怪奇小説『白魔の塔』と念仏トンネル
ミステリー作家・三津田信三の『白魔の塔』を読む
時は戦後間もない時分、わかき海上保安庁職員・物理波矢多(もろといやはた)は、灯台職員、いわゆる「灯台守」の職に就く。もともと波矢多は満州で「五族協和」の目標を達成すべく勉学に励んでいたが学徒動員され、出征先の内地で敗戦を迎えた。恩師も、学び舎も、満州国が崩壊した現状では忘却の彼方。彼は空虚感を埋めるべく、そして戦後復興の足がかりとなるべく、航路を照らし舟を守る「防人」(さきもり)としての務めを、新たな目標としたのであった。関東地方で初任務をこなした彼が新たに赴任したのは、東北の巌栖(がんせい)地方、轟ヶ崎灯台。巨大な岩塊が海中から幾重にも突き出す岬の突端に、その「白魔の塔」はあった。
灯台への案内を拒む村人、灯台への道中で彼を襲う既視感、迷い道の途中で出会った正体不明の母子。村人が恐れる「白もんこ様」の正体とは?
作者・三津田信三の本領であるところの「人外の物に追われる恐怖 その心理描写」はここでも遺憾なく発揮される。母子からもらった魔除け布をうっかり藪の中に捨てた瞬間、草木の中にするすると吸い込まれていく。瞬間、主人公を襲う怪異が恐ろしい。
さて、怪奇小説である本作だが、灯台が舞台であるという設定上、日本や海外の「灯台の歴史」、自動操作される以前の灯台の構造、点灯の原理とその守備点検を旨とする「灯台守」の生活、そして灯台を舞台とした怪奇小説などが説明されているのも面白い。広範にして細密な「蘊蓄」こそ、三津田文学の魅力である。
その蘊蓄を読み込むうちに意外な懐かしい記述を発見した、筆者の故郷・北海道積丹半島突端・神威岬の神威岬灯台である。
神威岬は、北海道日本海沿岸の難所である。岬の突端には、高さ40mはある巨岩・神威岩が傲然と屹立している。ここには和人の女を嫌う神が棲むとされ、岬以北は和人女性は航海を禁じられていた。幕末に「女人禁制」は解かれたものの、女性を乗せた船の航行は昭和初期になってもはばかられていたという。難所である岬には明治になっていち早く灯台が築かれたが、灯台守の生活は過酷だった。市街地に出るには、岬の突端から馬の背の稜線を歩み、つづら折りの坂道を下りて危険な岩礁を歩まなければならない。明治のころだから、ゴム底の丈夫な靴もない。
そんな折の大正元年、灯台から市街地へ買い物に出た職員の妻が、途中の岩礁で波にさらわれ水死してしまった。事件を受けた職員、そして地域の村人たちは事件にかんがみ灯台職員の生活の便宜をはかるため、波打ち際にトンネルの掘削を開始した。だが工事関係者は専門の技術者ではなく、地元の村人である。岩盤の両側から掘り始めた穴は測量のミスにより、いつになっても貫通しない。結果、掘る方向を変えたことでようやく貫通したが、クランク状に折れ曲がった内部には日が差し込まず、真の闇。歩めば不安感から思わず念仏を唱えてしまう。そんなわけで、完成したトンネルは「念仏トンネル」と呼びならわされるようになった。
この念仏トンネルは灯台職員の貴重な交通路として、灯台が無人化された昭和中期以降はハイキングコースとして親しまれていた。筆者も昭和末期、そして平成のヒトケタ時代に、このトンネルを歩んだ記憶がある。だがトンネルや遊歩道は波に打たれて荒廃、やがて尾根の上に安全な自動車道路が開通した平成中期以降は危険として閉鎖されてしまった。いまや、尾根の上の遊歩道から片側の口を望むのみの念仏トンネル
以上、3葉の写真は、筆者が平成25年秋に神威岬を再訪した折の撮影。
あいにく天気には恵まれなかったが、傲然と聳える断崖絶壁、
そして灯台が有人だったおりの、職員の生活苦がしのばれるだろう。
念仏トンネルは、現在は通行止めのため山峰の展望台から片側の出入り口のみうかがえる。
写真右側、岩陰のくぼみに穿たれた円形に近い穴が、岬側の出口である。
写真左手の岩は、通称「水無の立岩」。
トンネル出口から望んだ絶世のプロホーションも、昔語りだ。
そんな地域の懐かしい逸話を見出した、三津田氏の小説である。