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コラム
井筒和幸の Get It Up !
映画の夢を追った70年代、天下御免の80年代、苦闘の90年代、そして新世紀へ、”わが映画渡世”を語ります。乞うご期待!(井筒和幸監督・映画監督)
2023.01.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.57
映画監督 井筒 和幸
太陽光かタングステンライトが当たり、フィルムに人間と風景が感光したら、もう映画だ。撮ろう。そんな思いが募るばかりだった。
ボクのような、今までにない新しいテーマで新しいタッチの邦画を探していた映画ファンには、(前回も触れたが )“実録”と銘打って現れた1973年の『仁義なき戦い』シ
2022.12.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.56
映画監督 井筒 和幸
勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。
1973年がくるのが殊更、待ち遠しかった。年が明ける前に、大阪の歓楽街・新世界にある洋画封切り館にかかっていた『バラキ』(72年)なんぞを、何か得るものがあるか
2022.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.55
映画監督 井筒 和幸
勉強にならなかったものは忘れている。その30本を、もう一度観てみたい。
1972年、この年は見たくてうずうずする映画が、次から次に封切られて、ほんとに映画の勉強になって良かった。でも、もう親から小遣いはもらえないし、仕方ないからバイ
2022.10.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.54
映画監督 井筒 和幸
正しい演技、間違った感情・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。
高校を卒業して、しなければならないこと、行かなければならない場所がなくなった時、ボクはやっと「自由」を手に入れた気分だった。『イージー・ライダー』(70年)で焚
2022.09.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.53
映画監督 井筒 和幸
放送クラブにいたちょっと美人で大人っぽい目をした女子に、「ゲリラ上映を助けてほしいんやわ」と声をかけた。
――(先回からの続き)。1970年、高校3年の秋の文化祭で上映するために作った、初めての8ミリ劇映画もどきは、かなり、内容が深刻で衝撃的だったのか、映画研究部顧
2022.08.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.52
映画監督 井筒 和幸
「映画を作って生きていけるなら何でもしますと、悪魔ならぬ、映画の神に祈りながら・・・・」
洋画や邦画を片っ端から見ることに明け暮れた1970年代を、再び、追想したい。ボクが17歳から10年間に見た映画は数え切れない。恐らく、その10年間は後の80年代
2022.07.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.51
映画監督 井筒 和幸
「大学を卒業してからじゃ、そんな感性は失くなってしまうし、どこかの会社に勤めて、そこの歯車になっては、なおさらだろう。」
人生は一度だ、この世以外に何がある、人は一人で耐え、一人で笑い、生きるのだ、と思わせる映画は、確かに気が安らぐのだった。主人公も孤独だし、誰もがそうなんだと気づ
2022.06.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.50
映画監督 井筒 和幸
「映画は孤独を慰めてくれるのではなくて、孤独だと気づかせてくれる」と、 メモにある。
享楽的なモノ、つまり、正義の味方が登場して、問題を解決する、早い話が、勧善懲悪なモノ。そういうものは映画館の前に立った時に直感で分かった。でも、映画は日々の喜怒
2022.05.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.49
映画監督 井筒 和幸
「相変わらず、日本映画に中身がなく、ウソっぽくて取って付けたドラマが多く、食指が動かなかった」メモにある。
享楽的で荒唐無稽なモノには、興味がなかった。唯々、社会勉強、人生勉強になるモノを探した。それが、ボクの日々の充足感だった。高校入学してすぐに体験したスタンリー・
2022.04.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.48
映画監督 井筒 和幸
「うっ憤や退屈が、脳に沈殿してしまうと、人生はつまらなくなって当然だ。 そのための映画なんだ」とメモにある。
と、前回にも書いた。これは18歳頃のボクの映画への思いだった。折角、現実の気だるい時間を割いて映画館という非日常に逃げ込むのだから、心を揺さぶってもらいかった。
