石川から、能登半島地震によせて
2024年1月1日、石川県の奥能登を震源地にした「能登半島地震」は発生から執筆時点でちょうど2週間経った今も甚大な被害が出ています。被災された方々ならびにそのご家族の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
かく言う私も、自宅の金沢市で震度5強の揺れに見舞われました。
朝からお酒を頂いて自作のおせちを食べ、急に小6の息子がべっこう飴を作りたいと言い出すから、いつもは忙しさにかこつけてお断り申し上げるところを、一緒に灼熱のグラニュー糖を溶かしきって型に入れ、固まるのを待っている間にSwitchのマリオカートで楽しく対戦。そんな元旦の昼下がりにまさかの地震でした。
16時06分にスマホの緊急地震速報が鳴りだして、地面から家全体に揺れが伝わり始めても、驚きはしたものの、まだまだ冷静でした。
正直、能登半島で地震が頻発し始めた3年ほど前から1年に1度は地震速報が鳴り、それでも金沢市で大きな揺れを感じたとて震度3ほど。お正月にまじ?とは思ったものの、まさか県内が震源地とも思わず、どこかで大きな地震があったのかなぁという気持ちでした。
案の定、揺れは金沢で震度2。テレビをつけて情報を確認しようかなと迷いつつ、びっくりしたねと家族で話していた16時10分。
またしても大きな揺れ…余震?でもまあ、大丈夫やろ。と言った途端、ぐわんぐわんと地面が揺れ出して慌ててリビングのダイニングテーブルの下にもぐりました。長かった。1分くらいだったそうですが、本当に長かったし、ガチャンドタンと家中で物が落ちる音も鳴り止まないし、このまま家ごと壊れてしまうんじゃないかと怖かった。人間って本当に何もできない。
それでも揺れは収まって、すぐにガスの元栓を切って、落ちたものや割れたものを確認しつつテレビをつけて、能登で震度7という文字を見て愕然としました。
いつかはこんなことが起きるかもしれない。能登半島での地震が日常化してから、石川県内の人は多少なりとも思っていたと思います。でも、「かもしれない」は「起こらないかもしれない」。そんな慢心は、能登から120キロ離れた金沢に住む私の心には、完全にありました。
それからの被害の様子は報道のとおり。建物の倒壊や津波被害、能登全域で続く断水・停電、金沢市内でも富山県に行くときによく使う国道が崩落したり、自宅から5キロほどの医王山近くで土砂崩れにより家ごと落ちたり、まだ通行止めの場所や孤立している集落もあり、本当に大変なことです。
今も断水状態の七尾市に住む友人の娘さんは、小学校が避難所になっているため3学期がまだ始まっていません。石川県内のテレビは全局、ドラマやバラエティ番組は放送されているものの、2週間経った今も上下に被害状況や避難・支援情報が流れ続けています。テレビを見るとまだ見つかっていない安否不明の方、小さいお子さんや自分より若い方のお名前が年齢入りで流れてくるので、悲しい気持ちになります。
大火災で朝市通り一帯が焼失した輪島市は、2か月前に訪れたばかりでした。ちょうど朝市通りや道の駅がある中心部は、道も街も整備されていてとても美しい場所です。
※写真は震災前に輪島に行った際に撮影したものです
何より朝市通りには漫画家・永井豪さんの記念館があります。Creators Eyeでも過去に金沢で行われた「永井GO展」を紹介しましたが、出身地である輪島市では永井豪先生の漫画家人生や過去に手掛けられた全作品が知れたり、貴重な原画、フィギュアなどが常時楽しめたりしました。
永井豪記念館のある通りを突き当りまで進んで左に曲がると、2015年放送の朝ドラ「まれ」ゆかりの輪島ドラマ記念館もあり、ドラマのファンでもあった私は巨大なまれケーキにテンションがあがりました。
輪島ドラマ記念館の近くでは「ニューフルカワ」という地元のパン屋さんが露店販売をしていて、イカの塩辛パンを売っていたんです。そう、イカの塩辛パン。一旦は素通りし、同じ石川県民としてそんな観光客しか買わなさそうなものは食べないぞ!と謎のプライドでスルーしようとしたものの、気になって気になってUターン。
丸いパン in じゃがいも on イカの塩辛。かぶりつくと思いのほかパンが柔らかく、じゃがいもとイカの塩辛とちょぴっと乗ったマヨネーズのマリアージュったら!とんでもなく美味しいんです。
朝市通りを少し行くとマリンタウンという海岸沿いの広い公園があります。
そこでひとりでぺろりとイカの塩辛パンを食べ、これもう一個食べたい!そしてお土産にも!とすぐに朝市通りに戻ってパン屋さんに駆け寄ると店じまい中でした。お店の場所を聞き、15分ほど歩いてイカの塩辛パンを買いに行ったのが、ついこのあいだのこと。思い出すだけでも楽しい気持ちになる、そんな輪島・朝市通り。
永井豪記念館も輪島ドラマ記念館も、今回の火災で全焼してしまいました。あのあたり一帯が焼け野原になっている映像は、言葉になりません。ただ、まれのケーキだけが燃えずに奇跡的に残ったと話題になっているようで、せめてもの救いを感じます。地元の方にとっても、あの黒一色の現場で希望につながってほしいと願います。
能登には「能登はやさしや土までも」というキャッチフレーズがあります。郷土や家族や仲間を愛する気持ちが強い人が多いというのが能登出身の方のイメージです。都会へ出ても金沢に出ても、正月や祭りの日は必ず地元に帰る、そんな能登の人をたくさん知っています。
私が冒頭で書いたような、家族や親せきや友人と過ごす久しぶりで幸せな時間があの日きっと、能登中にいくつもいくつも灯っていたのだと思う。今は「復興を目指そう」「前を向こう」なんて無責任なことは、同じ石川県人でも正直言えません。それでも、「人へのやさしさ」と「できることをちゃんとやる」。その二つを胸に祈り続けようと思います。