「健全なわがまま」ってパワーだ
東京は悶々と自粛のままゴールデンウィークが終わってしまいました。
レビューを書かせていただいた「賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット」も公開が延期。
無事にロードショーとなったらぜひ映画館へ足を運んでみてください。
オジサンでもギャップを感じずに楽しめましたよ。本当に。
さて今回は「クリエイターの手を逃れたモノにすごく惹かれます」というお話です。
もう少し詳しく言うと、クリエイターの手にかかっていないモノが好きです。
例えばカフェのロゴ。角度や彩度をきちんと仕上げたスマートなものよりも、
おそらくは看板屋さんと店主の好みで作ったのであろう、いささかバランスを欠いた
古い喫茶店の看板に惹かれます。
あ、プロの仕事がつまらないのではありません。理由はあとで書きますけど。
では具体的にどんなモノに心がときめくのか。近年出会った3点をご紹介します。
まずはネーミング部門。近所のダイエーにて。
なんなんでしょうかこれは。「おしゃれ」と「ねぎ」のミラクルな強制合体。
「すてきなママ」の不意打もグッド。おまけに「ママよ」で終わるミステリアスな呼びかけ。
脳みそが軽くバグります。
社内会議にかけたら間違いなく却下されるでしょう。会議にかけてないフシもありますね。
おまえ作れと言われても絶対に作れないわこんなん。
来年の母の日のプレゼントに1束どうでしょうか(ニッコリ)。
2番目は看板部門。
小田急線の登戸駅を出てすぐのところにあるケータイショップです。
看板を拡大してみます。
こんな日はけいたい日和ですなぁ
素晴らしいです。世界遺産として未来に残したい1枚です。
今だとこれ「わけわかんない」という感想が殆どではないでしょうか。
あるいは「ほのぼのとボケているだけでしょ」とか。
違う。私にはわかりますこの空気。携帯電話におけるジュラ紀と言っていい時代のこと。
初めて携帯電話を持ったのは25年ほど前。まだ当たり前のものではありませんでした。
というか、けっこう珍しかったんです。
端末の契約を終えて店を出たとき「これが携帯電話か!」と感動したのを覚えています。
家に帰ってピカピカの“携帯電話さま”をブラウン管のテレビの上にうやうやしく立ててみる。
立ててみるんだけど、携帯を持ってる友人がいなかったので待てど暮らせど電話は掛かってこない。
しびれを切らして用もないのに自分から電話を掛けて「何してた?」なんて。
窓の外では翼竜がくるりと輪を描いて飛んでいたり(うそ)。
実にのんびりとした「けいたい日和ですなぁ」な時代があったのです。
3番目は自販機部門。
吉祥寺のシンボルである井の頭公園にそれはあります。
近づいてみましょう。
蜂の子の缶詰、いなご佃煮の缶詰、パンの缶詰、ネコのポーチ、恐竜のキーホルダー。
注目の大穴はやっぱり2,000円の蜂の子。次いで900円のいなご佃煮でしょうか。
親切に栄養素についての丁寧な解説まで添えられています。蜂の子が耳鳴りに効くのは知らなかった。
これ「公園では何が売れるだろう」というマーケティングによるラインナップではなくて
俺の“推し缶”を売りたいんじゃ! という一本気な心意気を感じます。
近在の方、どなたか2,000円突っ込んでみてください。
で、こういった「クリエイターやマーケッターの手を逃れたモノたち」に出会ったとき
私がわくわくしてしまう理由は「強い個人」を感じるからです。
話はややズレますが、ずいぶん昔の広告界で、キユーピーマヨネーズの秋山晶さんや
伊勢丹の土屋耕一さんが第一線に出てきたとき「広告の中に誰かいる」と話題になったそうです。
それまではメーカーが商品のメリットをアピールする手法が殆どだったのに対して、
広告の中にいる「ある個人」が人格を持って語りかけてくるのがすごく新鮮だった。
ネギの名前やケータイ屋の看板に、似たような「個の勢い」を感じて元気が出るのですね。
共感、シェア、チームの総意とか。それらはもちろん大切だし有効なのだけれど、
思い返してみるとこれらは「仕事のプロセス」なのであって、そこへ乗せる「タネ」を作るには
「個人の健全なわがまま」がすごいパワーを発揮してくれるんじゃないか?
そんなことをいつも思うのです。
しかし蜂の子が気になる。いなごの佃煮は好きなんですけどね。うーん。