良寛のこと ー2020年、書の振り返りー
托鉢は僧侶の修行である。托鉢にまわるとき「いつもの坊主がきた」という声がする、と良寛が記す。そのことばを聞くことも修行のなかに含まれているのかもしれない。
良寛が山を降り、五合庵に入る一年前、良寛の父は自死した。
さまざまな家族の風景が浮かぶ。晩年に子どもたちと遊んだ良寛のこころには何が浮かんでいたのだろうか。家族とのつながりかたは個々それぞれに異なることがあたりまえだ。
良寛の幼い頃のことを、自分自身がなぐさめたかったかもしれない。幼い子どもたちと毬で遊ぶことは、自分の子ども時代をなぐさめるような気持ちだったのかもしれない。
良寛がこれだけ現代で人の心に入ってくるのか。その書に出合ったとき、心が軽くなるような現象がおこってくるのはなぜなのか。臨書をしてみて少しだけわかったような気がした。
極めて穏やかで、それでいて寂しい。しかし、寂しいと言い切れないなにかもある。
これが心の豊かさ、深さ、なのかもしれないと思った。
すべてを真っすぐ、線を引いたようには決して書かない。
軸を持ちながら、余白を常に意識し、しかし優さをもって波をつくる。
そんな文字を他で感じたことがない。
空海を書くときも、どこか柔らかななかに凛としたものを感じることができる。空海の間のとり方とはまた違った、押し殺した感情が内側に込められているのではないかと勘ぐってしまうほどの豊かな線が見えてくる。
臨書をして、これほどまでに「書き甲斐」を感じたことはなかった。
自由に書くこともできるし、ある種、良寛にはなれっこない、という諦めのようなものも同時に芽生え「ならば自分らしく」と思わせてくれるような優しさも感じる。
なぞればなぞるだけ良寛世界に出合うことができるかもしれない。そんなふうに思える時間だった。
ところで、個展【「一」から「無」のあいだ】もいよいよ最終週です。
今週は金曜日で実際の展示が終わりまして、
2021年1月17日までオンラインでは展開しています。
オンライン展覧会では高感度カメラで撮影しているため、左下のマップで拡大してもらえたら「良寛屏風」も、中心にある「おおきな円相」も筆のニジミやカスレまで見ることができます。どうぞ会期中にご覧になって、そして皆さんの「書き初めごころ」へ変換してください。
「墨を磨るにはどうすると良くおりるの?」や、
などのなぞもビデオで確認できます。
またおすすめは「一」をたくさん書いているところです。
よーく見ると「毛筆のつかいかた」のヒントがいっぱい潜んでいます。
どうぞ、年始の書初めの宿題に活かしてください(笑)!
お待ちしております。
ひきつづき、2021年も個展は続きます。
桃空