がんばれわかもの

Vol.170
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

 

ここ数年若い人との感覚がずれてきたなあと自分でも、結構、感じてきたけれど、最近強くそれを感じたことがありました。

 

このコラム、実は去年から編集の担当者が若い女性に変わったので、

これを機に、若者が何を考えていて、どういう気分なのかを話し合いながら書くことになりました。

勝手に独りよがりな事を書いて、森喜朗みたいな事になるのが嫌だったからです。

 

また、会社の部下たちも20代前半の若者が多く、そいつらとのズレを意識できるように。

という意味もあって、まじめに向き合うことにしたんですけど。

 

仕事をしていて、会社の部下だけではなく、今の若者は、びっくりするくらい自分が仕事でうまくいっていない気分になって悩んでいます。

なんというか、はっきり書けないんだけど、仕事に苦しんでいる人が多いと感じるのです。

 

コロナ禍での、リモートワークなどの働き方の急激な変化のなか、

自分と会社との関係や、仕事の本質について悩むし、見直しを迫られているかも知れません。

当然、個人差はあります。おじさんおばさんも同じ気分なんですけどね。

ただ、若い人の方がこれからがあるから生きがいを求める気持ちは強いですね。

 

そういう話を、このコラムの企画会議で若い編集者にして、

「今月はそんな若者たちにがんばれよってコラム書いたらどうかな?」

と話したら、めちゃくちゃ予期しない返事がかえってきました。

 

——————

「若者に頑張れ」という内容を書いてみたいとのことでしたが、

若者は「自分だけがこんなに頑張っているんだ」と思ってしまう人が多いように思います。

なので、「頑張れ」という言葉に嫌気がさしている若者はある程度いると思います。

小さいころから「頑張れ」と言われ続けてきて、「頑張っているのにこれ以上何を頑張れ」と。

「頑張れ」と言われることがつらいと感じる人は多いと思うのです。

今の若者からすると「頑張れ」は応援の言葉ではなくなっているのではないでしょうか。

——————

 

という返事が返ってきたのです。

正直「はあ?」と思ってしまいました。だったらなんて言えばいいのよ?と。

 

そもそも、その返答への違和感は、コラムを読んでる誰だか知らない人を「頑張れ頑張れ」と闇雲に煽りたいわけではなくて、

どういう話でどういえば「簡単にへこたれんじゃねえよ」ということを分かってくれるんだろう?

という質問をしたつもりだったので、この答えがリアルすぎて一発殴られたような気分になりました。

 

「頑張れ」と言っちゃいけないのならば、みんな鬱病気味ってことなんじゃないか?と。

 

確かにコロナ禍も、緊急事態宣言も、働き方改革も、憂鬱なことだらけだから、

「頑張れ」なんてオッサンから言われたくないんだろうなあというのも分かります。

世界中が憂鬱で、いまちょー元気だと逆に心配でもありますが。

 

しかし、そこまで追い詰められているんだったら、原因を把握して根本的な何かを変えなきゃいけないと思いました。

 

それがコロナ禍で露呈し始めた悪ならば、仕方ない。

これを機に色々考えたり話し合ったりして、大人と若者、男と女、日本では希薄だけど人種問題。

見て見ぬ振りをしてきたギャップ。

これを埋める努力をした先にあるものがニューノーマルと言われる社会であるべきだ。

 

オッサンもオバサンも今までの態度ではいけないということが理解できてない人もいる。

というのが森喜朗の発言や、緊急事態宣言中に平気でザギンでナオンしている政治家などの行動、

その後の態度でばれちゃいました。

 

昔の人は、僕が子どものころのオッサンはみんなあんな感じでした。

意味もなく威張っているような人がいっぱいいて、

そういう人は面白い冗談を言ったような気になって差別的な発言をする。

酔っ払った親戚のおじさんと学校の先生に多かった。

 

「頑張れよ」は若者には、そんなのと同じニュアンスに聴こえているのかも知れない。

もういいよおじさん、もう分かったよ。と。

 

若者だけじゃない。

比較的簡単にへこたれてる大人もいれば「頑張れ」と言われるのが苦痛な大人もいる。

「頑張れ」と言われるのが嫌いという前に、比較的簡単にへこたれてしまう人たちには、

仕事に関して自分の中で、規定とかルールとかはあるんだろうか?

