クリエイター天国ベルリン①
自分が20年間住んだドイツの首都ベルリンは、クリエイターが住み、作品を制作するのに最高の場所だと思います。
今回から何回かに渡って、自分が愛するベルリンという街について書きたいと思います。
「ベルリンはドイツにあってドイツでない」
ドイツ人はよく、ベルリンのことをそう言います。
それは世界で唯一、東西に分断された街として、ベルリンがドイツの他の都市にはない稀有な歴史を歩んで来たからです。つまり、ベルリンはドイツのどこにも属さない、独自のキャラクターを持っている場所だということです。
戦後にベルリンは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)と、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の領土に分割されました。民主主義国家である私たち日本人が滞在することができた西ベルリンは、周囲を壁がぐるりと囲う、東ドイツの中にある陸の孤島でした。
その状態をわかりやすい例えでいうと、東京都の回りに壁が張り巡らされ、その向こうは北朝鮮といった状態。70〜80年代の東ドイツ(社会主義国家)は、北朝鮮に匹敵するほど脅威の存在だったのです。
壁に囲まれた閉鎖的な空間と、東ドイツがいつ戦争を仕掛けてくるかもしれない緊張感の中、西ベルリンには独自のオルタナティブ文化が花を開きます。
西ベルリンが特別な街だった理由に、敗戦国として連合国に領土を分割されたため、この街に住居登録をしている男性は兵役義務を免除されるなど、他の西ドイツの都市にはない特例がいくつもあったことが挙げられます。
軍隊に行かなくてもいいということで、平和主義者やゲイ、アーティスト、パンクスなど、反体制主義者やマイノリティーたちが、こぞってベルリンに移り住んで来ました。
そのリベラルで自由な雰囲気が70〜80年代のベルリンを形作り、デビィッド・ボウイやルー・リードなどがこの街を拠点にするなど、クリエイターたちに愛され、インスピレーションを与える場所となっていったのです。
自分がベルリンに留学に来た1989年(ベルリンの壁が開いた年)は、政治、文化、音楽、アートなどの分野で、ベルリンのオルタナティブ文化が繁栄を極めていた時。
到着した夜、この街を包む自由な風に触れ、「あぁ、この町では息ができる」と運命の出会いを予感したのです。