「門田フジ、128歳」
2021年1月13日。朝6時起床。気温が低い。体温も低い(去年の3月から会社へ報告のために毎朝検温を続けています。この日は35度8分)。テレビの占いでは水瓶座は6位「勘が冴える日」、2月生まれは「まあまあスッキりす」の7位。朝食は抜くことが多いのですがこの日は冷凍食品のピラフをチンして5分で終了。午前中はリモート会議が1件。お昼は前日コンビニで買ったサラダとたこ焼きを冷蔵庫で見つけたのでそれを平らげ5分で終了。食べながらカレンダーで曜日をチェック。ちぇっ、週末じゃないのかと落胆。と、ここまではまるでいつもの水曜日のひとこまでした。ところがそのあと仕事仲間や友人とラインをしているときに、突然思い出しました。
あ!今日はおばあちゃんの誕生日だった!!明治26年(1893年)1月13日大分県生まれ。生きていれば128歳です。 名前は門田フジ。「私は蛇年生まれの蛇女」がわりと口グセ。僕は幼稚園の頃まで両親が共働きだったので、すっかりお婆ちゃんっ子でした。お婆ちゃんは一年の半分くらいは着物姿だったと思います。とても小柄な人でした(※写真①)。
僕は16歳のときは二度目の高校一年生をもたもたやっていました。そのときは既にお婆ちゃんは他界(享年85歳)していましたが、もっと色んな話を聞いておくべきでした。お爺ちゃんが戦争に行っていた間は一人で子どもを育てています。8人の子どものうち長男と次男は戦争で亡くし長女次女も若くて病死、三男は列車の中で突然死と自分より早く5人の子どもを失っています。
それなのに僕の記憶のお婆ちゃんは柔和なのです。編み物が上手で、その毛糸を使ってよくあやとりを教えてくれましたが僕はとにかく不器用で全くヤル気がなくいつも残念がられました。気が合うこともありました。お婆ちゃんも僕も相撲好きで一緒にテレビの前でお相撲さんを見るのが楽しみでした。お婆ちゃんは大鵬を応援していました。お婆ちゃんのおかげで僕は6歳にして大鵬という字を漢字で書けたので周囲は妙に期待しましたが国語の教科書に出てくる漢字はまるでダメでした。
あれは僕が6歳か7歳か。初めてのハサミに興味津々だった時期。お婆ちゃんが寝ている間にバッサリ髪を切ってしまったことがあります。ものすごく怒られました。お婆ちゃんにではなく、母親にです(そりゃそうですよね、お姑さんの髪を切るバカな息子)。お婆ちゃんは意外にケロッとしていて、「よかよか、どうせ白髪やけん、さっぱりしてよかよ」と言ってくれました。あのときは上手に謝ることができませんでした。あれから半世紀、ほんとに反省しています(なんかダジャレみたいになってごめんなさい)。
幼稚園から戻るとよく近所にあった陸軍墓地(福岡市中央区谷2丁目)に連れて行ってくれました。墓地の前の大きな石段で遊ぶのが僕の当時のルーティン(※写真②)。
僕が遊んでいたあの時間、お婆ちゃんは何をやっていたのでしょうか。それからお婆ちゃんはときどき僕と妹の子供部屋の隅で難しい本を読んだり漢字(漢文か中国語だったのかも?)の勉強をしていました。母から聞いた話によると女学校時代はシェイクスピアが好きだったのだそうです。
ある日、僕と妹で押入れの中にみかん箱で基地を作ったときお婆ちゃんはとても感動して押入れの中に入ってきて(小さいのですんなり入れた)気付いたらそこで居眠りをしていたことがありました。もしかするとお婆ちゃんは若い頃からずっと自分の場所を探し続けた人生だったのかもしれません。
ところで、僕はこのまま一生お見合いをしない人生なのかなという話はまたの機会に。