「自分で作れ」とは言わせない! 究極のポテトサラダ「サラート・オリヴィエ」
今話題のポテトサラダは
簡単な料理じゃない
「母親だったらポテトサラダくらい自分で作ったらどうだ」
主婦と、そして母親としての女性の多忙さ辛さを理解しえない男性の心ない発言がツイッター上で紛糾し、
一躍注目されるに至った料理・ポテトサラダ。
茹でた芋をただ野菜と和えればいいのではない。
芋は生で食べられないから、手間がかかる。
和える具も出来上がりの色どり&味わいを思い描きつつ選定して
塩もみ&塩ゆでなど下ごしらえを施さなければならない。
ポテトサラダは面倒な食べ物だ。
それでも爺様が「ポテトサラダぐらい…」などと言い張るならば、
ぜひこの料理を教えたい。
究極のポテトサラダ「サラート・オリヴィエ」。
ロシアの富豪をとりこにした
究極のポテトサラダ
時は19世紀末期のロシア。
ロシア革命も、後のソ連による粛清と文化後退など想像もつかない貴族文化爛熟の時代。
モスクワの町は当時でこそ首都の座をサンクトペテルブルクに譲りはしていたものの、
帝国の副首都として繁栄していた。
そんなモスクワに1864年開店したフランス料理店「エルミタージュ」は、
上京した地主階級をはじめ富豪たちの舌をうならせていた。
とりわけ人気の高かった一品はオーナーのルシアン・オリヴィエ自ら考案した「サラート・オリヴィエ」、
英語で言えば「オリヴィエ・サラダ」である。
このサラート・オリヴィエとは、どのような料理だったのだろうか。
現代に残る証言によれば、材料は以下のもの
ジャガイモ、エゾライチョウ、子牛の舌、キャビア、レタス、ザリガニの尾、ケッパー、ガチョウの燻製。
これら材料は、季節によって変わる場合もある。
さて材料のうちジャガイモと動物性の食品はいずれも個別に茹でて冷まし、賽の目状に刻み、その上で特製のマヨネーズで和える。仕上げにケッパーやレタス、トマトであしらう。
問題はこのマヨネーズである。
工場大量生産など思いもよらない時代、マヨネーズは料理人が自家製するものだった。
卵の黄身に同量の酢を混ぜ、植物油を少しづつ垂らしながら丹念にかき混ぜる。
オリヴィエのマヨネーズはフランスのワインビネガー、マスタード、プロヴァンスのオリーブオイルなどを素材としたという。
だがオリヴィエは1883年に死去するまでマヨネーズの製法を明かさず、
エルミタージュも1917年のロシア革命のあおりを受けて閉店、
サラート・オリヴィエの製法は永遠に失われてしまった。
ソ連時代に再現された
「首都サラダ」
時は流れソ連時代、
「エルミタージュの副料理長」を自称する料理人、
イワン・イワノフが別の料理店で「オリヴィエ・サラダと同じ!」との触れ込みで
「サラート・ストリーチヌィ」(首都サラダ)なる料理を供した。
だが往年のオリヴィエ・サラダをも知る客の舌にかかれば、明らかに「何かが足りない」味であったという。
とはいえ、イワン・イワノフ式「首都サラダ」も、それはそれで美味かった。
やがてソ連時代にエゾライチョウ、子牛の舌、ザリガニなど珍奇で高価な素材はハムやゆで卵など安価な素材に置き換えられたが、
茹でた素材を賽の目に切ってマヨネーズで和える製法は変わらない。
やがて東ヨーロッパ各国、そして東西冷戦構造の中、モンゴルはじめ世界各地の「社会主義陣営」の国家においても
「ロシア式サラダ」「首都サラダ」の名で広まっていったという。
ソ連が崩壊して約30年。経済発展かまびすしい現在のロシアでは、
各地のデパートや飲食店で多彩なサラダ類が販売されている。
もちろん「サラート・オリヴィエ」「サラート・ストリーチヌィ」も大人気だ。
現代のサラート・オリヴィエは、茹でジャガイモ、ニンジン、ディルのピクルス、
キュウリ、グリンピース、ゆで卵、セロリアック、タマネギ、茹で鶏、またはボローニャソーセージを和えたもの。
新年や大みそかのご馳走として大人気だという。
だが、もちろんオリヴィエ氏のオリジナルではない。
彼の死とともにレシピは失われてしまった。
あるいは、ポテトサラダぐらい…と言い張る爺様にとって現代のポテトサラダは、
本当に「とるに足らない料理」なのかもしれない
彼は「神の手」の持ち主なのかもしれない。
かの爺様であれば、神の手でオリヴィエ氏のレシピを現代によみがえらせてくれるのだろうか。
※参考文献
『世界の食文化19ロシア』 沼野充義 沼野恭子 農文協 2006年