彼らをしゃべらせ 生活する姿を描くことで魅力が出る そこには自身を持っています
- Vol.29
- FLASHアニメクリエイター 小野亮(Ryo Ono)氏(蛙男商会/Kaeruotokoshokai)
なんかないかと探した結果出会ったのが FLASHアニメーションでした。
FLASHアニメーションは、いつ頃から手がけている?
2004年の春からです。初めて作ったのが『菅井君と家族石』で、これをHPで公開したら反響が予想以上でした。
たった3年のキャリアで、かなり大きな成功を手にしていますね。
そうですね、自分でもトントン拍子だと思います。
小野さんって、どんな方なんですか?プロフィールを調べると「島根県在住」となってますが、今も島根県に住んでいる?
さすがに今は東京在住です。出てこざるを得なかった(笑)。僕はもともと映画の世界、映像制作の世界にいた人間です。10数年の下積みを経て、2002年、意を決して島根県に移住し、島根県で映像制作し、映像配信するビジネスにチャレンジしていました。そのチャレンジの途上でFLASHアニメーションに出会い、『菅井君と家族石』を作ったことで大きな方向転換をすることになり、現在に至る。という感じです。
「意を決して島根県に移住」というのが、なんかすごいですね(笑)。作風にも通じる、独特の世界観がある。
ネットの時代ですから、映像配信、発信はどこからでもできると考えました。長く映像制作の世界を歩いて、監督が作品の権利を持てない映画界の仕組みや映像制作者を安く使い倒そうとしか考えてないテレビ界の実状に失望した。なら、自分で配信することを前提に、好きなものを好きなやり方で作ってやろうと。地方ならもろもろのコストも抑えられるはずですから。ただ、実際に島根で活動してみると地元の人でさえ「なんで、島根で映像制作?」と驚いていた(笑)。理解者や賛同者を得るのは、至難でした。
映像配信も、実際にやろうとなればそれなりの設備投資は必要ですよね。
そういうこと、全然知らずに移住したもので。ストリーミングサーバのレンタルに、月額50~60万円かかると知って、唖然でした(笑)。持っていたのも請求書を書くために使っていたノートパソコン1台で、「もうちょっと容量のあるパソコンが必要かも」と奥さんに相談したくらいです。
その辺お聞きして察するに、映像制作・配信のビジネスはあまりうまくいかなかったようですね。
悶々とした数年を過ごしてましたね(笑)。ひとり取り残された感じでした。それでも映像や動画の配信には興味があり続け、なんかないかと探した結果、出会ったのがFLASHアニメーションでした。
営業用に立ち上げていたHPに、ある日一晩で4万 くらいのヒットがあった。
アニメやイラストへの造詣は?
ほぼありませんね。今一緒に仕事をしているスタッフの中で、僕は、あきらかにアニメの知識最下位者となります。白状すれば、宮崎駿さんの作品さえ観たことがない(笑)。僕がFLASHに興味を持ったのはアニメがやりたかったからではなく、動画を作り、配信し、支持を得るための道具になると思えたからです。
そんな人が、絵を描いてみたらうまく描けた、ということですか。
ほんと、そんな感じです。絵は、今でも下手クソだと思っている。ただ、絵は下手でもストーリーと時間軸を持つ動画作品の演出は、下積み時代に培ったことが生きると思っていたし、実際生きました。今は、WEBアニメーション制作は、アニメーターより実写の演出のできる人のほうが適しているんじゃないかと思っているくらいです。
小野さんの描くキャラクターたちは、絵としてはあまり上手ではないのでしょうが(笑)、十分に魅力的ですよ。
絵では勝負できないので、キャラクターで勝負してます。ぱっと見、これがかわいいか、魅力的かと問われれば、自分でも疑問を持ちますが(笑)、彼らをしゃべらせ、生活する姿を描くことで魅力が出てくる。そこには自信を持っています。
で、作った最初の作品から大きな反響を得たわけですね。チャレンジは、してみるものですね。
その当時はDTPで細々と食べていて、「名刺の制作承ります」などの営業用に立ち上げていたHPにある日、一晩で4万くらいのヒットがあった。どうしたんだろうと調べてみると、アップしていた『菅井君と家族石』が2ちゃんねるで話題になっていたらしく、それ以降日増しにヒット数が上がっていきました。作品を観てもらえばわかりますが、あの作品のタイトルは「スライ&ファミリーストーン」のもじりです。そういうアプローチが、音楽ファンの間で受けたみたいですね。
でも、それは無料閲覧ですよね。
すぐにDVDを作りました。兄がDVDの「焼き」をやる会社に勤めていたので、家族割で(笑)。
儲かった?
