3.11 東京の夜、いちばん最初に動いた電車は?
みなさん、東日本大震災の夜は家に帰れましたか?
私は奇跡的に近くの駅まで帰れました。
「帰宅困難者」「帰宅難民」という言葉が発明されたのが3.11の夜だったと思います。
鉄道が麻痺し、革靴で数十キロもの家路へ。24時間マラソンどころではなかったハードな夜が
サラリーマンの足もとをスニーカーでいいじゃん、と大転換させました。あれから10年。
当時私は、新宿西口にある広告代理店に勤めていました。
午後2時46分は、古いビルの7階にあるオフィスでメールを打っていました。
突然、ガガガガー! の音と共に始まった大きな横揺れ。
「怪獣映画みたいだ~」とハスに構えている余裕なんてもちろん無く、
周囲のデスクの引き出しがポルターガイストみたいに飛び出してくるのを
硬直しながら呆然と眺めていました。
何度目かの余震のあと「外に避難!」の指示。公園から見える54階建ての新宿センタービルが
振り子のようにゆ~らゆ~らと気味悪く揺れていた光景を覚えています。
で、大きな地震のあとは電車が止まります。
そのあと最初に運転再開した路線はどこだったでしょうか?
正解は、東京メトロ銀座線と、都営地下鉄大江戸線です。
ここからは当日の記憶とネットで調べた記録をもとに、簡単ですが時系列で
震災の夜のことを振り返って記してみます。
【午後5時】
仕事ができなくなったのでJR新宿駅の様子を見に行ってみました。すると改札の手前にシャッターがおろされていました。
私鉄も似たり寄ったりで、とにかく混乱を避けるためにシャットダウンという感じ。
駅から閉め出された大勢の人が屋根のあるスペースの下、新聞やカバンを敷いて床に座っていました。
わりと寒かったと記憶しています。
感心したのは京王電鉄。写真は私がガラケーで撮った夕方の様子ですが、右下、わかりますか。
お尻に敷く段ボール。駅員さんが懸命に配ったものです。やさしい人達のいる会社ですね。
【午後6時20分】
JR東日本は「安全確認ができない」として山手線や中央線など首都圏の全線を
終日運休にすると発表。
このあたりで、会社で一夜を過ごす VS 帰路につく で同僚たちが悩み始めます。
後日まとめられた首相官邸のレポートによると当日の新宿駅には約17万人の滞留者が発生。
そのうち約9万人が帰宅困難者となったそうです。
【午後8時40分】
東京メトロ銀座線、都営地下鉄大江戸線が、いち早く運転を再開。理由は文末に。
【午後9時55分】
西武鉄道新宿線が運転を再開。続いて間もなく西武鉄道各線が運転を再開。
【午後10時10分】
京王電鉄の各線が一斉に運転を再開。
私はこの時たまたま、駅の様子を記憶しておこうと京王線新宿駅の裏口みたいな
小さな改札口のすぐ近くにいました。すると突然シャッターが上がって「運転再開します!」。
本当に偶然に、再開1本目の電車に乗ることができました。座席に座れはしませんでしたけれど
あれ? 電車は何故かたいして混んでいない。外の混乱した風景と落ち着いた車内との落差を
不思議に思いつつ、ともあれ「助かった…」とドアにもたれかかって帰りました。
(再開1本目の電車が混んでいなかったのは、メインの改札は人の殺到を避けるため
少しだけ後のタイミングで開けられたためでした)
【午後10時30分】
東急電鉄の各線が一斉に運転を再開。
【午後24時】
小田急電鉄が運転を再開。
こんな順番で電車が再開していきました。ではその順番は何で決まったか?
主に「線路が短かい順」でした。もちろん地盤の大きなトラブルなどが無い前提ではありますけれど、
『点検区間の短い路線ほど再開が早い』。これ、震災で勉強したことのひとつです。
ちなみに当日は、JRのほかにも東武鉄道、京成電鉄、京急電鉄が終日運休。
いずれも他線との相互乗り入れがあったりで県境を越えて伸びる長い路線です。
このあたりの路線の人は、次に被災した時は駅で待つより会社に泊まったほうが
安全なのでしょうね。
と、そんなこんなだった10年前の3.11東京の夜。
あしたの午後2時46分はいつもより長く祈ることにします。