ゴールデンカムイの謎 その14 アイヌの人名
魔神に嫌われるため
わざと不潔な名を名乗る
ゴールデンカムイ2巻12話
アシㇼパのコタン(村)に招かれた杉元は、彼女のフチ(祖母)から
「アシㇼパは女の仕事ができない。この子をできれば嫁にもらってくれないか。孫が心配であの世に行くこともできない」と愚痴をこぼされる。
だが当然ながら杉元は、アイヌ語がわからない。
一瞬、祖母の本心に唖然としたアシㇼパだが、咄嗟に杉元には「オソマ(糞。ここでは糞に見た目が似た味噌)食べちゃダメだと言ってる」と嘘を教える。無邪気?に笑う杉元。
そこへ一人の少女が「あたしオソマ」と自己紹介する。
「オソマ」(糞)程度のアイヌ語ならわかる杉元。
「ウンコだろそれ。バカにしやがって」と返せば、すかさずアシㇼパはアイヌ独特の風習を解説する
味噌も糞もオソマ同様に興味深いエピソード
「アイヌの命名法」である。
伝統的なアイヌの風習では、赤子が生まれてもすぐには名前をつけない。
「セタシ」(犬の糞)、「シオンタㇰ」(古糞の塊)、「テイネㇷ゚」(濡れた物)など、わざと汚らしい、仮の名前で呼ぶ。
医学が発展していなかった時代、この世に生まれでたばかりの乳幼児はふとした病であの世へ連れ去られる。
そんな儚い命をまもるには、「病魔」「魔神」から嫌われるようにすればいい。
だからこそ、「シ」(糞)など汚らしい名前を即興で命名する。
「ちなみに「オソマ」は「ウンコする」という動詞的な意味合いがあり、名詞としての糞は「シ」です」。
魔神に好かれれば病に取り憑かれ、あの世へ連れ去られてしまう。
では「善の神」に好かれるのはいいのか?
神の恩寵の元に、健やかに成長できるのか?
答えはNOである
神は愛する人間を、天界へ招こうとする。
だが天界に連れていくには、肉体と魂を分離する必要がある。
つまり、「死ぬ」ということだ。
やはりよろしくないのは同じ。
そんなわけで魔神に好かれないよう、
善神にも、必要以上に気に入られないよう、
わざと不潔な名前を名乗る。
もちろん、名前を不潔にすればそれで安心、という訳でもない。
赤ん坊のシンタ(揺りかご)には匂いの強い植物を吊るして病魔を退散させ、
赤ん坊をくしゃみをすれば魔神を払うべく「シコンチ コㇿ」と唱える。
意味は「糞の帽子かぶった!」
「麻呂」は排泄行為?
古代日本の命名法
このような風習はアイヌに限った事ではない。
古代の和人、大和民族もやはり「不潔」を魔除けにする風習が存在したから面白い。
古代の日本語では、排泄行為を「まり」「まる」などと称する。
幼児用の簡易便器を「おまる」などと呼ぶのは、奈良時代の言葉の名残なのだ。
『古事記』の「国生み」において、
イザナミノミコトは火の神を生んだことで大火傷を負い、
病の床に臥す。
そこで「くそまり」(排便)すればその糞が陶土の神となり、
「ゆまり」(排尿)すればその尿が農業の神となって地を潤す。
死の間際でも、排泄行為からも神を、国を産み出す女神の執念…
その『古事記』が編纂されたのは奈良時代の初期である。
その奈良時代、そして平安時代の初期の人の名といえば、「麻呂」が連想されるだろう。
「柿本人麻呂」「阿倍仲麻呂」この時代の著名な人物は「~麻呂」が定番、
やがて「麻呂」を約めた「麿」なる国字までも考案され、
お公家さんの愛称としても親しまれる「まろ」。
実はこの「まろ」、「排泄」の「まり」が由来との説もあるのだ。
乳幼児の死亡率が高い古代社会。
ましてや奈良時代と言えば疫病の大流行で、官僚の半数が死に絶え国政が大混乱、
時の帝の仏教への系統から大仏建立へと至った時代。
だから、あえて不潔な名前で身を守る。
病魔を避けるべく、「ハード面」では大仏建立。
「ソフト面」では、不潔な名前。
「あおによし」の奈良王朝。しかし医学も栄養学も未発達の古代社会。
そんな時代の実情もほのかに薫る古代の命名法といえよう。
ちなみ古語では、くしゃみを「くさめ」と称した。
一説に寄れば語源は「くそはめ」=「糞を食め」。
アイヌ文化同様、くしゃみは魔神の仕業として、糞の威力で邪気を払うおまじないともいう。
※参考文献
『アイヌ文化で読み解くゴールデンカムイ』中川裕 2019年 集英社新書
『アイヌの真実』北原モコットゥナㇱ 谷本晃久 2020年 ベストセラーズ