テレビ局ではどんな仕事をされましたか。
情報番組やスポーツ中継などいろいろな仕事をさせてもらい、ディレクターもカメラマンもやりました。10年位の間に、ローカル局で経験することは大体やらせていただいたと思います。
独立されたのはいつですか。何かきっかけがありましたか。
独立したのは2013年で、当初は『富山映像大仏兄弟』という名称でした。きっかけは地方にも面白いものがあると気づいたことです。「地方には何もないよね」と言う人がいますが、テレビの仕事をするようになって、「いやいや、地方には滅茶苦茶面白いことが転がっている」と思ったのです。例えば、400年の伝統を持つ高岡の伝統産業は深堀りしたら可能性で溢れている。それなのに担い手がいない。なぜかといったら、皆、伝統産業といえば、狭い工場で汚い作業服を着て、給料は安くて、というイメージしか持っていないんです。でも、状況は随分変わり、例えば町工場だった能作さんは自らメーカーになって、商品を提供しています。今では、医療器具の開発を進め、海外展開を進めています。100年後、高岡は医療器具の伝統のまちになっているかもしれない。もはや、伝統の産業は次のフェイズに向かっているのです。
それに気づかれたということですね。
伝統のすごさを、僕も子どもの頃はわからなかった。学校の先生や大人に「高岡の鋳物はすごいんだよ」と言われても理解できなかった。かつての僕のような子どもたちや地域の人に伝統産業の魅力や可能性というのを感じてもらうために、何かやろうと思ったのです。僕が頑張れば、子どもたちや周りの人間も可能性を感じてくれるのではないか。チャレンジャーになって、地方で魅力ある仕事、エンターテイメントの仕事を展開したいと考えました。
その地元へのお気持ちが『大仏兄弟』という社名にも繋がりますか。
ええ、高岡のシンボル的存在が『大仏さん』なので、『高岡』と入れる代わり『大仏』と入れました。『兄弟』は、血は繋がっていないけど、きょうだいのように、みんな一緒に何か面白いことしようという意味です。
富山のスポーツシーンを盛り上げる
会社の事業内容を教えてください。
中心はテレビ番組やCMの制作です。CMなどに出演するタレントの育成とマネジメント、ホームページの制作なども行っていますが、やはり映像制作がメインです。その中で、富山のスポーツを映像や演出でバックアップする取り組みがあります。バスケットボールのBリーグ『富山グラウジーズ』と、日本ハンドボールリーグプレステージ・インターナショナル『アランマーレ』のオフィシャルパートナーとなり、ホームゲームの演出を手掛けています。
それは試合会場で流す映像を制作されるということですか。
はい、『富山グラウジーズ』の場合、会場の4面ビジョンやリングビジョンに映し出す映像の演出、『アランマーレ』ではホームゲーム演出と、会場のメインMCとして弊社所属タレントである二口祥が出演しています。最近では、私自身が高岡ハンドボール協会の理事になったこともあり、地域スポーツを盛り上げていきたいという気持ちが強いんです。特に富山県のハンドボールチームは強豪で、今年は、全国高校選抜で高岡向陵高校が準優勝しています。去年は氷見高校がレギュラーシーズンの全タイトルを取りましたし、毎年代表クラスの選手を何人も輩出していて、富山県のハンドボールは本当にハイレベルなのです。
それはもっと多くの人に伝えたいですね。
そうなんです。でも、その事実が生かされていないし、ハンドボール自体の認知度も低く、競技人口も少ない。それを富山県から押し上げていきたいと思っています。今年は初の試みとして、高校総体の富山県予選の演出をさせてもらいました。例えば、選手紹介を真っ暗な中をスポットライトで追っかけたり、音響を駆使して観客を煽ったり、会場はどよめき歓声、反響も大きく、やってよかったと実感しています。こういった取り組みは、全国でも初めてだと聞いています。さらにこれからは、かっこいいハンドボールをテーマに、ハンドボールウェア、地域の繊維メーカーと手を組んでアパレル分野にも挑戦しようと思っています。
子どもから大人まで影響を与えた『デンサン』
映像制作において心がけておられることはありますか。
まずは、映像を作りたい方が何を求めているのかを理解するためにしっかりと話を聞き、さらに相談しながら作っていくことが大事です。それから、他社と椅子の取り合いをするのではなく、新たな椅子を自ら作ることを意識しています。今ある仕事を別の分野へ広げていく。チャンスだと感じるところ、可能性があるところに繋げていくというスタンスで取り組みたいと思っています。
映画『デンサン』もそういったスタンスから生まれたのでしょうか。
テレビ局の仕事などで吉本興業さんと関わることが多く、自然と芸人さんや社員さんと仲良くなりました。いろいろな話をする中で、高岡の伝統産業に対する僕自身の考えを話していたら、ある日、社員さんから「金森さん、映画には興味ないですか」と聞かれ、それが発端となって、制作されたのが映画『デンサン』でした。衰退していく高岡鋳物の鋳物師(いもじ)である主人公が、伝統を継承しながら新しいことにチャレンジするという物語です。
映画は以前からやってみたいと思われていたジャンルですか。
それについては、映画を作ることに興味があったというより、地域の魅力、課題を映画に落とし込んで発信することで起きる次の展開に期待したいと思いました。僕が『デンサン』でやりたかったのは、地域外への発信ももちろんありますが、中の人に向けて自分なりの解釈を提示したかったのです。
地元に変化を起こしたかったということでしょうか。
