引っ込み思案な新潟県発! お笑い集団「NAMARA」の可能性とは?

新潟
有限会社ナマラエンターテイメント 代表取締役
Ayumu Eguchi
江口 歩
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社会課題をエンターテインメントにして啓蒙活動をお手伝いします。

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複数の新聞にも取り上げられているご長寿アイドル「笑年隊」

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全国1500校を沸かせてきた「お笑い授業」

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保育士資格を持つ芸人による保育者向けの講演会 も多数実績あります。

1997年、新潟市にお笑い集団「NAMARA」が誕生し、2005年にはお笑いプロダクション「ナマラエンターテイメント」に。根暗で引っ込み思案な県民性といわれる地域で活動を続けて、すでに約20年。代表取締役の江口歩(えぐち あゆむ)さんは、精神障害やLGBTといったマイノリティー、そして政治などの社会問題を独自の切り口で「お笑い」を通して表現しています。その活躍は週刊誌「AERA」をはじめとした数々のメディアに取り上げられ、NHK-Eテレの番組「バリバラ」のルーツにもなりました。そんな集団がいま、5年前に一度頓挫した動画事業に再度乗り出そうとしています。

芸人経験も、経営経験もない中で「好きなことをしよう!」と、お笑いプロダクション設立へ

        

お笑い集団「NAMARA」立ち上げまでの経歴を教えてください。

僕は新潟で生まれ育って、高校卒業後に専門学校への進学で上京しました。その後、レコードメーカーに就職。勤めながら劇団員にもなって、3年ほど二足のわらじを履いていました。

当時から芸能に興味をお持ちだったんですね。

いいえ、特に強い興味があったわけではありませんが、ビートたけしさんが好きで、10代の後半からずっと彼の深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン」を毎週聞いていたんです。

そのときに「人生消費されていくから、経験をためておかないとダメだぞ」というたけしさんの言葉に胸を打たれて、美術館とか劇団とかいろいろ見に行くようになり、なかでも印象的だった劇団「遊◉機械/全自動シアター」に入団しました。それが1986年ですね。

役者をしていた人が、なぜ新潟でお笑いの事務所を設立しようと思われたのですか?

1994年に長期入院が必要なほどの大けがを負ったことと家の事情も重なり、29歳のときに帰郷しました。地元(新潟)にレコード会社はなく、どうせなら好きなことを仕事にしようと考え、その時浮かんだのが「お笑い」でした。ビートたけしさんに憧れていたし、「お笑いで俺が新潟を明るくしてやろう」とも思っていました。

そんな思いを持ちながら、まず2年ほど雑誌社に勤めながら人脈を作り、1997年に若手人気コンビだった爆笑問題をゲストに呼んで「新潟素人お笑いコンテスト」を開催したんです。そしたら17組のエントリーと1400人ものお客さんが集まって、非常に盛り上がったので「今だ!」と確信して出演した芸人を中心に、お笑い集団「NAMARA」を結成しました。

しばらくは、「新潟素人お笑いコンテスト」を応援してくれた人や参加した芸人たちによるボランティア運営でしたが、2005年に有限会社「ナマラエンターテイメント」として法人化しました。役者は人生経験の一つでしたが、結果的にお笑いライブの演出など仕事に役立っています。

すべてのオファーに応えていたら生まれた、「お笑い×社会」 の独自性

        

地方でお笑いの事務所を立ち上げるのは、難しかったのではありませんか?

新潟の県民性は「根暗で引っ込み思案」といわれており、コンテストを行った頃は「文化不毛の地、新潟」と新聞が揶揄(やゆ)し、市民も「新潟には何もない」と口にしていたほど。だから、誰一人としてNAMARAが成功すると思っていないし、大反対。

でも、僕は当時から「好きなことを仕事にしたらいいじゃん、何もないなら作ればいいじゃん」と公言して憚(はばか)らなかった。我慢して嫌々やるよりも、何倍もエネルギーが出ますから。この考えが理解されなかったのが一番の苦労でしたね。

NAMARAが江口さんの思い描く形に至るまで、どれくらいかかりましたか?

5年くらいですね。全てのオファーに応えていたところ、2002年に転機がありました。

県内の中学校で、ある痛ましい事件が起こってしまったんですね。その事件を見て、このようなことを繰り返してはいけないという思いのもと、被害者の保護者とのトークイベントをすることになりました。また、この年は新潟市長選挙があり、候補者を招いて「市長選ダービー公開パドック」というイベントも開催しました。

さらには、アルコール依存症やうつ病などの生きづらさを経験した人たちが「病気」の苦しみや乗り越えた方などをユーモアを交えて伝える「こわれ者の祭典」というイベントも始めました。

このように活動を続けていると、「NAMARAはお笑いをやっているけど、現代社会とも密着している。一体何なんだ?」という空気になってきました。そこからメディアに取り上げられる機会も増え、世間の見る目が変わりましたね。

立ち上げから約20年、続けることができた理由はどこにあると思いますか?

