国宝のなかの書字をみて・東博『正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―』
奇跡的な保存力を誇る日本の宝庫「正倉院」の展覧会があり、会期終了前ギリギリに駆け込みました。後期の展示物しか見られなかったのですが、冒頭の経巻の緻密な筆致には驚愕しました。
正倉院といえば、誰もが小学生の社会の教科書などで見たことのある奈良の東大寺付近に位置する宮内庁管理の宝の倉庫です。建築の視点でみても、日本の風土や気候に合わせた保管力を持つ校倉造(あぜくらづくり)の高床式であり、極めて優れた建物であることも有名です。
東大寺の大仏に聖武天皇が早く仏の世界に安住されることを願った光明皇后が書かれた経巻を始めとする宝が展示され、その日々の筆文字の素晴らしさには感銘を受けました。魂が一文字に込められているということもそうですが、呼吸や整然と並んだ文字には心穏やかに時に向き合っていることが見て取れたからかもしれません。
文字を書くまえに「このように書いてやろう」というような気持ちは、わたしは不要だと考えています。それよりは文字を間違えないように、と考えているようにということのほうが大切な気もします。
このような整然と並んだ一文字一文字に魂が込められたような、それでいて冷静にすべてを鳥瞰したような距離感で向かうという文字に感銘を受け、書というものはそのときの感情や思い、その人の性格なども現れてしまうものなのだなぁとあらためて実感しました。
わたしは藤原行成、弘法大師(空海)、良寛の文字などに惹かれていますが、文字の向こう側にふとその人の姿が立ち上がってくるからかもしれません。ただ美しいというだけではなく、その人がどのように生きてこられたか、それらを語りかけてくれるのはデータでおとしていく今の活字以上に、毛筆で書かれた文字なのかもしれない、そう思って、書で追求したくなるのかもしれませんね。