「内田百閒は一見に如かず」
「コロナの頃はよかったよね」なんてことが言われる時代が来るのでしょうか。流石にそれはないと思いたいですが、とんでもないことが平気で起きるのが令和の世の中です。リモート中心の新しい生活様式とやらにもすっかり慣れました。この様式、個人的には好き嫌いで言えば嫌いですが、良い点もあります。
コロナ以前より時間があるのです。宮仕えの宿命ですがそれまでは仕事場への移動に毎日1~2時間は使っていました。その時間が自由なのです。若い頃なら睡眠を増やしたのでしょうが、そんなに寝る体力はもうありません。あつ森の誘惑もありましたがゲームには過去痛い目にあって懲りています。増えたのは動画を見る時間と読書。まだ世間がざわざわ落ち着かない5月中頃にYouTubeで町田康さんが内田百閒著「阿呆列車」をボソボソッと勧めていました。内田百閒と言う名前はどこか(教科書かな?)で聞き覚えはあります。それよりもタイトルが気になって本屋さんで手に取ると、これが、まー面白い。嵌りました。昭和26年ですから今から69年前に書かれた本。一言で言うと紀行文なのですが、その旅のルールが妙です。阿呆列車の冒頭にこう書かれています。『用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』つまり何の用もあてもない道のりを「阿呆列車」と名付けその珍道中が描かれています。これがほんとにアホらしくて楽しい作品なのです。
9月某日。その日は起きて窓を開けたら前日までほど暑くなく「ヨシッ」と心がすこぶる高まって仕事をたちまち夏休みにして東京駅へ向かいました。「阿呆列車」をやってみたくなったのです。阿呆列車の初っ端は「はと号」という特別急行列車での旅ですが、当の昔(1972年)に廃止されているので、今一番その頃のはと号の行程に近い東海道線の鈍行列車に乗ります。これで大阪まで乗り継ぐとその日のうちに帰って来られなくなるので、静岡までの切符を購入。そうだ、富士山、見よう、と心も元気に出発です。
通勤時間帯をはずしたので、車内はガラ~ンとしていますが乗客全員マスク姿はさながら近未来のようで不気味です。静岡駅までたっぷり3時間以上。はと号だと展望デッキや食堂車や車内販売など色々飽きないことがありますが今の電車には何もありません。車窓の眺めも途中から見飽きてしまいヒマでした。さらに東京駅を出たときはいい天気だったのが小田原辺りから曇り出し、おやおやと思っていたら案の定富士山の頂きはすっかり雲で見えませんでした(※写真①)。静岡駅に着きましたが特にすることはありません。元々目的なく来ているので当然です。家を出る前に鞄に突っ込んだ地図帳を広げると駅のすぐそばを安倍川が流れているのを見つけました。
歩いて安倍川までやって来ました。途中で通り雨に遭い大きな木の下で雨宿りしましたが安倍川に着くと空も良くなりました(※写真②)。川のほめ方に詳しくありませんが、なかなか素敵な川です。川辺のそばに安倍川もちのお店があったので入りました(※写真③)。創業は江戸時代文化元年だそうです。壁には著名人のサインが短冊で飾られています。
僕が座った席の後ろの短冊はなかなかインパクト強めの人でした(※写真④)。安倍川で食べる安倍川もちはうまかったです(※写真⑤)。そういや、まだお昼を食べていません。そのときふと昨晩遅くに食べたカップ麺を思い出しました(※写真⑥)。すぐにスマホで調べるとさっき通った富士駅で途中下車して乗り換えると18分で富士宮駅に着きます。これはもう富士宮で富士宮焼きそばを食べるしかありません!
安倍川をすぐに離れ再び静岡駅から上り電車に乗って富士宮駅に到着(※写真⑦)。イメージとしては駅前にズラリ焼きそば屋さんが並んでいると思いきやまるで見当たりません。それでも場所柄大丈夫だろうと駅から最短距離の食事処に入りました(※写真⑧)。大丈夫でした。ありました。焼きそばだけでは味気ないのでメニューの中で特に目に付いた地酒「富士山」も一緒に頼みました(※写真⑨)。旅気分もあるのでしょうがどちらも当たり、旨かったです。つい調子に乗ってあれこれ注文してたっぷり飲んだら暗くなったのであわてて駅に戻りました。
それから帰りの電車の中では地図帳を開けて、北から次々と地名のつく名物(食べ物)を見つけました。札幌で食べる札幌ラーメンに始まり、盛岡で盛岡冷麺、米沢で米沢牛、宇都宮で宇都宮餃子、金沢で金沢カレー、とあげていくとこれでもかこれでもかとキリもホドもなく、ページが九州になり博多で博多ラーメン、佐世保で佐世保バーガー、長崎で長崎ちゃんぽん、とアッという間の帰途でした。
ところで「阿呆列車」を真似した翌日のお昼、自転車漕いで深川まで深川飯(※写真⑩)を食べに行った話はまたの機会に。