清水義範『世界文学全集 千一夜物語』から読み解く「都知事選」
混迷極まる令和六年都知事選
ここで思い出す『世界文学全集』
史上最多・56人の候補者を擁して混迷の内に終わった、令和6年の都知事選。
小池百合子現知事の三選で決した都知事選。
泡沫候補や選挙戦もろもろのスッタモンダはさておいて、ここで思い出されるのは平成初期に発表された『世界文学全集』(清水義範)。
画像は集英社公式サイトより引用
『世界文学全集』といってもほんまもんの世界文学全集ではない。
聖書にオデュッセイア、ドン・キホーテにファウスト、罪と罰…世界の名だたる名著をネタに、パロディ作家の清水義範氏が独自のエッセンスを加えた「パロディ小説集」なのだ。そして大事なことは、初版発表が1992年、平成4年なことだ。ゆえにパロディのネタは当時の日本の世相が濃厚に香る。バブル弾けたとはいえ繁栄の極みの平成初期。戦後初の海外派兵に揺れる湾岸戦争。そして大手町から新宿に移った東京都庁。東京一高いビルが都庁というのは「権力者の奢り」として批判のネタになった都庁ビル。そんな時代の揶揄の物語である。
たとえば冒頭の「オデュッセイア」。
本来は古代ギリシャの詩人・ホメロスが詠う叙事詩、英雄オデュッセウスの漂泊の物語。
トロイア戦争に勝利したオデッュセウスだが、帰還の道中であろうことか海神ポセイドーンへの侮辱発言に走った。ゆえに祟りで故郷への速やかな帰還を妨害され、10年に渡って地中海漂泊の旅を強いられる。
だが平成初期、清水氏のパロディは「悪の大統領・フセイドーンによって捕らわれの身となった日本商社海外駐在員・織田誠也(おだせいや)の苦難の帰還の物語」と相成る。輝く瞳の軍神アテナならぬスポーツ平和党の党首「輝く顎の闘神・アントニー」、オデッュセウスを愛して引き留める妖精カリュプソならぬ、「我らが首相・タケシッタの次の次。米は絶対輸入せんぞの支配者」「こんな時だけ顔を出す日本国首相・カイプゾー」。
彼らの援助で辛くも解放された織田誠也は筏で海に放り出され、流れ着いたのは風の谷。彼を救った少女・ナウシカアは語る。「私が心配しているのは、何故私がここにいるのか読者が解らないからです。なぜなら、私は本来はここに登場する人物だからです」
ここへ編集の神ヤマダが天上界で事の次第を語る至高の神・チミズヨシに「ペースが遅すぎますぞ」と不平を漏らす。チミズヨシの神はリモコンの子・ハヤオクリを呼び出し7倍速で物語をスピード解説、織田誠也はフィリピノアを経て苦難の末に自宅に帰り着き留守宅に居つく芸能リポーターを成敗し、妻ペネ子はただあらあらと驚いてメデタシメデタシ。
一連の物語モデルはイラク湾岸戦争、現地在住の外国人を人質にとった時のフセイン大統領の策略であることは言を持たない。海部首相政権下だった日本のもどかしい対応。そんな中でイラク入りし、「スポーツと平和の祭典」開催の名目で日本人人質41人を解放させたアントニオ猪木。
当時の北海道新聞の夕刊、若者向けお便りコーナーに
「ジョン・レノンが生きていたら戦争なんかなかったのに!」
などという青臭すぎるメッセージが載せられていたのもまさに戦後の若者
ビデオテープの早送りリモコンなど、令和の子は誰も知らないだろう。
「世界文学全集」は、世界文学をネタに平成初期の世相を茶化した内容。
「水滸伝」は、ふとしたことで大金を相続したやくざ者が立ち上げた結婚式場「水滸殿」
何故か北野武(当時はビートたけし)をイメージさせる台詞入り、ゴシップ雑誌記事の体裁を借りた「ボヴァリー夫人」などなど日本がバブルに浮かれていた平和ボケの平成初期をこね混ぜた物語世界。
さて今回の選挙問題を思い出させたのは当『世界文学全集』の一篇「千一夜物語」だ。
もちろん、中東の説話集「千一夜物語」にかけたパロディである。
バブルの塔が聳えるトキョトの国
老王ススキハーンの運命は?
