ベタ組みは和文組版の基礎リズムである ~連載「組版夜話」第4話~
美しい組版とは分かりやすい組版である。 活版の時代に獲得して定着した組版のベタ組みは、 日本語の文章に明晰な階層性をもたらし論理性を獲得させた土台であった。 それが、 DTPの時代になって変幻自在な 「自由」 さがさまざまな混乱をもたらしていないか。 昨今、 一部にみられる本文ツメツメのプロポーショナル組版の問題をどう考えればよいのか。
知人に教わった上田宙さんの 「ベタ組について考えてみた」 (2020/08/03、 烏有ブログ) は、 そうした新奇な (!) 「プロポーショナル組が理想、 ベタ組は妥協」 という意見に対して、 「本文は読みやすさ優先でベタ組、 見出しは文字数が少ないので、 読みやすさより見た目の美しさ優先でプロポーショナル組」 という立場を表明している。 その理由として上田さんは、 「プロポーショナル組の本文を読んでいると、 読むスピードが早くなったり遅くなったりして、 船酔いのような気持ち悪さを感じてしまう。」 と述べている。
同感であり、 意見にも賛成だ。 だが、 「普段の会話のとき……おおむね1音1音は等ピッチで話している」 「いってみればベタ組でしゃべっているようなもの」 と言われると、 はてな? と思う人もいるかもしれない。
たとえば数を数えるときはイチ、 ニイ、 サン、 シイ、 ゴオ、 ロクと、 1音ずつでなくとも2音1拍でリズムをとるから確かにベタ組みだが、 〈話す〉ときはふつう、 /喋る/時は/とか、 /喋る時は/とか、 ひとまとまりごとのプロポーショナルでやり取りしている。 〈読む〉ときはどうか。脳と心の情報処理という視点から読む行為を調べた苧阪直行さんは、 『読み 脳と心の情報処理』 (朝倉書店、 1998) ほかで、 眼は等間隔で動くのではなく、 停留とジャンプを繰り返すといっている。 つまり、 〈読む〉ときも人は、 あくまで自在に言葉をつないだり、 飛び越えたりしながら、 文字のあいだをプロポーショナルに行き来している。 そして実は、 この人間の自由な思考を可能にするのが、 前提としての文字の均等均質性である。 フラットに等幅で配置され組まれた文字が、 読みの連続性 (自在な停留とジャンプ) を支える。 読み手は、 書き手から伝達された情報を読み取り、 自分の考えとつきあわせて 〈考える〉。 組版のベタ組みが、 受け手の、 読みのプロポーショナルを支えているのだ。 送り手と受け手との区別に留意したい。 組版の立場はどこにあるのか。
「船酔いのような気持ち悪さ」 とは、 伝達された情報を理解しようとする読み手のプロポーショナルなリズムが、 表現に過剰に入り込んだプロポーショナルなリズムとの間で不協和音を引き起こした結果である。 テレビのテロップで、 途中の文字サイズを大きく太くしたり、 (笑い) などと表示されると 「煩い」 と感じるのは、 この伝達の役割のなかに、 押しつけがましい表現を紛れ込ませているからに他ならない。
本文組版は、 表現を控えて伝達を第一義とする。 折り返し改行という切れ目を、 読み手にできるだけ意識させないように機械的に連続させること――ベタ組みというこの基本技法の確立によって、 活版印刷以降の本文組版は基礎リズムを獲得し、 この基礎の上に論理性と明晰さを実現した。 1枚ものの整版印刷では墨継ぎや意味改行などの手書きの有意味な切断を模したが、 活版印刷では文字が等幅に並び、 機械的な折り返しが全面化した。 変化の背景には、 中近世までの、 私信としての文書(もんじょ)から、 近代の公的な出版への解放という歴史的転換がある (歴史の転換はしばしば道具とその関係に現れる)。
組版は、 句読法も取り込み、 必要な調整を加えた機械的な改行を淡々と繰り返す。 ここに読みの連続を支える組版の基礎リズムがある。 ベタ組みこそが和文組版の基礎であり、 自由な読みと思考を助ける。 人間が刻むリズムが、 世界を支えている。
関連:上田宙 「組版について、 ふだん考えていること (編集者を志望する文学部生用の資料から主に組版に関する部分を抜粋)」 〔PDF、 2015/9-2020/01〕/ 前田年昭 「組版からみた読みやすさとは何か」 『現代の図書館』vol.42, no.2, 2004-6
連載「組版夜話」もくじ
- 第1話 千遍一律なルールという思い込みの罠 2020.7.11
- 第2話 和文組版は“日本語の組版”ではない!? 2020.7.30
- 第3話 小ワザをいくら積み上げても砂上の楼閣 2020.8.11
- 第4話 ベタ組みは和文組版の基礎リズムである 2020.8.30
- 第5話 「原稿どおり」をめぐる混乱 解決の切り札は何か 2020.9.11
- 第6話 ルビ組版を考える(上) 2020.9.30
- 第7話 ルビ組版を考える(下) 2020.10.11
- 第8話 用字系の個々の歴史を無視して斜体を真似る勘違いと思い上がり! 2020.10.30
- 第9話 千鳥足の傍点はどこから来たのか 2020.11.11
- 第10話 段落の始めの字下げ(空白)は文字なのか、空きなのか? 2020.11.30
- 第11話 索引のはなし(上) 2020.12.11
- 第12話 索引のはなし(中) 2020.12.30
- 第13話 索引のはなし(下) 2021.1.11
- 第14話 行間と行送り 2021.1.31
- 第15話 続・行間と行送り 2021.2.11
- 第16話 続々・行間と行送り 2021.2.11
- 第17話 字送りと行長 2021.3.12
- 第18話 URLという難問 2021.4.2
- 第19話 続・URLという難問 2021.4.11
- 第20話 組版の品質を上げるひとつの点検方法 2021.4.29
- 第21話 行末の句読点ぶら下げは,はたして調整を減らす「標準」なのか 2021.5.17
1954年、大阪生まれ。新聞好きの少年だったが、中国の文化大革命での壁新聞の力に感銘を受け、以来、活版―電算写植―DTPと組版一筋に歩んできた。
1992-1993 みえ吉友の会世話人、1996-1998 日本語の文字と組版を考える会世話人、1996-1999 日本規格協会電子文書処理システム標準化調査研究委員会WG2委員。現在、神戸芸術工科大学で組版講義を担当。
汀線社WEB https://teisensha.jimdofree.com/
KDU組版講義 http://www.teisensha.com/KDU/
繙蟠録 http://www.teisensha.com/han/hanhanroku.htm