心霊ちょっといい話「山小屋の4人+X」は、日本古来のネタがあった!
※写真はイメージです。本稿の内容とは直接関係はございません
ひな祭りが過ぎればいよいよ春。だが北国、そして山岳地帯は雪に覆われ花の季節はいまだ遠い。だがそんな逆境の中、あえて雪山に挑む登山者もいる。
危険な行為だからして、遭難の実例、それにまつわる怪奇譚も多い。
冬の怪談
「山小屋の4人」
さて団塊ジュニア以降の年代の人ならば、こんな「冬の怪談」を一度は耳にしたことだろう。
登山者4名が冬の雪山に挑んだが、道に迷ってしまった。
雪原をさまよううちに山小屋を見つけたが、中は無人、そして暖房器具はおろか照明器具の類もない。このまま夜を迎えれば睡魔に負けて眠りこけ、そのまま凍死してしまうだろう。そこで4人は「眠らないため」一計を案じた。
ここで彼らを便宜上、A、B、C、Dと呼ぼう。
まず部屋の四隅に、A、B、C、Dの4人がそれぞれ陣取る。
まずAが壁を伝ってBの元に行き、Bの肩を叩く。それを合図にBは同様に壁を伝い、Çの元に行く。AはBが元々いた場所に残る。
Cの元に行ったBは、Cの肩を叩く。それを合図にCは壁を伝い、Dの元に行く。BはCの元々いた場所に残る。
Cに肩を叩かれたDは壁を伝って…
こうして順繰りに肩を叩きつつ、四角い部屋を壁沿いにぐるぐる回ることで睡魔を払い、彼らは無事に朝を迎えた。
だが生還した4人は「ある事」に気が付く。
4人ではあの日の「肩たたきゲーム」は成立しえないのだ。
AがBの場所に行く 肩を叩く
BがCの場所に行く 肩を叩く
CがDの場所に行く 肩を叩く
DがAの場所に行く あれ?
DがAの「元いた場所」に行っても、誰もいない。
AはすでにBのいた場所に移動しているから。
だったら、Dは誰の肩を叩いていたのか。 Aは誰に肩を叩かれたのか…
「小屋に潜む人外の者、恐らくは以前に山で遭難死した者の霊が5人目として肩叩きゲームに交じり、4人を凍死から救った」
こうして「怪談・山小屋の4人」は、
「心霊ちょっといい話」としてめでたくオチがつく。
江戸時代の怪談
「4人で夜の座敷にいれば、謎の5人目が現れる」
さて本題。
「冬登山」がモチーフの怪談「山小屋の4人+X」。
一読したところ「近年に生まれた創作怪談」に思えるだろう。近代的なアルピニズムがモチーフなのだから。
だが、この逸話の主題
「暗闇の中で数人が部屋をぐるぐる巡れば『異界の住人』が現れる」
同様の逸話が、近代以前より「実話」として伝承されているから興味深い。
語学の天才、その実は変人としても有名な民俗学者・生物学者の南方熊楠(1867年 – 1941年)は、故郷・和歌山県田辺市付近の伝承を語る。
真っ暗闇の部屋の四隅にそれぞれ1人が立ち、
計4人全員が部屋の中央へ這って行く。
すると、部屋の中央に5人目がいつの間にかいる
明治の怪奇作家・泉鏡花(1873年 – 1939年)も「膝摺り」の名で、同様の現象を紹介している。
草木も眠る丑三つ時に、
床の間のない八畳間の四隅にそれぞれ一人、
合計四人が陣取った上で、部屋の中央へ這っていく。
そして四人が出会ったところで互いに名を呼び合い、
呼ばれた者が呼んだ者の膝に手を置く。
だが、その中になぜか名乗らず無言の者がいる。
それは…
さらに遡って江戸時代。
出羽の国の米沢藩。現在の山形県米沢市付近に「隅のばば様」なる怪談が伝承されていた。
それは以下のような逸話である。
夜中に静かな寺の一室で
四人が座敷の四隅に屈まり、
明かりを消して四人が同時に
座敷の真ん中へと這って出合い、
頭を撫で合う。
これは一のばば様、
二のばば様、
三のばば様、
四のばば様、
そして、
何故か五つ目の頭がある。
何度撫でても
五つ目の頭がある、
と。
この逸話を記した記録によれば、話者は江戸時代後期の天保12年(1841年)に当時86歳だったという。
彼の幼少時代と言えば、元号が「安永」か「天明」のころ。その当時から、むしろはるか太古より
「部屋の四隅に4人が立って歩めば、異界の住人が紛れ込む」
事例が確実に存在したのである。
明治後期の岩手県に生まれた童話作家・宮沢賢治(1896年 – 1933年)は、
郷里に伝承される妖怪・座敷童をモチーフとしたオムニバス童話
「ざしき童子のはなし」にこんな逸話を挿入している。
「大道めぐり、大道めぐり」
一生けん命、こう叫びながら、
ちょうど十人の子供らが、両手をつないでまるくなり、
ぐるぐるぐるぐる座敷のなかをまわっていました。
どの子もみんな、そのうちのお振舞によばれて来たのです。
ぐるぐるぐるぐる、まわってあそんでおりました。
そしたらいつか、十一人になりました。
ひとりも知らない顔がなく、
ひとりもおんなじ顔がなく、
それでもやっぱり、
どう数えても十一人だけおりました。
そのふえた一人がざしきぼっこなのだぞと、
大人が出て来て言いました。
けれどもたれがふえたのか、
とにかくみんな、自分だけは、
どうしてもざしきぼっこでないと、
一生けん命眼を張はって、
きちんとすわっておりました。
こんなのがざしきぼっこです。
集団でぐるぐる回るうちに、異界の住人が現れる…
まさに冒頭の「山小屋の4人+X」の設定そのまま。
わらべ歌からUFOまで
「円陣の中に現れる異界の住人」
按ずるに日本文化には、「円陣の中に立ち現れる異界の住人」がそこかしこに存在する。
死者の魂があの世から現世に戻り生者と交歓する「お盆」
夏の名残を惜しんで舞う「盆踊り」。
踊り手の円陣に囲まれた音頭取りの櫓は、
あの世の住人を招き寄せる。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった
後ろの正面だあれ
子どもが円陣を組み、シュールな歌を口ずさむ。
そのまん中で目をつぶり、
「後ろの正面」を言い当てるのは「鬼」。
これまた異界の住人だ。
70年代のサブカルチャー流行の中、オカルト雑誌で盛んに喧伝された
「UHOを招く儀式」
広場や山頂で円陣を組んで手を挙げれば、
天空より光体が舞い下るという。
さすがに、実際に行う勇気はないが…
円陣を組んでぐるぐる回れば、異界の住人が現れる。
江戸時代の怪談に年中行事、そして20世紀のオカルト話。
日本民族の伝統信仰は、
意外な形をとって令和にも受け継がれていると言えよう。
最後に。
この記事を読まれても、実際に深夜の一室、
4人で連れ立って同様の儀式を真似するのは控えていただきたい。
立ち現れる「何者か」。
それが
遭難者の凍死から救うような
「善良な存在」であるとは限らないから
※参考文献
『江戸東京の噂話‐「こんな晩」から「口裂け女」まで』野村純一 2005年