ゴールデンカムイの謎 その5 黄金の国・ジパングとは北海道だった? その5

北海道
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

明治初期に復活した
砂金採集

シャクシャインの戦い以降
松前藩は「アイヌ勢力と和人の砂金採りの結託」を
恐れ、砂金採集を禁じた
宝の山はそのまま温存された。

 時は流れて明治初期
明治政府の号令で北海道開拓が本格化した。

それまで和人、大和民族がほとんど分け入らなかった内陸部にも本州方面の出身者が大挙して押し寄せた。彼らは開拓民であり、猟師であり、木こりであり、そして砂金掘りだった。明治を迎え、幕藩体制の崩壊とともに北海道での砂金採集はまた復活したのである。
砂金掘りの有望なスポットは17世紀後、シャクシャインの戦いの舞台となった日高方面、沙流川や静内川の上流、十勝のペルプネ川、そして北海道北部のオホーツク海に流れ込む川の上流部。

 それらの川の中で最大の有望株は
現在の北見枝幸や浜頓別付近であった。

砂金掘りが殺到した
オホーツク海岸。浜頓別

明治30年(1897)には、同地の川の流域に全国から数千人もの砂金掘りが殺到し、「東洋のクロンダイク」と称されるほど。
ちなみにクロンダイクとは、カナダにある川の名。この川の流域で1897年に砂金が発見され「クロンダイク・ゴールドラッシュ」が沸き起こった。多くの砂金掘りが一獲千金を求め、雪の峠道を延々と列なして越えたという。

 現在の浜頓別町を流れる頓別川。
この支流であるウソタンナイ川が最も有名な採集地である。1898年の記録によれば、同年6月に発見された同地の採掘地では、7月の段階で数百人の砂金掘りが群れ、一日に3から5グラムの収穫を得ていたという。やがて1週間の間に100g近い砂金を得る果報者も現れるに至った。

 砂金が獲れるとなれば、人は殺到する。
ウソタンナイの流域には全道、さらに全国から砂金掘りが殺到した。北海道北見枝幸「東洋のクロンダイク」には、「ゴールドラッシュ」の本場である米国のカリフォルニア、さらには本家カナダのクロンダイクからも実際に砂金採りが殺到したというからすさまじい。

だが、殺到した人々のうちで経験者はごく少数。大半は引退した役人や書生など肉体労働には向かないタイプである。
彼ら砂金掘りの山中での住まいは、丸太の三角組みを笹や松の皮で葺いた、広さ2坪程度の小屋。食料は、海岸から運び込んだ米や味噌、乾し魚。これに現地で採集した山菜がプラスされ、貴重なビタミンとなる。こんな衣食住で、朝5時から夕方6時まで、川底をカッチャ(手鍬)で掘り起こしては、U字型に掘りこんだ板「ユリ板」でゆすっては掘って洗い流す重労働、かつ単純作業が続けられるのだ。運が良ければ、耳かき一杯程度の砂金が見つけられなくもない。

 そんな重労働だから、当然腹が減る。楽しみのない生活だから、遊びにも行きたくなる。
そんな砂金掘り相手の食料品店に雑貨屋、あるいは小料理屋も次々と設けられ、人跡未踏の山中に小都市が営まれつつあった

砂金景気の
明暗の実態は?

だが、交通網が整備されていない明治後期。
ましてや北海道の山中の事である。
海岸から砂金掘りの現場まで食料ほか物資を運び上げるには、大変な手間がかかっていた。明治33年の記録では、枝幸市街で1升12銭だった白米が、ウソタンナイの山中では25銭。つまり2倍にも跳ね上がったという。

そんなエンゲル係数の暴発で生活が立ち行かなくなり、
それでも艱難辛苦に耐えて砂金を掘り上げる。そして娑婆に戻れば…

足が向くのは女郎屋。苦労して稼いだ砂金を豪遊してすっからかんの元の木阿弥。

それでも町の好景気はすさまじかった。
当時、雑貨屋や呉服屋は数日間で2000円の売り上げを突破していた。米1升が12銭だった時代のことである。

また郵便局では砂金掘りが連日何十人も押し寄せては、故郷に送金するために10円単位もの大金を預けていく。
郵便局でも木造建築が普通だった時代、局員は現金の安全な保管に苦心惨憺であった。
そして物価上昇はすさまじく、浜頓別の街の物価は当時の札幌の倍額、それが山中の採鉱現場ともなれば、5割高にも跳ね上がった。
そんな状況でも、砂金を求めて人々が押し寄せたのである。

 だが、ゴールドラッシュ以前から穏やかに暮らしていた浜頓別の住人にとって、砂金景気は悪夢でもあった。
近隣の農場は砂金掘りに踏み荒らされる、手癖の悪い者は、農家から家財道具を持ち逃げする。
さらに鉱山へ食料を運び上げる労賃の高騰から、近隣の小作人が次々に馬車引きに商売替えする。
おかげで耕作地は放棄されて荒れ野となり、農業の停滞を招くことになる。

 そして川は掘り返されて汚され、鮭が昇らない。
かのシャクシャインの戦いの折と同じ禍がくりかえされたのである。

砂金掘り体験ができる
砂金公園

 明治後期のゴールドラッシュ後も細々と続けられていた採掘も戦争とともに途絶え、昭和40年代に完全に失われた。

 だが昭和後期に採掘現場は「ウソタンナイ砂金採掘公園」として整備され、
令和の現在でも1年のうち夏季に、6月から9月までの間、砂金採掘体験ができる。詳細は浜頓別町のホームページを参照

 http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp/sightSeeingEvent/index_usotan.phtml

 萌え地名?
「ウソタン」の由来とは?

ちなみに現地の地名「ウソタンナイ」。
うそタン…嘘ばかりついている萌えキャラ、ゆるキャラがいそうなイメージだが、
北海道のアイヌ語由来地名である。
アイヌ語で「ウッ・ソ・タ・アン・ナイ」「お互いに滝が掘る窪みの川」の意なので誤解されないように。

 

 ※参考文献

浜頓別町史 平成7年

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。平成16年よりフリーライター。専門はアウトドアライターだが、近年では出身地・北海道の歴史や文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)、執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)など

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