先程言ったように、僕自身がこの地域の良さを理解していなかった。今の子どもたちも多分同じ状況だと思うんです。そこで『デンサン』を見ることで、高岡の伝統産業について考え、自分の住む地域のすごいところを知ってもらえればと思っていました。それから僕は、伝統というのはチャレンジの伝統だと言っています。なぜかというと伝統400年の間に作る物が変化している。戦さの時代は甲冑とか鉄砲を作っていたけど、戦争が終わり平和になるとそれらは必要なくなり、別の物を作るようになっていく。時代は次々と変わっていくんです。今のことを言えば、和室が減り、仏壇が売れなくなってきたのなら、今の時代にマッチするものを作ればいいということです。繋げるべきは、チャレンジしてきたこと、その心意気だということを映画で伝えたかったのです。
“ものづくり“の心ですね。
“ものづくり“の富山県といわれていますが、僕は“ものづくり“は使い手の要望に応えようとする作り手のやさしさだと思っています。そういうやさしさが僕らのまちにはあふれている。高岡は金属だけでなく、ガラスなどいろんな“ものづくり“があるんですが、それは高岡を中心とした富山県呉西が、かつて前田家の産業奨励により“ものづくり“が400年続いてきた土地だからなのです。子どもたちにはそのことから話さないといけない。ただ決めつけ、押し付けではなく、僕はこう思うけど、君らはどう思う、という話し方をして、チャレンジを促していけばいいかなと思っています。『デンサン』はそういうふうに使ってもらいたかったので、高岡市教育委員会にお願いして、富山県全体の小中学校で上映会をさせていただきました。今でも講演会とか、企業の研修会などで話をさせてもらっています。映画『デンサン』はまだ公開せずに全て試写会という形で上映会をしています。これからもお呼びがかかれば、全国どこでも上映会をしていきたいと思っています。
『デンサン』を見た子どもたちの反応はいかがでしたか。
変化がありましたね。弁論大会で伝統産業を語る子も出てきましたし、それから、僕の母校の中学校では、毎年、合唱コンクールで『デンサン』のエンディング曲「このまちのどこかで」を全員で合唱してくれています。自分で作詞作曲した歌で、いろんな思いを乗せているので、それは本当にうれしく思っています。
予想以上に反響があったということですね。
ええ、地元だけでなく、外での反響も大きく、昨年11月にニューヨークで開催された「ニッポン・アメリカ・ディスカバリー映画祭」に招待いただきました。今年2月には、パリで開催された「ジャポニスム2018~響き合う魂~」に参加し、上映会と舞台挨拶を行っています。このイベントは、日本文化の魅力を紹介する東京オリンピックの文化プログラムです。
ニューヨーク、パリの方々の反応はいかがでしたか。
非常に興味をもってくれて、質問攻めにあいました。しかも、「あのシーンはどういうときに思い付いたのか」などと細かいことを聞いてくる。成り立ちや理屈を知りたがる人が多いんです。日本だと「ああそうなんだ」で終わってしまうけれど、「なんでこうなんだ」が実は大事なんです。そういう問いがないと、元々それが何なのかというところに行きつかないんです。本当に映画を通していろんなところ行く機会をいただき勉強になりました。もっと地域に必要とされるものを作っていかなくてはいけないと感じています。
新たなテーマを描いた新作を発表。チャンスを逃さず果敢にチャレンジしたい
映画は続けて制作しておられますか。
はい、『沖縄国際映画祭』に毎年出品しています。今年春には最新作「誰にも会いたくない」という映画を出しました。最近取り沙汰されている引きこもりをテーマにした作品です。発端は、滋賀県彦根市が、ひこにゃんではなく、本当のまちの魅力をどう出していくかを模索されていて、映画を作って沖縄国際映画祭で展開させたいというお話をいただいたんです。そこで、人気YouTuberと一緒に若い世代に届けられる作品にしました。私自身も会社員時代にしばらく引きこもっていた時期があるんです。そのときどうやって乗り越えたのかというと、物事を宇宙規模で考えるようにしたんです。上司がどうこう言ったって、結局人間の人生なんてたかが数十年で、たいした問題じゃないと思ったらすごく楽になって、やりたいことなら、やり切らないともったいないなと思うようになりました。
今後、どのような展望をお持ちですか。
私にとって映画はツールであって、やりたいのは新たな展開を起こすことです。その地域の魅力、課題や、世の中の今の問題を取り上げながら新たな世界を拓く、そういう感覚です。次の作品としては、世界遺産でゾンビ映画を撮りたい。富山の五箇山に観光でいかに人を呼ぶかを課題に、今トレンドのゾンビを使って映画にできないかなと思っています。映画、スポーツにこだわらず、広くアンテナを張り、チャンスがあれば挑戦して、自分なりに演出したものをお届けしていきたいと思っています。
取材日:2019年6月18日 ライター:井上 靖恵
大仏兄弟株式会社
- 代表者名:代表取締役 金森 正晃
- 設立年月:2017年5月
- 資本金:1,000,000円
- 事業内容:映像制作、音楽制作、ホームページの企画制作、芸能・スポーツに関するイベントの企画・立案・制作・運営、芸能家・音楽家・俳優・タレント・スポーツ選手の育成・マネージメント等
- 所在地:【本社】〒933-0946 富山県高岡市昭和町3-1-16
【オフィス】〒933-0946 富山県高岡市昭和町3-1-13 高岡金網ビル3F - URL:https://brosb.net/
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