ゴールデンカムイの謎 その15 アイヌの人名その2
乳児には「汚い仮名」をつける
ある程度成長してから「本式の名前」をつける
前回の記事では、アイヌ民族独特の「命名法」を紹介させていただいた。
生まれて間もない嬰児。抵抗力のない儚い存在を病魔から守るため、「汚い名前」をつけて病魔から嫌われるようにする。善の神にも必要以上に好かれて神の国にさらわれないよう、あえて汚い名前で呼ぶ。
そんな「不潔な名前バリアー」の威力で無事に乳児から幼児に成長すれば、子どもにはそれぞれの特徴が表れ始める。
そこで、それらネタから「本式の名前」を命名する。たとえば
「シキポロ」
(目が大きい)
「イヌンベカ」
(炉縁の上。炉縁の上で踊ったので)
「タネランケマッ」
(種蒔き女。種蒔き作業が上手い女)
「エカシテパ」
(爺さんのふんどし。生まれた夜に、酒に酔った祖父がふんどしを垂らして帰ってきたから)
「トイタレキ」
(畑で生まれる)
などなど。
美しい名前は名前負けする
神に好かれてさらわれる
中世以降の和人、大和民族。
その中でもある程度以上の身分にある者は
「忠」「義」「信」「清」「和」「康」「則」などなど良い意味、思想的に正しいとされる意味の漢字を組み合わせた名を名乗った。
一方でアイヌの名前にも
「イタキシロマ」
(言葉に重みがある)
「アペナンカ」
(火の女神のような美貌)
など美しい意味、願いを持たせた名前が無いことはない。
だが「良い名前」は「名前に命を吸われて早死にする」
つまり「名前負けする」として好まれなかった。
登別温泉の開基伝承
美貌の娘を襲う不幸
そして名前を付けられる対象である子供が、
人並外れた美貌の持主だったらどうなるか。
そんな例を物語る伝説が、
北の名湯・登別温泉の開基伝説としてある。
昔、あるところに美少女がいた。
大人になればどんな美女になるだろうと期待されていたが、彼女はやがて悪性の皮膚病に感染してしまった。周囲の者が何くれと薬草を探したり祈祷したりと手を施したが効果がなく、やがて「二目と見られない姿」になり、そのまま神隠しのように姿を消してしまった。
周囲の者も「自分の醜い姿を儚んだのだろう」と、あきらめるしかなかった。
だが、これまで一連の出来事は初めから神の策略だった。
彼女の美しさに目を付けた神は、いずれ成長すれば天界に迎えようと考えていた。だが美しい姿のままで下界に置けば、周囲の人間らにけがされる恐れがある。そこで、あえて醜い姿に見せかけ嫌われるように仕向けたのだ。
天に上った娘は神に愛され、6人の娘を生んだ。そのうちの長女は、母親がかつて人間界で病気と誤解され苦しんだ経緯を思い、人間の病を癒すべく登別温泉の神になった。そんなわけで、登別の温泉は特に皮膚病に効果がある、と。
とりあえずは「めでたしめでたし」で終わる伝説。
だが少女の立場から考えればどうだろうか。衆に優れた美貌に生まれ付いたばかりに、理由もわからず醜い姿に変えられる。人生で一番楽しい時期を偏見や好奇の視線を浴びつつ過ごすやるせなさ。彼女、そして両親の悲嘆たるや余りある。
そんなわけで、人並外れて容貌に優れた子には
「魔神に好かれないよう」
「たとえ善の神であっても、見込まれないよう」
あえて「不潔な名前」を本式の名前として命名する。
ゴールデンカムイ2巻12話
アシㇼパが「不潔な名前」として提示した
「オㇷ゚ケクㇽ」(屁をする人)
「フウラテッキ」(臭く育つ)
そして
「アシㇼパの幼名」として設定された「エカシオトンプイ」(爺さんの尻の穴)
は明治期の記録にある、「実際の大人の名前」である。
「爺さんの尻の穴」などと名付けられた人物(記録の上では、その名の持主は男性)は、その実は絶世のイケメンだったのではなかろうか。
※参考文献
満岡伸一『アイヌの足跡』田邊真正堂 1931年
中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』集英社新書 2019年
北原モコットゥナㇱ、谷本 晃久『アイヌの真実』ベストセラーズ 2020年