お気に入りの手帳とノート mon agenda et mes notes préférés
ここ十数年、同じノートを使っている。その前も、同じマークのついた手帳を使っていたと記憶している。
スケジュール帳のほうは、数年前まで別のマークの同じ「一ヶ月が見開き」で載っていて薄型のもの。
このサイズと薄さが仕事の合間に開くのにとても便利だったからずっと使っていた。
(あ、ずっとと言ったが、あるときから二年ほど石井ゆかりのダイアリーをつかっていたこともあった)
ほとんど、ブレずにもう十年は使っている。
ノートも同じ紙質でサイズも同じ。バッグやリュックにポンと一緒に入れる。
ノートは大体同時に2冊を使っている。内容は多少混じるが、ほぼ同じテーマで一冊を終える。
最後のページまで使うと大概ゴムは伸びるし、表紙の角は丸く擦れていくし傷ついていく。
スケジュール帳のほうの見開きは一ヶ月毎で文字を小さく書けば事足りる。要はカレンダーに書き込んでいるような感覚。
デジタルもいいけど、紙の上で、書いたり消したりするのが好きだ。その紙の書き心地、紙の色が良い。
そしてB6というサイズが、MacBookの手前にも置きやすくて便利。画面内でいくつか開く時、別の作業時はやっぱり紙っていいな、と思ってしまう。
データも便利で、MacBookとiPhoneはもちろんデフォルトのカレンダーで連動しているしアラートも稼働している。
だけど、だけどやっぱり紙で持つことや、時々ペンを変えてみたり、色を変えてみたり、万年筆のインクが滲んだり、手で乾く前にシュッとなった箇所があっても、やっぱり「良い」と思える。これを「インテマシー」と言っている人もいる。
愛着や親密さというのは、触覚や空間、時間など綯い交ぜになったときにこの個々に結びつく「なにか」なのかと思う。
一年をいっしょに過ごそうと決めたスケジュール帳は、すでに「書きやすい」ことを知っている相手。同じ紙でできたノート。
そのふたつはそれぞれがなかよしで、それぞれにインテマシーを感じている。ほぼ一年、同時に3冊がお供となる。
そして何より、1月始まりでないところも気に入っている。
10月から始まるということがわたしには合う。その理由として、わたしはのんびりしていて、そのくせ出動しなくてはならないときに焦ってしまう。これは何年修行しても治らない(笑)。
だから1月だと強迫観念のような、何か始めなければならないとか、新規一転がんばるぞ、という気合いが入ると負けそうになってしまうので、できれば「避けたい」と心のどこかで思っているのかもしれない。
そういうわけで、この「10月」という年始より少し前の始まり手帳は性に合っているということがいえる。
そして、古いスケジュール帳から新しいスケジュール帳に移るときに「猶予」を与えてくれることもたいへんに嬉しい。
10月始まりの12月終わり。要は、買いそびれている忙しいときに慌てて買ったりしなくても間に合うし、重複している年末より(忙しくなる時期)前に合間をみて来年の計画も立てられる。
新たな手帳に入る前に、少し前に「今年の半期を振り返る」こともできる。
「では新しいスケジュール帳を開こう」としたらなんと今年は仕様が変わっていた。
どうりで厚みがあったわけだ。今更のように納得。横長の、プロジェクト毎の欄がついていた。
それはそれで使ってみるのも楽しみだ。
それはそうと、わたしは2014年に父を亡くして、そのときの手帳が「赤」だった。使う前の年は「ピンク」だった。
実は、今年、2020年は「赤」を使っていた。今年はコロナ関連によって色々な面で苦労した。
もうすぐ世界が終わってしまうのではないかとはらはらするようなこともしばしば見受けられる。
世界の友人たちの居場所を確認する。わたしのいる日本の、東京の様子や、故郷の家族や友人もどうしているか気になっている。
とにかく、気になることは日々起きてしまっている時代。
手帳の1日1日がどんなに大事なのか、考えさせられる。
だからせめて、身近なものにインテマシーを感じられるものを少しでもお供にしたい。
危険信号は、いつしか渡っても大丈夫な色に変わると信じている。
赤いスケジュール帳はわたしにとって「意味のある」印象がついてしまった。
ところで、たまたま買った2021年の手帳は「黄色」である。
周りをよく見て、さまざまな場を渡り歩きたいと、希望はまだ持っている。
そして黄色はお財布にも人気のある色なのだし。。。自分を励ましてくれる相棒ができた。