「当事者」と出会う旅

choco旅 vol.9
ライター
DECO KATO
加藤 デコ

ノーベル平和賞、おめでとうございます

日本原水爆被害者団体協議会(以下、日本被団協)のノーベル平和賞の受賞は、

久しぶりに感動的なニュースである。

日本被団協は被爆者でつくる組織だ。

1956年に結成、当初は原爆医療法、原爆特別措置法など被爆者を守る活動を行い、

その後、全世界に向けて核兵器廃絶の運動を広げてきた。

 

彼らは、決して被爆者になりたかったわけではない。

「被爆」という思いがけない運命を背負い、辛酸をなめてきた。

苦しい中から立ち上がり、手を取り合って進んだ80年近い活動。

これが世界的に認められたことに大きな意味があると思っている。

 

本当におめでとうございます。

 

原爆ドームの前でじっと待ってみる

数年前、広島へ出かけたとき、

被爆者のお話を聞きたくて原爆ドーム前のベンチにぼんやり座って過ごした。

もちろん原爆資料館へ行けば、被爆者の体験を学ぶ講話やビデオがある。

が、「あらかじめ用意されたもの」ではなく、

「生の声」が聞きたかった。

ドームにいれば、被爆者が現れるのではないか。

果たして、「被爆者だ」と名乗るおじいちゃんが現れた。

週に1度、原爆資料館でボランティアをし、

それ以外の日は「ここに来る人にちょっとでも話を聞いてほしい」と

ここに来るのだという。

 

12月の寒風の中、冷たいベンチに座って2時間近くお話を聞く。

当時、ご自身は生まれたばかり。

県内に疎開していたので直接被爆はしていないが、

家族全員が「ピカ」と呼ばれて差別を受けた。

姪御さんは縁談が壊れたという。

戦後の苦労は並大抵のことではなかったのだろうと想像ができる。

 

「オバマ大統領が来てくれたのはうれしいが、

アメリカは核兵器をなくすわけではない。

その矛盾はどう考えるのか。

世界中から核兵器がなくならなければ、私たちの願いは成就しない」。

重く、切ない。

核兵器の全廃をめざす核兵器廃止条約(2021年発効)にも

日本はいまだ批准しておらず、

唯一の被爆国としての立場が問われている。

 

「長い話を聞いてくれてありがとう」と言ってくださったことがうれしかった。

あの日・1945年8月6日だけではなく、その後の広島の混乱、長く続く差別など、

被爆者には語りたいことが山のようにある。

どれだけ語っても語りつくせない。

それでも別れ際には笑顔だった。

「記念に」とご自身で撮影したという宮島の花火の写真をいただいた。

「お元気で」と手を振って別れた。

 

「本物の語りだったのか」という問い

同じ日の朝、原爆ドームで猫を見た。

人間はドームを眺めてかの日を想像するが、

猫は1945年と現在とを軽く行き来している。

そんな気がした。

不思議な光景だった。

実は不謹慎ながら、

お話を聞いたおじいちゃんが本当に被爆者だったのかどうか、後日調べてみた。

お名前をネット検索して、長く活動をされている方だと確認できた。

一方で、「別に、本物の被爆者でなくても構わないのではないか」と思う自分もいた。

様々な被爆体験をもとにした「騙り」であれば、

それはすでに貴重な「語り」である。

語り継ぐとはそういうことではないか、と。

 

今もお元気でいらっしゃるだろうか。

宮島の花火の写真は、

ヒロシマの関係の本を読む際に、栞として使わせてもらっている。

 

やっぱりいたたまれずに…

原爆資料館にも出かけたのだが、写真を見るといたたまれない気持ちになり、

午後は市電で八丁堀へ出た。

牡蠣を堪能する。

全くの下戸なので広島各地の日本酒をいただくことはできなかったが、季節の味に満足。

広島の街をふらっと歩いて帰宅した。

 

 

 

プロフィール
ライター
加藤 デコ
目指せ、ソロワーク、ソロ旅、ソロ温泉。 そのために、もの書きとしてがんばって働きます。

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