ゴールデンカムイの謎20 「モナカ雪と鹿」に見る明治初期の悲劇

北海道
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

水の融点を上下するあやふやな気温
雪が解けて凍れば「モナカ雪」

 ゴールデンカムイ3巻

 画像はamazonから

鶴見中尉らに囚われになるものの、白石にアシㇼパの手引きで脱出した杉元。
自身らを運んでくれた馬は「足が付くから」との合理的?な判断でお肉にして桜鍋を堪能する。ここで初めて「オソマ」を堪能するアシㇼパ。桜肉の臭み消しには味噌味がよろしい。

『オソマ美味しい』。

 英気を養った一行は小樽の市街を離れ近郊の山林へと潜入するが冬の北海道だ。すでに地面は3尺を越す雪に覆われている。 そこで鹿の足跡を発見した2名は新たな食料を求めて後を追う。

 アシㇼパはチンル(かんじき)履きで雪原をスタスタと歩く。

だがツボ足(かんじきやスキーなど雪上用の装備のない、靴を履いただけの足)は足元に迷うばかりだ。表面は堅雪。だが足を進めれば堅雪は体重で砕ける。落ち込んだ下はサラサラの粉雪。ズボズボ埋まって、歩きにくい事この上ない

 『情けないシサㇺ(和人、大和民族)だ』、とあきれるアシㇼパ。

 キャプションは伝える

 『通称「モナカ雪」と呼ばれる雪質』。

 フワッと積もった新雪が、ふとした暖気に遭う。雪の表面は融点以上の温度のままに融ける。だが夜を迎えて気温が氷点下に下がれば、融けた雪は凍り付く。

昼間の暖気で侵されたのは表面のみ。夜の寒さで凍るのも表面のみ。

 かくて「外はカチカチ 中はサラサラ」の雪質が生み出される。

だがいくらカチカチとはいえ、体重を支えるほどの強度はない。足を載せれば表面は砕け、そのまま中の新雪にズボリと埋まる。

 これが「モナカ雪

 北海道でモナカと言えば「マルセイバタサンド」で有名な製菓会社「六花亭」の「ひとつ鍋」…というお国自慢はさておいて、

銘菓「ひとつ鍋」。画像は六花亭ホームページより

モナカ雪と鹿の組み合わせは意味深い。

明治後期の物語世界から30年ほど前に発生した大規模モナカ雪現象は、明治の北海道開拓と同時にアイヌの生業を根底から覆したのである。

 空気のように存在した鹿は
外貨獲得のために乱獲された

明治の開拓以前、エゾシカ、アイヌ語名ユㇰは「空気のように」、あまりにも当たり前に存在した。「鍋を火にかけてから狩りに行く」という言い回しもあったほど簡単に狩れた。

アイヌの伝統信仰では、熊やタヌキ、狐に兎など狩猟の対象となる獣は「神が人間のために毛皮と肉を携え、この世にあらわれた姿」とされる。

 だが山の鹿、そして海の鮭は別格。

天界に「鹿をつかさどる神」「鮭をつかさどる神」がそれぞれ住まい、人間のために袋から鮭を海に撒き、山に鹿を投げおろす。特に鹿の生息数が多い道東地方では、神が鹿を投げおろす特定の山がある。山上で雷が轟く折は、神が鹿を投げおろす兆し。

江戸期のヤウンモシㇼ(アイヌ語で北海道本島)には、実に50万頭にも上るエゾシカが生息していたという。

 だが明治維新を迎え北海道と名を変えたヤウンモシㇼには続々と内地の開拓民が、猟師が押し寄せる。千古の密林は伐開されて畑に変貌し、森に群れる鹿は乱獲の憂きに遭う。もともとアイヌのシカ猟はアマッポ(仕掛け弓)を仕掛けるか、崖から追い落とすか、あるいは雪上に追い込んで撲殺する程度の簡素なものだった。だが鉄砲を携えた和人猟師に容赦はなく、1873年からの5年間で実に22万頭が捕獲されたという。

