読書案内 横溝正史 金田一耕助シリーズ「車井戸はなぜ軋る」
金田一耕助シリーズ
「車井戸はなぜ軋る」
日本の名探偵と言えば、横溝正史の推理小説に登場する金田一耕助。
ヨレヨレの袴にボサボサ頭。乱れ髪を掻けばフケが湧く。
因習わだかまる農村で奇怪な連続殺人事件が発生すればそんな身なりでフラリと現れ、多少は事件を拡大させつつも鮮やかに解決して去っていく。
そんな彼が登場する名作と言えば、開放的な日本建築では不可能とされた「密室トリック」を成立させた「本陣殺人事件」。
地元に伝わる手毬唄の歌詞通りに旧家の娘たちが死んでいく「悪魔の手毬唄」。
あるいは信州の大富豪・犬神家の財産相続問題、ゴムマスクのスケキヨでおなじみの「犬神家の一族」だろう。
だがここで推したい横溝正史作品が「車井戸はなぜ軋る」だ。
角川文庫「本陣殺人事件」に収録。画像はKADOKAWAホームページから
対立する旧家。栄える旧家
落ちぶれた家の運命の子
舞台は岡山県のK村。
かつてK村には「本位田(ほんいでん)家」「秋月家」「小野家」という三つの名家があった。
だが明治維新よりこのかた、本位田家は悪辣ともいえる策で財産を増やして栄える傍らで、小野家に秋月家は財産を吸い取られ衰えていく。
やがて大正時代、見る影もなく落ちぶれた小野家は村での生活に見切りをつけて一族で神戸の街に移住していた。秋月家では生活力の無い主人・善太郎が本位田家の当主・大三郎の情けにすがって命脈を保つ一方、妻・お柳に八つ当たりのDVを重ねていた。
やがて秋月善太郎は病に倒れるが、闘病生活の中でお柳が妊娠する。同時期に本位田大三郎の妻も妊娠する。そして大正8年の春にお柳は出産するが、その赤子・伍一の目は大三郎に生き写しだった。
事情を悟った善太郎は屈辱に耐えられず、庭の井戸に投身自殺する。お柳も翌年に同じ井戸で自殺する。
お柳が生んだ伍一、それから一月後に大三郎の妻が生んだ子・大助は、目の形をのぞけば瓜二つの容姿だった。
だが「本位田大助」が名家の息子として何不自由なく育てられる一方、生まれて間もなく両親を失った「秋月伍一」は貧困に磨り潰され、自身の出生の秘密を周囲に噂され、とげとげしい性格に成長していった。
だが時間は、時代は平等に流れていく。ふたりは大正ロマンから激動の昭和に放り込まれる。
太平洋戦争の開戦。ほどなく大助と伍一は徴兵され、同じ部隊に所属する。部隊のマスコット扱いされる、瓜二つの大助と伍一。死地の戦地にあってはさすがに伍一も過去の怨念をおさめたらしいが、その本心はわからない
戦況が悪化する中の昭和20年、神戸に出ていた小野家は戦災で財産を失い、落ちぶれて村に帰還する。そして終戦の翌年、昭和21年初夏より物語が動き出した。
戦地から帰ってきた兄は盲目だった
兄の元の瞳は…兄は本物か?
当時、本位田家の屋敷にいたのは大助の妻・梨枝、大助の妹・鶴代。大助の父である大三郎とその妻はすでに亡く、祖母のお槇が家の一切を取り仕切っていた。ほかに大助の弟・慎吉がいるが、彼は胸を病んでサナトリウムに入院している。折を見てたまに本位田家に帰るが、交通の便の悪い時代とてサナトリウムから実家までの日帰りは絶対にできない。
鶴代は生まれつき心臓に障害があり、家から出歩くことも出来ないが、明晰な頭脳と文才に恵まれていた。慎吉はそんな妹を愛し、女流小説家に育て上げようとしていた。そこで特別な用事が無くても、手紙をしたためてサナトリウムの自分宛てに送るよう言いつける。これは彼女の「物を見る目と文章力」育む策だった。
鶴代は次兄・慎吉の命を忠実に守り、終戦直後の激動の世相を書き綴るのだが…
そんな折の7月。
不意に大助が復員してくる。
戦友に手を引かれて家の門をくぐる。懐かしい家の香りを嗅ぎ、家人の声を聴き、顔の筋肉は感情の高ぶりに打ち震えている。だがその瞳には光が無かった。冷たく固まっていた。
戦友は語る。
「本位田君は戦地で失明して、あの通り義眼をはめているのです」
女ばかりの世帯に、待ちに待ったはずの若旦那の帰還。だが喜びが落ち着くにつれ、妙な感覚がにじみ出してくる。
出征前の大助は朗らかで思いやり深く、誰からも好かれる性格だった。だが復員後の大助は…
家の中を探り歩きしつつ聞き耳を立て、些細な物事に激高する。
祖母のお槇も年の功と女の勘でそれとなく悟り、まだ小娘の鶴代に
「もうひと月ちかいのに、大助と梨枝は夫婦らしくじゃないか。寝床まで別にして」
と、こぼすありさま。
家人の違和感は一点に逢着していく
「大助と伍一が入れ替わっているのではないか?」
本位田大助と秋月伍一が「腹違いの兄弟」なのは周知の事実だった。
そして生まれたのは伍一方がひと月ほど早かった。
つまり伍一は兄だ。本当ならば伍一こそ本位田家の跡取り息子なのだ。
だが彼は落ちぶれて滅んだ秋月家の子として貧困の中で育ち、方や大助は跡取り息子として何不自由なく育ってきた。
伍一は大助を恨んで妬んで恨み抜いていた。
そんな伍一が戦線のどさくさにまぎれて大助を殺し、自身の目をえぐることで大助に成りすまして「復員」を遂げ、本位田家を乗っ取るつもりではあるまいか…
思い悩む鶴代はサナトリウムに入院中の兄・慎吉に思いのたけを切々と手紙で訴える。
慎吉はそんな妹に提案をする。
大助が出征前に、自身の手形を捺した絵馬を村の絵馬堂に奉納している。その絵馬がまだ残っているはずだから、手形の指紋と家の「大助」の指紋をくらべてみてはどうか…
兄の知恵に感心する鶴代だが、彼女は虚弱体質で家から出歩けなかった。
鶴代にかわって絵馬堂に向かった女中は謎の転落死を遂げ、絵馬の行方は謎のまま
そして…
「因習極まる地方の農村」
「旧家の対立」
「過去の怨念」
「出生の秘密」
横溝ワールドのオンパレード
そして
「戦地から帰還した正体不明の人物」
「奉納手形による真贋確認」
と、後の「犬神家の一族」で開花する設定を取り混ぜた「車井戸はなぜ軋る」。
肝心の金田一耕助は「チョイ役」だが、まさに横溝正史のエッセンスを抽出させ尽くした逸品だろう。
※メイン画像は©663highland