索引のはなし(下) ~連載「組版夜話」第13話~
前々回、 前回、 と、 組版は構造的なものであり、 読みやすさには論理の裏づけが必要であることを、 索引を例に挙げながらみてきた。 今回は、 その読みやすさを支える書体の役割について考えてみたい。
本に用いる書体はどういう考えで選ぶのか。 本文にはできるだけ個性を捨象した書体を用いる (日々の食事にたとえるなら、本文はコメの飯だ)。 書名や見出しは、 逆に個性的なほうが力を発揮する。 第一印象で読者を惹きつける役割を持つからだ。 しかし、 私がここで考えたいのは、 そういう 「楽しい書体選び」 のことではなく、 むしろその前提とすべき必須の、 基本的なことがらである。 書体選択には、 テキストの階層と構造を明らかにするという基本的な目的が貫かれていなければならない。 この立場からいえば、 ふだんあまり意識されることはないノンブル (ページ番号) の書体は、 読者を本文へ導く重要な役割、 たとえれば1冊をガイドする地図としての役割を負っているのである。
いくつか実例をみて考えてみよう。 図1、 図2は、 川田順造 『口頭伝承論』 (河出書房新社、 1992年、 暁印刷+小泉製本) の索引と本文である。 示される数字はどちらも同じノンブルだ。 まったく異なる書体が使われている。 本文に使われている和字 (漢字や仮名) のなかでは、 洋数字は用字系が異なるがゆえに、 用いられる根拠が問われる。 本の構造を示すノンブルというガイド役として、 目立つことに意味がある。 索引から本文をたどり、目次から本文へ跳ぶときに、そのノンブルが同じ書体だといっそう分かりやすい。
図3、 図4の、 皆川博子 『壁 旅芝居殺人事件』 (白水社、 1984年、 三秀舎+黒岩製本) 目次と本文、 図5、 図6の、 皆川博子 『ペガサスの挽歌』 (烏有書林、 2012年、 理想社+松岳社)目次と本文もまた同様である。 同じノンブルを示す際に、 なぜ異なる書体をわざわざ選択するのだろうか (書体はウェイトはちがえても同一のファミリーを用いるべきであろう)。 皆川博子の2冊は、 版元は別々だが組版も造本もとてもしっかりしており、 手放すことなく持っている私の愛読書であり、 それだけにこうした無神経な仕事はとても残念である。
図7、 図8、 図9を見て欲しい。 これは、 関根忠郎・山田宏一・山根貞男 『増補版 惹句術』 (ワイズ出版、 1995年、 精興社+飛来社) の映画題名索引、 惹句索引、 本文だが、 たとえば同じ 「222」 というノンブルが同じ書体で連動している。 リンク付けが誰にもみえる同一書体を用いたスタイルでなされており、 論理が立っている。 ちなみに、 この本ではノンブル以外の本文中の洋数字は別系統の書体が用いられており、 洋数字という同じ文字クラスであっても、 「本の地図」 としてのノンブルは別扱いにされているのだ。
もうひとつ例を挙げよう。 図10、 図11は、 草森紳一 『あの猿を見よ 江戸佯狂伝』 (新人物往来社、 1984年、 文栄印刷+小泉製本) の目次と本文である。 ここでも目次と本文のノンブルには同一の書体が使われていて分かりやすい。
すべては論理である。 後に紹介した2冊は、 だれがみても分かる理屈が通っている。 もっとも、 いついかなるときも必然でつながりあっていなければならないというわけではなく、 特別な理由があればわざと 「外す」 場合もあるだろう。 しかしその場合にも、 誰に対しても言葉で説明できる理由がなければならない。 「本」づくりに必須なものは、 ブツとしてしっかりと丈夫な製本と、 テキストの階層と構造を明確にする組版である。 ここに電子書籍に対する紙の本の特性と優位性がある。 図1~図6に例示した3冊のように、 本文と目次、 本文と索引とのつながりを断ちきったところで、 論理も通らぬままに書体をあれこれ使って飾りたてる無定見は論外である。
連載「組版夜話」もくじ
- 第1話 千遍一律なルールという思い込みの罠 2020.7.11
- 第2話 和文組版は“日本語の組版”ではない!? 2020.7.30
- 第3話 小ワザをいくら積み上げても砂上の楼閣 2020.8.11
- 第4話 ベタ組みは和文組版の基礎リズムである 2020.8.30
- 第5話 「原稿どおり」をめぐる混乱 解決の切り札は何か 2020.9.11
- 第6話 ルビ組版を考える(上) 2020.9.30
- 第7話 ルビ組版を考える(下) 2020.10.11
- 第8話 用字系の個々の歴史を無視して斜体を真似る勘違いと思い上がり! 2020.10.30
- 第9話 千鳥足の傍点はどこから来たのか 2020.11.11
- 第10話 段落の始めの字下げ(空白)は文字なのか、空きなのか? 2020.11.30
- 第11話 索引のはなし(上) 2020.12.11
- 第12話 索引のはなし(中) 2020.12.30
- 第13話 索引のはなし(下) 2021.1.11
- 第14話 行間と行送り 2021.1.31
- 第15話 続・行間と行送り 2021.2.11
- 第16話 続々・行間と行送り 2021.2.11
- 第17話 字送りと行長 2021.3.12
- 第18話 URLという難問 2021.4.2
- 第19話 続・URLという難問 2021.4.11
- 第20話 組版の品質を上げるひとつの点検方法 2021.4.29
- 第21話 行末の句読点ぶら下げは,はたして調整を減らす「標準」なのか 2021.5.17
1954年、大阪生まれ。新聞好きの少年だったが、中国の文化大革命での壁新聞の力に感銘を受け、以来、活版―電算写植―DTPと組版一筋に歩んできた。
1992-1993 みえ吉友の会世話人、1996-1998 日本語の文字と組版を考える会世話人、1996-1999 日本規格協会電子文書処理システム標準化調査研究委員会WG2委員。現在、神戸芸術工科大学で組版講義を担当。
汀線社WEB https://teisensha.jimdofree.com/
KDU組版講義 http://www.teisensha.com/KDU/
繙蟠録 http://www.teisensha.com/han/hanhanroku.htm