旅と移住の間
「旅の本」として私が思い浮かべる1冊に、
村上春樹『遠い太鼓』(1990/講談社文庫)がある。
この本が発売されたころ、
村上は『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』を書きあげて、
一躍「時の人」となっていた。
騒ぎに巻き込まれるのが嫌で、
ギリシャ、イタリアに向け、3年間の旅に出る。
そこでの生活を書いたものが『遠い太鼓』だ。
3年間の旅、という表現はとても微妙で、
実際には「旅と移住の間」だと思う。
部屋を借りて暮らし、仕事をしたり散歩をしたり、
時にはそこから2、3日の旅に出たりしながら過ごしているからだ。
ただ、ずっとそこに住もうと考えているふうではないので「移住」でもない。
その土地土地の良さを味わいながらも、
著者と土地との間には厳然とした一線がある。
「あくまでもよそ者です」
そんなマナーと立ち位置を守りながら、暮らしている。
こういう生活をしてみたいなあ。
そう思いつつ、よくお風呂の中でこの本を読んだ。
お風呂本の定番として読み続けた結果、
『遠い太鼓』と比べるとかなり貧弱だが、
「ひと月ぐらいの旅」をしたいと考えるようになった。
海外でなくてもいい。
国内のどこかの街のマンスリーマンションなどに泊まって、
その土地の人と混ざって買い物をし、料理をし、洗濯物を干す。
ゴミの出し方をマスターする。
散歩をする。
バスや電車に乗ってみる。
土地の人、願わくばじいちゃん、ばあちゃんとおしゃべりする。
離島などには、その手の滞在型ツアーもきっとあるに違いない。
でも、たどりつくじいちゃん、ばあちゃんとのおしゃべりも
きっと予定調和なものになる気がする。
それはちょっと悲しい。
例えば、むかし、
飛騨古川の組木、飛騨高山の刺子などの作業場で出会ったじいちゃん、ばあちゃんたちは
実に素朴な人びとだった。
初対面では、はにかんでしまったり恥ずかしがったりして、
なかなか打ち解けてもらえないのだ。
あのみなさんは、どうされているだろうか。
飛騨地方は、今やインバウンドという波の向こうにしか見えなくなってしまった。
住んでみたいなあ、飛騨高山。
――などと考えているうちに、
今年も村上春樹はノーベル文学賞を逃してしまった。
この賞については植民地支配に苦しんできた国々の作家や女性作家に
どうしても分があるような気がする。
残念だけれども。