目的は外貨獲得だった。毛皮はフランスへ、角は恐らくは漢方薬の原料として中国へ、そして肉は官営の工場で「缶詰」に加工され海外へ輸出された。

ゴールデンカムイの「聖地巡り」で札幌市郊外の「北海道博物館」「北海道開拓の村」を訪れた方は、「輸出用缶詰」の複製品をご覧になられた方も多かろう。

1874年、現在の苫小牧市で操業を始めた鹿缶工場は、実に日本最初の缶詰工場だった。

苫小牧市ホームページより「開拓使美々鹿肉缶詰製造所跡」

1878年にはパリでの万国博覧会に出品されて好評を博し、同年には8万缶弱の生産量を誇る。もちろん、その陰には乱獲とアイヌのイウォロ(猟区)への侵犯があったことも事実だろう。

 固雪と寒気で
絶滅に瀕した鹿

だが破滅は早かった。
翌年の1879年2月下旬、北海道は暴風雪に見舞われた。

2月22日深夜から丸一日、膨大な量の降雪を見た。道内では温暖な函館ですら新たな積雪量は1メートル以上、豪雪地帯の札幌では降雪量2メートルに達し、アシㇼパの出身コタンと設定される小樽市では倒壊家屋20戸、死者20名以上に及ぶ。

 鹿は草食動物である。
地面の草が雪に覆い隠される冬季間は、足で地面を掘り起こして草を食う。

あるいは雪原から突き出す樹木の幹に噛り付き、樹皮を剥いで喰らう。不味い樹皮で命を綱つなぎ、過酷な冬を乗り切っていく。

だが積雪2m。

鹿の体高を越える膨大な積雪量だ。脚で雪を掘るには深すぎ、樹皮を剥ごうと首を伸ばすも、足は新雪に埋まり体力を奪う。餌を求めれば体力を奪われる辛さ。

そして3月上旬、詰めの一手が到来した。

大雨が雪原に降り注いだのである。だが雨滴は雪面に至っても雪を融かすことなく、そのまま雪と交わり凍り付いた。そして鹿自身をも氷で固めていった。

ガチガチに凍り付いた雪原、踏めば砕けるモナカ雪どころではない雪面。雪を掘って地面の草を得ることも、幹を嚙んで樹皮を剥ぐことも不可能。
水と氷を纏わされ体力を奪われたシカは、飢えと体力消耗の末に斃れていった。
その数、実に数十万。

 春を迎え完全に根雪が融ければ、大地には鹿の遺骸が点在していた。春の暖気を浴びて、除去に崩れていった。北海道東部、十勝地方だけでも推定死鹿数は16万頭、腐敗死体で水源は汚れ、流域の住民は飲料水の臭気に耐えられなかったと語る。

 かくてヤウンモシㇼに振り撒かれる鹿の恵みは失われ、鹿缶工場は閉鎖に追い込まれた。そしてユㇰランケカムイ(鹿を降ろす神)の恩恵を最初に享受すべきアイヌは、その生活圏と財産を根底から覆されることになった。

 ゴールデンカムイ3巻 第22話

 アシㇼパのアドバイスでトドマツの新芽を噛みサルナシの樹液で喉を潤した杉元は、サルナシの蔓で即席のかんじきを作ってもらう。
そしてアシㇼパから鹿の伝説を教わる。

 『ユㇰは鹿を司る神様」が地上にばら蒔くものと考えた』

人間に食べ物として与えてくれたものと…

でもある年の冬、鹿が食べ物を掘り起こせなくなるくらいの大雪が降った』

鹿が大量に死んでいなくなった』

鹿を食べる狼も死んでいなくなった』

 ゴールデンカムイの舞台は日露戦争直後の明治後期。杉元&アシㇼパが追う鹿は、約30年前の惨事を辛くも生き残った子孫だったのか。

 モナカ雪&エゾシカ

北海道開拓期の「試されすぎる大地」の悲劇が滲む。

 

一時期は絶滅の危機に瀕したエゾシカ。
だが北海道の開拓は鹿の天敵であるエゾオオカミを絶滅させ、そして「畑に牧草地」という「草食動物にとってまたとない餌場」を提供してくれた。
結局、生活環境が整ったエゾシカは順調に数を増やし、令和の現在では「鹿による農作物の食害」も深刻。一方で駆除されるエゾシカを「ジビエ素材」として有効活用する運動も盛んである。

 開拓150年に翻弄された北海道の姿とも言えようか。

※参考文献
『コタン生物記Ⅱ 野獣・海獣・魚族篇』更科源蔵 法政大学出版局 1976年
『』内部の文章はゴールデンカムイ3巻、登場人物のセリフより引用。

メイン画像はwikipedia © MIKI yoshihito

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。 現在、三栄書房『時空旅人』誌上にて記事執筆中

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