多言語国家スイス
ドイツにいた頃、友達がスイスのチューリッヒに住んでいたのでよく遊びにいっていました。
スイス人の話すドイツ語は「なまり」があります。都市部に住む人はそうでもないですが、山岳地方の人の言葉はほとんど分からなかったりするので、TVで方言のきつい人のインタビューに字幕が入ることもあります。
ドイツ人はスイス人のドイツ語のことをよく「イントネーションに高低があって、スイスの山みたいだ」といいます。それから「スイス人はゆっくり話す」ともいいます。
ベルリンとチューリッヒ
ベルリンに住み始めてまだ言葉がおぼつかない時、ある時ドイツ人から「ドイツ語ができないのなら、(日本に)帰ってもいいよ」と言われ、ショックを受けたことがありました。
長い間住んでいると、ベルリン子の棘のあるシニカルさやストレートな言い方は、戦争というシビアな時代を生き残るために身につけてきた処世術のようなものなんだと分かるようになってきました。またそういった言葉に、個人的避難だと受け取ることなくユーモアを交えて返事できるようにもなりました。
(大人になったものですw)
壁が開いた後の90年代のベルリンを振り返ると、社会主義国家と民主主義国家という別の社会で育った国民が反発し合いながらも共存しようとするゴリ押し感のようなものがありました。空気は常にピリピリしていて、一触即発で何かが起こりそうな緊張感に満ちている、そんな状態でした。
それとは対照的に長い時間、列車に揺られてチューリッヒの街に入ると穏やかさと平安さが街に溢れていて、まるで別世界に来たようでした。人々は豊かな自然を楽しみ、夏になると澄んだ湖で泳ぎ、湖畔でカフェを楽しんでいます。スイス人のゆったりとしたドイツ語も平穏さに輪をかけるように響いてきます。長い間戦争がないということ、永世中立国の恩恵とはこういうことなんだと肌で感じ取ったことを思い出します。
多言語国家スイス
スイス人が温和なのは話し方だけではありません。他の言語を話す人に対しても寛容なのです。
スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語が公用語の多言語国家です。この4言語の内、ロマンシュ語は山間部の多いグラウビュンデン州のごく限られた地帯でしか話されておらず、話者が人口の約0.5%ということでユネスコの「消滅の危機にある言語」に指定されています。
ロマンシュ語は、1938年の国民投票で92%と極めて高い賛成票を得てスイスの第4の言語になりました。1996年の国民投票では76%の賛成票を受け、国の半公用語に指定されます。これによってロマンシュ語圏の市民は連邦官庁とロマンシュ語で文書をやり取りできるようになったそうです。
スイス国民が、国内でほとんど話す人がいないマイノリティ言語(ロマンシュ語)に非常に好意的であることが、スイスが多言語国家たりえる理由ですが、これは日本に置き換えてみると、沖縄語が公用語になることに対して日本人の70%以上が賛成するぐらいのことではないかと思うのです。
多言語国家たりえる理由
前回の記事「消滅しつつある言語」で、マイノリティ言語が消えつつある理由のひとつとして、その言語を生かした仕事に就いて経済的な利益を得られる機会が少ないことを挙げましたが、ロマンシュ語が使われるアルプス地方にも雇用が少ないため、若者はスイスのドイツ語圏やフランス語圏に流出してしまう現象があるそうです。一方で、地方を活性化しようとする動きもあります。
グラウビュンデン州のヴァルスという山間部の村に、世界的に有名な建築家ピーター・ズントー(Peter Zumthor)が手がけた温泉スパ施設「テルメヴァルス」があります。
アクセスは、国際空港のあるチューリッヒから電車とバスを乗り継いで数時間かかるという辺鄙さですが、ヨーロッパでも屈指の隠れ家スパだと自分は思っています。
この温泉施設は、美しい山岳風景と地域で湧き出る名水、地元で取れる御影石を取り入れた地域活性化を考えて設計された作品です。
癒し効果があるテルメヴァルスの温泉につかりながら、ミニマルな建築と大自然が見事に調和した景観を見た時(冒頭の写真)、地元のことを大切にし守ろうとするスイス人の考えが多言語国家の根底にあるのだなと感じられたのでした。