この男、歴史を狂わす。映画「利休にたずねよ」
女と金にしか興味のないゲスで高慢な男が天下人となった。そんな男と不運にも同じ時代に生まれ切腹を命じられた千利休。利休が秀吉との確執から切腹を言い渡されるまでの時を遡り、その時々に関わりがあった人物と茶道に美意識を傾けた、茶人、千利休の生涯を描いた物語。
天正十九年二月二十八日、利休(六十九)切腹の朝。縁側で白装束に身を纏い、静かにその時を待っていた。外は春の大嵐。京の聚楽第にある利休の屋敷は豊臣秀吉の三千の兵士に囲まれていた。「茶人一人に、三千の兵を差し向けるとは。私はただ、茶の道に精進してきただけ。天下(てんが)を動かしているのは、武力と銭金だけではない」と呟きながら今までの歩みを思い起こす。
時は、織田信長が天下を獲ろうとしている時代。豊臣秀吉がまだ木下籐吉郎で、信長の足軽に紛れ込もうとしていたときの事。信長は武将の褒美として土地以外の価値あるものを与える仕組みとして茶を利用していた。そこで茶頭たちを集め、茶器に価値をつけたり、北宋の趙荘の掛け軸や唐物の肩衝(かたつき)に大金を積んで買いあさっていた。そこへまだ堺の三茶人の1人であった宗易(後の千利休)が一つの黒漆塗りの硯箱(すずりはこ)を持って来た。宗易は、その硯箱を縁側に置き、裏返した硯箱の蓋に水を注いだ。それを見た信長は袋に入っていた金を全て宗易に与えた。そこには何と金箔と螺鈿で飾られた花びらと波模様の間に夜空の月を水に映し出していた。
「美は私が決めること。私が選んだ品に伝説が生まれます」
絶対的な美意識を持っていた利休、信長も利休のその美意識に信頼を置いていき、次第にその特異とも言える審美眼とストイックさは茶の湯を日本文化の頂点にまで高め、茶の湯による身分を超えた人間同士の絆は、日本の歴史をも動かしていく。
ところで、今回は、利休がまだ19歳の時に駆け落ちした高麗の美しい女性が登場する。その女性は、高麗からさらわれてきた女性で、三好長慶のそばめとなる運命の女性であった。その女性と結ばれなかった利休は亡くなった女性の爪を小さな器に入れて死ぬまで肌身離さず持っていた。
心中まで考えていた高麗の女性。その女性にずっと思いを寄せている夫に気づきながらも夫を愛する妻。最後まで謎とされている秀吉との確執の理由。聖人とも呼ばれていた利休の人間的な部分。また利休好みと言われる木地、黒・朱の塗り、無地のシンプルな器や、茶室。美しさとは何モノか、正しい事とはナニ事か、合理的な用の美とは、どのようにすれば良いのか。日本文化の美しさの起源も垣間見れた映画でした。