お笑いで「間をつなげていくこと」が、今日まで続いた理由の一つになっていると感じています。

実は、中学校での被害者の保護者とのトークイベント開催にあたっては加害者の保護者にもお会いし、裁判も傍聴しているんです。ただ被害者の話を聞くだけではなく、被害者と加害者の間に入ることを意識しました。

市長選ダービーでは候補者と有権者の間に、こわれ物の祭典では健常者と障害者の間にと、「間に入って通訳になる」NAMARAのスタイルが徐々に確立できたからではないかと思います。

「お笑いじゃないことを、なぜやっているの?」と否定されることもありましたが、僕らにとってはすべてお笑いなんです。

現在の事業内容を教えてください。

お笑いのライブはもちろん、イベントプロデュース、講演会、司会など、幅広く手掛けています。「笑い×安全」「笑い×食」など、あらゆることを笑いと絡めたステージができるのが強みです。学校で行う「お笑い授業」は15年以上続けていて、1000校以上の実績がありますね。

「好きなことをやっていこう」という思いで立ちあげた会社なので、芸人にも好きなことをやってもらっています。絵を描くことが好きな芸人が個展をしたり、看板を描かせてもらえるようになったり、銭湯好きの芸人が「銭湯大使」として東京のイベントにも呼ばれるようになったり。すぐに対価が生まれるわけではありませんが、続けてきたら形になってきました。

同じ熱量をもったパートナーとタッグを組んで、新潟を動画で盛り上げたい 

動画事業にも進出されたそうですね。

実は再チャレンジなんですよ。

たくさんのライブやトークショーをしているし、芸人のネタもある。テレビ局を介さず自分たちで自由に番組を作れて、それが後々オファーや番組のスポンサー獲得につながるかもしれない。そういった思いから5年前に一度始めたのですが、当時は社内で盛り上がらず、結局2年ほどで撤退しました。

動画などを通して、オープンに何かを表現する人は多いように思われますが、当時はまだそんなことなかったですか?

今でこそ、うつ病を公に発信する人も増えましたが、15年以上前に「こわれ者の祭典」を始めたときは、全くそんな風潮はありませんでした。

LGBTが叫ばれる以前からそういうことをNAMARAで発信していたところ、今年4月(2020年)に新潟市の支援事業でパートナーシップ協定が締結されました。「こわれ者の祭典」は10年、動画は5年、LGBTは4年…、それまでは非常識といわれていたものが常識に変わる。その変化のスピードが上がってきていることを実感しています。

NAMARAでは今年、改めて動画事業に本腰を入れたいと考えています。大道芸人が小児がんの子供を訪ねて楽しませる「ホスピタルクラウン」という事業に、映像で会話できる仕組みを取り入れてそれを確立し、どんな場所からでも子供たちに笑いを届けたいです。

またシニア層にスマホの使い方を覚えてもらえたら、きっと健康づくりや認知症対策に有効です。お笑いを交えながら体にいい運動を配信したり、弊社の長寿アイドルユニット「笑年隊(しょうねんたい)」が定期的にネタをあげたりしていくことで、より広まると考えています。実際に「お笑い授業」は、新潟県外からの要請を受けているところです。

NAMARAにしかできない、動画の活用方法かもしれませんね。

ほかにも、観光PRでも今まで支持されてきた名所や名物など紙媒体による「目に見えるもの」だけではなく、動画だからこそ伝わる、心を揺さぶるストーリーを大切にして魅力を引き出せると考えています。「新潟はなにもない」のではなく、見どころも物産もたくさんありすぎるからこそ、見せ方が幅広い動画は向いていると思います。

弊社には「こわれ者の祭典」や数々のトークショーなど、まだ映像化していないコンテンツがたくさんあります。その一つ一つをより多くの人に伝えていきたいですね。

20年間の社会とのつながりと動画をどのように組み合わせていくお考えですか?

新潟にはプロレスやアイドル、モデル、サッカー、バスケットボール、お笑いなどエンターテインメントがたくさん存在しています。地方都市の中では稀有(けう)ですが、それぞれ横のつながりはありません。ですが、僕たちはどの分野ともつながっているので、橋渡しの役割を担って、関連のあるテーマの動画を配信してもらうなど、仕掛けを作ることができます。

また、行政は縦割りで、多くの弊害が生まれていますが、僕たちはここでもほとんどの部署とつながりを持っているので、部署連携の媒介にもなれるはずです。社会問題からカルチャー、行政までも、新潟に点で存在している面白いことや本当はつながりが必要なところを、僕たちがプラットフォームとなってつないでいかなければと思っています。

これからのNAMARA、そして新潟の社会のためにも、動画が重要なツールとなるでしょう。そのときは、弊社のポリシーである「好きなことをする」という意味でも、動画に熱い思いを持った人とチームを組んでやっていきたいですね。

取材日:2020年4月15日 ライター:丸山 智子

有限会社ナマラエンターテイメント

  • 代表者名:代表取締役 江口 歩
  • 設立年月:2005年4月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:ライブ活動、テレビ、ラジオ、イベント出演、学校での講演、企業・団体の研修会、さまざまな社会問題を扱った討論会など
  • 所在地:〒950-0951 新潟市中央区鳥屋野2丁目13-32 ウェルズ21鳥屋野 B棟4号
  • URL:https://www.namara.info/index.html
  • お問い合わせ先:025-290-7385

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