書聖・王羲之『蘭亭序』
現在、一方で研究をし、一方で書を教えという生活をしています。日本書道教育学会で書の歴史とともにそれぞれの時代の書字の特徴などを研究していますが、なかでもこの王羲之という人が「書聖」と言われることについては謎が多くいまだに掴めないものであるということを先に示しておきます。
なぜなら、現存している書には「王羲之の真筆」という確証がどれもなく、誰もその真偽を推し量ることができないのからです。「書聖・王羲之」はひとつの神話めいた存在なのです。しかし書を志すものは最初に必ず王羲之の書を臨書します。これはどの書道学校もやっていることで大体『蘭亭序』から入るということがわかっています。王羲之の書ではないか?というその真偽の確証のないままに皆疑問を持たずに教えてもらっていることはとても不思議なことですね。確かにわたしも教室で書道師範を持った教師から「この書は王羲之が書いたとされている」という但し書きを授業内に教えてもらいました。でもなぜか臨書をする段階になると、そんなことは全く気にせず、一生懸命臨書をするわけです(笑)。
ではなぜ王羲之の書がこの世に明確に存在しないのか。それは太宗皇帝が鍵を握っています。王羲之は東晋の時代の人ですが、のちの唐の時代を制した太宗皇帝(李世民)は「王羲之ファン」で現存する王羲之書のコレクターでもあったのです。そして自分が死ぬときには王羲之の書を墓に入れるように家臣に遺言していました。というわけで、太宗皇帝の墓である昭陵(しょうりょう)に今も眠っているとされています。しかも、あまりのコレクターが故に、王羲之の7世代後の子孫である書家で僧侶の智永からも「王羲之の書」を奪った(買った?)とされています。権力に対する智永の僧侶らしい態度がいかにも物語のようです。そういうわけで、王羲之の真筆といわれていたすべての書作は太宗皇帝の元に集まっていきました。太宗皇帝(李世民)は、確かに当時の権力者として名をはせていましたが、いくつかの偏愛ぶりエピソードがあります。とにかく「得たいと思うものがあれば全て手に入れる」という政治にはもってこいの逸材だったとされています。そして太宗皇帝自身も書をすすんで学んでいたことには間違いありません。中国全土では国を制するものは、学問や書の技能の優れていることは当たりまえであり、書がみっともない人など国を背負って立つことはできないとされているくらいです。目が肥えている太宗皇帝(李世民)にとって「王羲之の書字が輝いて見えた」「政治的な成功があっても王羲之の文字にはひれ伏してしまう」というほどのものだったということは明らかなのです。
王羲之『蘭亭序』は、この瞬間も臨書を書いている人があると思われるほど、書の習いのスタンダード。これは、真筆はないにもかかわらず長い年月のあいだ誰もが一度は習うという、突出した才能あふれた書風であることに変わりはないのです。天才的な政治家である太宗皇帝でさえも、書においては「王羲之には敵わない」ということを認めている。これこそが王羲之のブランド価値をさらに上げているのではないかと思われます。
また『蘭亭序』の興味深いところは、東晋以前の書類ではほとんど政治的な正式文書でしか見つからないなか、感情にまかせつらつらと手紙のように綴られているところです。それまでのかしこまった文とはまったく違った情感のこもった文面であり、書字である、というところなのです。
行書は、楷書とは違い一画一画をきっちりとわけた書体とは違い、肉筆の、最も身近な書体です。人から人へ伝えるために、読みやすいのが、この「行書」であるのです。「蘭亭序」が書の臨書として適していること、それが継承されている理由などがよくわかってきました。王羲之の書のどこが面白いのだろう・・・そう思ったとしたら、それは臨書をしてみるとよく理解できることなのかもしれません。
※わたしもオンラインで新しい講座「王羲之 蘭亭序」臨書クラスを作りました。