「内地」の雑煮は地域ごとに違う 北海道の雑煮は家ごとに違う
令和4年、明けましておめでとうございます
コロナは相変わらず喧しい昨今でありますが、ことしもよろしくお願いします。
餅入りの汁物「雑煮」
地域ごとに千差万別
いわゆる「巣ごもり」で海外旅行もできない故、昔ながら、家族のみでの寝正月が定番化した感のある令和の新春。
寝正月の肴と言えばお節に雑煮。
お雑煮。
平たく言えば「餅入りの汁物」。
だがその中身は千差万別だ。
縦に長い日本列島。亜寒帯から亜熱帯までを網羅する日本列島。
山の幸に海の幸、畑の幸。様々な物品を産する日本列島。
汁の出汁は昆布か、鰹節か、鶏ガラか。
はたまた煮干しか、トビウオか。
汁は澄まし汁か、味噌か
味噌なら赤味噌か、白味噌か
あるいは麦味噌か
餅は切り餅か、ゆで餅か
あるいは丸餅か、切り餅か、はたまた餡餅か
メインの具は鶏肉か、蒲鉾か、鮭か、ブリか、あるいは野菜類か。
地域で産する食材、あるいは地域住民が「ご馳走」とする物への意識で
雑煮の中身もおのずと異なってくる。
岩手県三陸沿岸では、根菜を炊き込んだ醤油仕立ての雑煮。
餅は焼いた切り餅。餅はそのまま口に運ばず、「すり潰したクルミ」のタレに付けて食べる。
宮城県仙台市の雑煮は、焼いたハゼの出汁を用いる
東京風の雑煮は、澄まし仕立てで焼いた切り餅、具には鶏と青菜を用いて「なとり」と縁起をかつぐ。
新潟県の雑煮は鮭とイクラ入り
尾張名古屋では済まし仕立て。具は青菜のみ。餅は茹でた切り餅。焼餅は「城を焼く」に通じて縁起が悪い。
京都では有名な丸餅の白味噌雑煮
奈良県では白味噌仕立ての雑煮餅に「黄粉」をつけて食べる。
四国徳島、祖谷の山村では「雑煮」ながら餅を使わない。具は里芋と巨大な豆腐
香川県では白味噌仕立ての餡餅雑煮
九州博多ではトビウオ出汁に茹でた丸餅、具は塩ブリにカツオ菜
鹿児島県では焼き海老出汁の雑煮
日本本土と文化風習が異なる沖縄では、正月は雑煮ではなく白味噌仕立ての豚汁「イナムドゥチ」を食す。
同じ村内でも出身地ごとに異なる
北海道開拓民の雑煮
さて、各地の雑煮を北から紹介しつつ、あえて北海道は省いた。
水産物に農産物の宝庫である北海道。
なのに、何故省いたのか。
北海道には「これ!」というべき雑煮がないのである。
北海道は大和民族の歴史が浅い地である。
江戸時代初期から渡島半島に和人の居住区、そして日本最北の藩である「松前藩」が存在したものの、大半の住民は開拓民や商人として明治以降に入植、移住した者の子孫である。いくら大和民族とはいえ、出身地はバラバラ。
方言も文化も異なる。
なので、意思の疎通を図るため早くから標準語が定着した。
和服よりも防寒性と活動性に優れた洋服が普及した。
だが家庭ごとの食文化までは統一できなかった。
開拓民は出身地の食文化を、北海道で手に入る食材をもって極力再現しようとした。
ハレの日の食事、お正月の雑煮がその典型である。
農文協『日本の食生活全集① 聞き書北海道の食事』から、昭和初期の北海道各地における「雑煮」の実情を探ってみよう。
引用:Amazonより
・北海道東部、十勝支庁清水町 北熊牛
澄まし汁、切り餅。具は豆腐、鶏肉、ホウレンソウ。食べる際に削りカツオをかける
(岐阜県出身者の家庭)
白味噌仕立て、丸餅。
(徳島県出身者の家庭)
・北海道南部 檜山支庁松前町
澄まし汁、切り餅。具はフキ、ワラビ、大根、タケノコ、豆腐、アワビ、焼き蒲鉾
・日本海沿岸、羽幌町焼尻島
味噌仕立て、切り餅。具はかまぼこ、大根、シイタケ、葱、イクラ
・北海道中央部、上川支庁旭川市近郊
澄まし汁、切り餅。ニンジン、ゴボウ、こんにゃく、焼き豆腐。焼いたカレイをほぐして入れる。
(富山県下新川郡出身者の家庭)
全般的に具沢山なのは東日本、関東以北の共通項だが、開拓地の生活ながらそれぞれの出身地の伝統が生かされているのが面白い。
一方、先住民族であるアイヌは、正月にどのような料理を食べていたのだろうか。
もともと「正月を祝う」考えは農耕民族独自の物であり、狩猟、漁労民族であるアイヌにとっては初秋に執り行なう鮭の豊漁祈願祭がよほど大事だった。だが明治以降に和人の風習を取り入れ、正月を祝うようになった
同じく農文協『聞き書 アイヌの食事』より、昭和初期の正月祝い。
引用:Amazonより
・太平洋沿岸 日高支庁静内町農屋
正月の支度としてメンクㇽ(黍)やムンチロ(粟)で餅を搗く
正月にはキナオハウ(山菜の汁物)に焼いた餅を入れて食べる。
これはアイヌ式の雑煮なのだろうか。
ちなみに出汁は小魚の焼き干しと昆布。具は餅以外にダイコン、ニンジン、ジャガイモ、ニリンソウ。
薬味に行者ニンニクを利かせ、少量の塩と獣脂で味を整えるのがアイヌ式である。
※参考文献
『日本の食生活全集① 聞き書 北海道の食事』農文協 1986年
『日本の食生活全集㊽ 聞き書 アイヌの食事』農文協 1992年