2022.03.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.47
映画監督 井筒 和幸
「快楽ホルモンなどが脳に分泌されて、苦を忘れられるユーモアたっぷりの映画を探し歩いたのもその頃だ。」
高校生なのに、アメリカ映画の『卒業』(68年)や『ジョンとメリー』(69年)などの色恋の話に、ボクはあまり気がいかなかった。サイモン&ガーファンクルが唄
2022.02.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.46
映画監督 井筒 和幸
「思春期からの数多の映画が、ボクの血肉や骨、そして、心まで作ってきたように思う。そうとしか考えられないのだ。」
少年の頃は、映画館に入る度に祈ったものだ。今日も頼もしく、おかしな奴や、胸に迫る場面に出会えますように、と。 アメリカ映画の『バルジ大作戦』(65年)では真冬の
2022.01.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.45
映画監督 井筒 和幸
「映画が生涯の友どころか、近いうち、自分で撮る日も来るだろうと夢に見たのもその時だった。」
映画館を出る度に思ってしまう。どうしてここまでどうにもならない他人の出来損ないの人生に、真面目につき合えるものだと。そんなお人好しで暇な人間なんてそういるもんじ
2021.12.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.44
映画監督 井筒 和幸
「どうしてこんなに現実は退屈なんだろう。そして、現実はつまらないか、哀しいか、だけだった。」
これからのボクの映画作りは、小説家の書く物語、お伽話とは決別して、現代や過去の出来事、事件、人、モノ、コトを自分なりの思想でどう切り取って自分なりに再考再現して
2021.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.43
映画監督 井筒 和幸
「自分の映画を作っていこう。そうしないと自分の心が、自分の思想がどこにあるのかも分からなくなる。80年代の撮影所システムで学んだことだった。」
『犬死にせしもの』は1986年の4月半ばに封切られたが、スマッシュヒットにもならず、とても残念だった。でもボクはもう当分、メジャー映画は撮りたくないとも思った。
2021.10.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.42
映画監督 井筒 和幸
「こんなのは、ミゾ(溝口)さんだけちゃうよ、誰でもリアリズム。昔から京都のシャシン(映画)はリアリズム」と言われた。日本のリアリズムは京都だったんだと思い知らされた。
もう当分、海面は見たくなかった。1986年の1月終わり、「犬死にせしもの」(なんと古風でいいタイトルだろ…)のロケは、年を越してしまい、海上の撮影はラストシーク
2021.09.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.41
映画監督 井筒 和幸
ストーリーや銃器アクション、海上でのキャメラワークにこだわったニューシネマを撮りたかった。ボクには「映画こそ命」だった。瀬戸内の海で朝、昼、夜なく、キャメラを回した。
勝新太郎さんの奥方の中村玉緒さんも、海賊の真田広之の母親役で参加してくれた『犬死にせしもの』。海の上での撮影は困難を極め、船酔いしている暇さえなかった。長さ10
2021.08.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.40
映画監督 井筒 和幸
べタな娯楽モノしか作らない邦画界の横っ面を張り飛ばしてやりたいとボクの血も騒いでいた。「海賊でもやって一旗揚げて、…どうせおまえもわしも一遍も二遍も死に損ねた身体じゃ」という原作の一節はボクの気分を代弁していた。
京都の大映撮影所は今、その跡影もない。『新・悪名』で台詞を喋りながらカレーライスを10カットの間に完食してしまう勝新太郎や、相棒の田宮二郎の名コンビを生み、『眠
2021.07.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.39
映画監督 井筒 和幸
「井筒はメジャーに心を売ったか」と書かれたりした。もう一人のボクは「そう、体は売ったよ、でも、心までは売っとらんわ」と呟いていた。
1985年の夏が過ぎて、『二代目はクリスチャン』は、原田知世主演の『早春物語』と併映で、9月中旬に東宝の洋画系チェーンで角川春樹事務所10周年記念作品と銘打って
2021.06.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.38
映画監督 井筒 和幸
「なぜ、京都の撮影所に行ったか?それは旋風を起こし、映画のスタイルを変えたかったからだ。そして、大部屋俳優たちがボクの仕事を助けてくれた。」
京都はテレビ時代劇の撮影が多いので、有名俳優たちも撮影所内の大食堂で今日のランチを食べて歓談していた。こっちはまだ32歳の新米。京都東映に外部からそんな若いカン
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