「作品」と「早送り」
少し前からではありますが、SNS上で、作業を意図的に早送りさせることにより数十秒〜数分で料理が出来上がってしまう“簡単レシピ動画“や、Twitterの140字以内に簡潔にまとまった“簡単レシピツイート“などをよく見かけるようになりました。
あれってゴールがすぐそこにある分、ついつい最後まで目を通してしまいがちですよね。
そして、ふと思ったんです。
いつの間にか「いかに早く情報を手に入れられるか」という感覚が染み付いてきてしまっているような気がすると。
今や誰もが当たり前のように視聴するYouTubeでは、今年になって見たい箇所へ簡単にとべる「チャプター設定」の機能が新たにリリースされたそうですが、あれもまさに、「欲しい情報だけ素早く見る」ための機能な気がします。
そして何よりチャプターではとべなかったとしても、“早送り“というボタンがあるのを認識してしまっている以上、「結果」が待ちきれなくてすぐ「過程」を飛ばしてしまいがちな事実……。
ついでに言えば、そうした時間の短縮を図ることで何かに有効活用ができたのかと言うと、特にそんなこともなく、むしろどうしてそんなに時間に追われているのかが、謎に……。
以前、映画館での長時間に耐えられなくて“スマホいじり“をする若者が急増したというニュースなんかがありましたが、SNSに慣れ親しんだ世代ならしょうがないのかなと、なんとなく納得してみたり。
1973年に発行された有名な児童文学で、ミヒャエルエンデの「モモ」という小説があります。人々から時間を盗む「時間泥棒」と不思議な力を持つ少女モモが対峙するストーリーで、忙しさの中で失ってはいけない本当に大切なものを問われるようなお話です。
こんな昔から、時間の大切さについて警鐘されているのに……と、妙にシミジミします。
分厚くて面白い長編小説や、濃厚な長編大作映画などはいつまでも世の中に残っていてほしいですし、自分自身、いつまでもそういった娯楽くらいは楽しめる余裕のある人物であれたらなと思います。