時代は変われど、感覚は共鳴する――「雨」のはなし
雨も雪もそうだが、程よくしっとりと降りているところを家の中から眺めるくらいがちょうどよい。
毎年、地元が豪雨に見舞われるたびつくづく思うことである。
7月2度目の週末、私はたまたま私用のため実家に帰省していた。佐賀の家はどちらかといえば久留米市に近く、九州最大の河川とされる筑後川が身近な場所だ。
土砂降り程度は覚悟していたが、何より怖いのは筑後川の氾濫、そして落雷である。
洪水は過去の歴史を見ても当然ながら、なぜ雷をそこまで恐れるのかといえば、実際15年ほど前に落ちた経験があるからだ。
火事にならなかったのは本当に不幸中の幸いだったが、電話線を通じて家電が壊れ、その当時加入していた火災保険において生活必需品として認められていなかったパソコンが臨終した時の絶望は忘れない。
しかも家屋は無事だったかと思いきや、その後自宅で作業中に「パリパリパリ…」という音がしてふと上を見ると、自室の天井がぺろりと剥がれてきたりして。
そんなこんなでそれ以来、我が家では雷が酷くなるとブレーカーごと落とすのが習慣となっている。
このように自然災害は脅威と表現するほかないが、雷とて地上に影響がなければ、姿をとらえがたい点も含めて美しいものだ。
「陽炎 稲妻 水の月」という雅な言葉にも例えられるように、昔の人はその鋭い光が血走る様を見て、どこか幽玄の儚さを感じたのだろう。
雨にしてもそれは同じで、日本語における雨の表現は数百種に及ぶとも言われる。
例えば、色の名を組み合わせたものを見てみよう。
- 黒雨(こくう):空が黒ずんで見えるほど激しく降る大雨
- 紅雨(こうう):花に降りそそぐ春の雨
- 白雨(はくう):にわかに降る雨。夕立に同じ
- 緑雨(りょくう):新緑の時期に降る雨
- 青雨(せいう):青葉に降りかかる雨
誰がどんな空を見てこの言葉を作ったのかは知る由もないが、今回の雨を振り返ると、「黒雨」というのはまさに言い得て妙だと感じる。
鬱蒼とした雨雲に覆われた上空、滂沱のように注がれる雨…空間の密度が高くなったような息苦しさもあり、たしかに色になぞらえるなら「黒」だろうか。
水そのものは透明なはずなのに、不思議な話である。
時代が流れ、人の価値観は変わっても、空模様に関しては同じ感想を抱くらしい。
また、その他にも夏の雨の中では「洗車雨(せんしゃう)」という言葉も個性的だ。
これは最近過ぎてしまったが、織姫と彦星をイメージして「7月6日、七夕の前日に降る雨」を指すとのこと。
彦星が織姫と逢う前に牛車を洗った結果降る雨、とされており、翌日が晴れなければ綺麗に天の川が見えない点と照らし合わせると感慨深い。
ちなみに今年の7月6日の福岡は晴れており、何と七夕から悪天候へ切り替わっていた。
一応7月7日の雨も「酒涙雨(さいるいう)」と言って、彦星と織姫が別れを惜しむ……あるいは、逢えないことを悲しむ涙と捉えられているようだ。
地上でそれを受け止める側からすればどうかお手柔らかにお願いしたい――と言いたいところだが、かつてはそうやって晴れて欲しい日に雨が降った際、神や伝承を理由に心を慰めていた人も多かったのかもしれない。
願わくはこれから先、空も地も機嫌よくあってくれますように。
時を超えて、遠い昔の誰かと共鳴させてくれる言葉の魔力を想いながら、そう強く祈った。
※画像参照元:ぱくたそ(https://www.pakutaso.com/20201145332post-32208.html)