「夏子さんとのこと」
僕の生活必需品のひとつに湿布薬があります。もう長い長い付き合い。肩こりは幼い頃からで小学三年生のときにはサロンパスを貼って登校して、友だちから「なんかツーンと臭うばい」とよくからかわれました。おそらくは遺伝です。小学一年生の頃、下校するとすぐに母親の肩を200回叩いて20円もらって駄菓子屋へ駆ける毎日。家には常にサロンパスはもちろんトクホンやアンメルツやその後はピップやパスタイムなどが常備されていました。
話はいつも通り逸れますが1982年のパスタイムのCMは今でもきれいに覚えています。そうです!「きもちんよか~のパスタイム♪」です。製造元の祐徳薬品は佐賀の会社ですし方言からしてローカルCMだと勝手に思っていたのですが、このフレーズは全国区で大流行しましたよね。当時の三遊亭楽太郎(現六代目三遊亭円楽)扮する薬剤師の横で、もんぺ姿のおばちゃん三人がバレエダンスを行うシュールな演出。歴史や流行は繰り返すものなのでそろそろまたこの手のCMが現れる頃かもしれません。時をいや話を戻そう(ちょっと、ぺこぱ入れてみました)。
肩こりに加えて20歳のときに椎間板ヘルニアで3か月の入院生活をしたこともあり、西洋東洋問わず色んな療治や器具は経験しましたし買えるものは購入もしました。いわゆる温泉旅館や観光ホテルの売店で売っているマッサージ棒やツボ押しグッズは一通り試しました。マッサージ棒に関しては金属のものやプラスチックのものは10本以上は利用しましたがいずれも壊れてしまいました。肩こりが激しくて押す力に器具が耐えられず折れてしまいその破片が飛んで部屋の蛍光灯に当たりタイヘンな惨状になったこともあります。その手の器具の中では唯一木製のものだけ(※写真①)は今でもお世話になっています。
他にもアレコレ使う中で(※写真②)アテックス社の「ルルドマッサージクッション」は長く重宝しています。家電量販店ではいつもマッサージ機のコーナーで足は止まりますがなかなか手の出る価格ではありません。いいなと思うものの値札を見ると軽自動車が買えそうな金額で驚きます。しかし「いつかはクラウン」な気持ち(たとえが古過ぎてわからんだろうなぁ)で狙っています。
さて、30歳を超えてから地元福岡で約10年暮らしました。そのときの月イチの楽しみはマッサージでした。当時はまだてもみん型の店舗は少なくて特に福岡は出張マッサージ(東京で出張マッサージというとニヤニヤされることがほとんどですが、清く正しいタイプ)が主流の頃。僕が利用していたのは60分3500円(出張交通費込み)というとても良心的なお店でした。髭が濃すぎて恐いお爺さん、若いシュッとした金髪男性、華奢な女子大生のアルバイト、目の不自由な方など多くの人にやってもらいましたが、途中からは「夏子さん」ばかりを指名しました。見た目は大柄で、ふっくらというよりも「がたいがいい」というのがピッタリきます。明るくて声が通って笑うと顔がクシャッとなってチャーミングな人でした。年齢は当時の僕より一回りくらい上だと思っていました。
この夏子さんのマッサージがとても僕のカラダに合いました。ほんとに気持ちがよいのです。これまで何百人からマッサージを受けたか数えきれませんが、マッサージはまさに相性だと思います。もちろん「ゴッドハンド」や「名人」と言われ誰が受けても気持ちよくしてくれる人もいますが、相性の良さには敵わないです。僕はマッサージの施術中におしゃべりをしてくる人は苦手です。でもこちらから何か話しかけたときは嫌がらずにこたえてくれる人がいいのです。はい、スミマセンわがままなのです。夏子さんはそんな僕をわかってくれました。当時、超多忙で疲れ果てていたときは施術後に「はい、くよくよせんで、シャキッとしんしゃい!」と気合を入れてくれることも何度もありました。夏子さんはカラダもですがココロも療治してくれたのです。夏子さんに「休みの日は何をしてるんですか?」と聞いたことがあります。「う~ん、マッサージをしてもらいに他のお店に行ったりするとよ、私も肩こりでね」と笑顔で答えてくれました。
別れはいつも突然です。何かのはずみで夏子さんが「孫はかわいかねー」と言いました。うん?孫?とフシギに思い「夏子さんって、いくつなの?」と失礼を承知で尋ねたら「70歳だよ」と言われ愕然としました。僕は何年もの間、母親よりも年上の人に肩を揉んでもらっていたのです。それを聞いてから指名することができなくなりました。あれから20年以上経ちました。今、夏子さんがご存命ならたぶん92歳です。もし会うことができたら、何も言わずに後ろに回って肩をもんであげたいと思っています。会いたいなぁ、夏子さん。
ところで、最近の湿布薬では「ロイヒつぼ膏(※写真③)」に嵌っていてパッケージの人物を勝手にロイヒさんと名付け親しげに呼んでいる話はまたの機会に。