ある所にワライハール王とフーキダス王という、兄弟の王がいた。二人はそれぞれの王国を滞りなく納めていたが、悪いことに「ダジャレ」が大好きだった。家臣たちにつまらないダジャレを披露する。文武百官は心得たもので大爆笑してやる。こうして王国は平和に治まっていた。だがある時、王は家臣らが自分のいないところで「王様の殺人的につまらないギャグ」をケチョンケチョンにけなす場面を立ち聞きしてしまう。
ショックを受けた王は「笑いの禁止令」を発布。かくてお笑い芸人はことごとく職を失い、陰鬱な空気が国を覆う…このあたりは当時から数年前、昭和帝御不例時の自粛ムードを意図したものだろうか。
そんな世相を出すべく、大臣の娘・シャレザードとボケザードの姉妹が王の夜伽に出る。そして千一夜に渡って面白おかしい話をして王を笑わせる。王は笑い禁止令を撤回し、シャレザードはワライハール王と、ボケザードはフーキダス王と結ばれてめでたし…が話の骨子。当然ながら物語世界は平成初期の世相がエッセンスとなる。シャレザードが第5夜から6夜に渡り語るのは『老人とキザな男の物語』…
ある所にトキョトという国がありました。その国の王様はススキハーンといって、歳はもう80になっていました…
このススキハーン、若い時分は国の借金を返して名君と称されていたが、老いるに従いボロが出る。建築界の重鎮・タンケハーンに命じて、天まで届くような「バブルの塔」を建てさせる。土地の高騰でウサギ小屋にも住めない民はバーコード頭の塔に恨みを募らせ、ススキハーンの求心力は失われていく。これを見た影の権力者・ジミジミ団のオザワールはススキハーンをお払い箱にしようと目論み、ちょっとキザですが海外との付き合いが上手いイソッマルなる人物を擁立する。進退窮まったススキハーンは魔法のランプを取り出し、ランプの魔神のアドバイスの元に権力奪還を図ったのであった…
ところが老人とキザ男が王位を巡って争っているところに割って入ったのが、「スポコン団」の長で、もとは力持ちの大道芸人だったアントンクン。アントンクンが王位継承問題に口をはさんだのはつまらない過去の恨みだった。かつてアントンクンがアリババなる男と力比べをした折、茶番だと揶揄したのがイソッマルだった。恨みあるイソッマルを王にしてなるものか、だからこそ王に俺はなる。
そこで困ったのがオザワールだ。アントンクンに出てこられては、若者に「シジ」が流れてしまう。ここでオザワールが取り出したのは魔法の金庫による「金縛りの術」だった。ここでアントンクンは力を失いあっさり勇退してしまう。
ここで何故か語り手のシャレザードは話を中断し「撤退発言の時に『誰が王になっても同じことだ』と言ったのは少しひどいと思います。政治の場にいる人間が本当はそうだと思っても絶対に行ってはいけないのですから。いくらプロレスに負けたのが悔しくても…」
と私見を述べる。
だがアントンクンが引いてもイソッマルの支持が上がらない。民衆はイソッマルの背後のオザワールの存在を見抜いている。そして老いたるススキハーンに次第に同情していく。
一方でかのランプの精は「真向法の絨毯」なるものを取り出す。その絨毯の上で腰を曲げれば「80歳とは思えないほど」体が柔らかくなり、楽々と屈伸運動ができてしまう。魔法の力で王の老いを覆い隠す策略だった。
老人とキザ男が王位を争う周辺では吟遊詩人のモスキート、空飛ぶ靴を発明したハツメイオーらがさんざめいて賑やかなことであった。
時の東京都知事は鈴木俊一氏。対する元NHK記者で1976年発行のベストセラー『ちょっとキザですが』の著者・磯村尚徳氏。スポーツ平和党のアントニオ猪木氏…結局のところ齢80の鈴木俊一は四選を勝ちぬく。物語のモチーフは平成3年の都知事選だ。もちろんバブルの塔こと新宿の東京新都庁舎は建築界の第一人者・丹下健三の設計。
トーヒョジョの戦いでススキハーンはイソッマルを圧した。かくてススキハーンはバーコード頭のバブルの塔の前で「開けガマ!」と高らかに宣言しました、下手の考え休むに似たり、でありましょうか。とシャレザードは話を〆る。
バブルは弾けたとはいえ、繁栄の極みの平成3年。
ネットもSNSも無かった、ある意味で「平和」な時代の物語。
振り返って今回の令和6年都知事選、小説のネタにするならばトピックがあり過ぎてあり過ぎて…詳細はとてもここでは書けないが、かの「シャレザード」はどのように話をまとめてくれるだろうか。
(メイン画像はWikimedia Commonsより。スペインの著名なイスラム建築・アルハンブラ宮殿の夜景)
©Hans Bernhard