木簡の臨書
書道の三体(行書・草書・楷書)は一通り臨書をしていますが、
漢字の古筆である木簡の臨書を2019年のお正月から始めて半年。
だいぶサマになってきました。
臨書をコツコツやることは自分の腕を磨くと同時に、古い歴史のなかで
人々がどのような文字を書いてきたのかという時間を旅するような感覚になります。
例えばこの「木簡」(竹に書かれたものは竹簡という)は、宋の時代の名筆といわれる
米芾でさえ手に入れることができなかった貴重な資料で、今となっては書道史を学びたいものがお手本として印刷されたものが出回っていますが、宋以前の漢魏の肉筆を直接見ることなどできませんでした。
今、書道愛好家のなかで取り上げられているのは金石文などにはない肉筆のいきいきとした筆致が、二千年の時を越えて、投げかけられているという、振り返りの研究があったからです。
隷書の、最も古い響きがそこに美しく、人の手の動きを想像し、感動と震えを覚える、という極めて単純に、ダイレクトに響くものだったとされています。(天来書院「木簡」p51参照)
この臨書は、その文字自体の美しさを追いすぎると、手が震え、伸びやかさを失ってしまいます。緊張感と伸びやかさという両極にも思える2つの要素を持ってこそ自分のものとしていきいきと書けるものだということも、ここまで進めて来て感覚で得たことです。
ですので、わたしのやり方としては文字の意味を追うより、ここでは気持ちを研ぎ澄ませて、伸びやかな呼吸と、緊張した筆先と身体の動きで臨書を行っています。
そしてここに書かれた文字たちは非常に親しみのある形をしています。
丸み、ハネ、力の入る箇所の太さなど、毛筆の性質と、手の動きを想像しやすい親しみやすさがあり、右に下がる文字が多いこともあり柔らかさが伴います。
毛筆の楽しさは、真似ることにもあります。シャープペンやボールペンでは感じられないような
筆のあらゆる側面を使ってこういう文字であっても呼吸しながら「身体で書く」ところにあると思います。