かなり(笑)。自分で作り、権利を持ってビジネスすれば、やはり儲かるんだ。自分の標榜していたことは、間違っていなかったと確信しました。
子供が生まれるとわかって、「スーパーでバイトしようか」 と言ったら、烈火のごとく怒られました。
それで成功したことはもちろんですが、「動画の配信がしたい一心で、FLASHという道具に目をつけた」という点に限っても、その着想は他に例がない。
それはそうですね。周りを見渡しても、そういう着想でFLASHを始めたのは僕以外にはいないようです。
ネットでの動画配信にこだわったのは、なぜ?
動機は先ほど話した、映像業界への失望が最大のものですね。それで目を向けてみると、インターネットという「貧者のツール」が目の前にあった。映画をやっている人たちにはいまだに拒否反応がありますが、映像制作にデジタルを使い、安く、速くというメリットを享受するのは間違った選択ではないと思う。映像制作にたずさわる者が強くなるには、デジタルを取り入れることが有益なのを実践し、証明してみたかったということでもあります。
立ち入るようですが、ビジネスが上手くいっていなかった頃は、奥さんやご家族も苦労されたのでしょうね。
奥さんに、食わせてもらってました(笑)。100%、僕のやろうとしていることを支持して、応援してくれる人です。子供が生まれることがわかって、「お金が必要になるから、スーパーでバイトしようかと思う」と言ったら、烈火のごとく怒られました。「そんなことをするために島根にきたわけじゃないでしょう」「いいから作ってなさい」と。ちょっとウェットな人情話ですが、事実だから仕方ない(笑)。あれがなかったら、少なくとも作風はもっと手堅いものになっていたでしょうね。感謝してます。
では最後に、若手クリエイターたちへエールをお願いします。
まず言いたいのは、「本を読め」です。映像にしてもデザインにしても、企画の最初は活字です。文字を読む、書くは、どんな分野でも絶対必要ですから。特に僕は、映画、映像の世界を歩いてきて、尊敬すべき先輩たちがみな、もの凄い読書量で、本からいろんなことを吸収しているのをこの目で見て、この身で体感してきました。できる人は本を読んでいます。しかも、本を読んでいる人ほど、お堅いことばかりではなく「おねえちゃんのいる店」にも詳しく、かっこよく遊ぶこともできる。だから、みんなもそんな人に憧れ、目指すために本を読んでください。そしてもうひとつ、タフな人間でいてほしい。肉体的にも精神的にもタフでなくちゃ、制作の世界ではやっていけないし、他の人に迷惑です(笑)。
取材日:2007年6月14日
Profile of 小野亮(蛙男商会)
●株式会社 蛙男商会/小野亮 公式プロフィールより
青春時代 | 映画・ドラマ制作スタッフとして数十年のキャリアを積む |
2002年 | 結婚を機に、島根県移住 |
2004年 | FLASHアニメ「菅井君と家族石」発表、ネットで絶大な支持を得る |
2005年 | 「古墳ギャル コフィー」発表 |
2006年2月14日 | 株式会社 蛙男商会設立、代表取締役会長に就任 |
2006年4-6月 | テレビ朝日系列にて、日本産初の30分全編FLASHアニメ「THE FROGMAN SHOW」放映 |
2006年6月 | 「筑紫哲也News23」内にて、「蛙男劇場」レギュラー放送開始 |
2006年7月 | 株式会社USENが提供する動画配信サービス「Gyao」にて、作品公開 |
2006年9月 | 株式会社DLEが開設する「Do-DLE」テレビ局にて、作品公開 |
2007年3月 | 「秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE ~総統は二度死ぬ~」劇場公開 |