 

 

なんのために誰のために仕事をするのか決めてやってるか?

という疑問に本気で向き合ったことはあるんだろうか?

 

 

子供は大人になると親の経済的な庇護から離れて独立した生活をしなければならない。

ならないわけではなく例外もあるけどそれは置いておこう。(親にうだるほど金が有ればそんな悩みはない)

 

自分の持っている技術や体力やアイデアを他人がお金を出して買ってくれて、それを継続できて、生活していく事ができる。

納税する時にその内容を具体的に書ける。

「職業=仕事」と大きく捉えるとしたらそれが仕事であり、その経済的な独立性が大人と子どもの違いでもある。

 

 

仕事の内容は、その人がどういう人か、ある程度人格を規定する。

 

仕事は生活するための糧と生き甲斐を与えてくれる。

 

仕事をしていく中で一番大事なことは「信用の継続」である。

 

 

仕事はうまくいかない事の方が多いけど、嫌なことが多いけど、それを乗り越えられたらきっと喜びが待っている。

乗り越えられなかったとしても、多分殺されることはないからまた立ち上がればいいだけ。

 

仕事でうまくいかない事を他人のせいにしたり、時代のせいにしたりしてはいけない。

何があっても自分がそれにどう対処したか?それしかないからだ。

 

僕は若い頃、今の仕事に就いたときに、仕事ってなんだろう?と思い、

色んな本を読んで、自分には仕事はこういう事だと自分で規定しました。

 

若いうちからそういう自分の中での仕事の定義を作る必要があると思ったのです。

 

できるならみんなに、学生じゃなくなった瞬間からそれをやってほしい。

仕事は他人様からお金をもらってやってる事だからだ。

自分の都合では動かない。

納得して我慢できる範囲を増やすべきだ。 

失敗も成功も、経験していくごとに自分の定義した芯みたいなものを育てていくような気分で

仕事に相対していればマイナスの経験なんてなくなるんだと思う。

 

ただ、漫然と言われた事だけこなして、失敗して怒られたからって落ち込んだり、

折れたりするのは、馬鹿すぎてただただ自分に対して申し訳が立たない。

 

そもそも、20代前半で仕事について、一生のうちで人が思い切り働ける時間なんて長くて30年くらいしかない。

僕は仕事に就いて、今年で丁度30年たちました。

あっという間でしたが、そのうち最初の10年は這いつくばって暮らすような下積みの時間だった。

次に、いい時はなんとなくやってきてうまくいって10年。

いい時の10年は体感的に一瞬でした。

次の10年は下がっていく自分のグラフの線をどうやって緩やかにしていくかの戦いです。

同じ職種の若い奴がどんどん出てくるし、テクノロジーは進化するし、もう大変です。

 

何が言いたいかというと、人生の中でバリバリいけるのはそのたった30年しかないわけです。

永遠に苦行を強いられているわけではないと言うこと。

バリバリ出来なくなってくると、上手くいかなくても、もがいていた下積みの頃でさえ愛おしく感じるものだし、つい最近のことだと感じる。

 

と、自分では思っているけど、実を言うと仕事に対する不安がなくなった日は1日もない。

 

若者たちの行動を制限しているのはこの「不安」という感情が大きいのかもしれない。

若さからくる不安。経験不足からくる不安。

このままずっと上手くいかないんじゃないかという不安。

自己愛がつよくて、カッコ悪かったときの不安。

 

編集者は、若者は自分だけ頑張っているような気分で暮らしている。と言ってきたけど、そういう不安もあるでしょう。

大学出て消毒液でテーブル拭いてばかり。下積みをいつまでやればいいのかの不安もある。

 

その「不安」がこわいとしたら、まあ、安心してください。

不安は生きているうちは無くなることはありません。

「不安」とは、何か嫌なことが起きるかもしれないという予感。

という意味ですが、

上手くいけばいくほど強くなるし、やりたいことが増えれば増えるほど不安は増えていきますね。

 

若い頃の不安がずっと上手くいかないんじゃないか?という不安なら上手くいくにはどうするか考えて動くしかないですね。

 

どこに行っても、なにがあっても、必ず不安は影と同じでついてくるんです。

諦めて笑うしかない。

不安を減らすには、身も蓋もない努力を毎日つづけるしかないと村上龍さんが言っていました。

 

 

若い頃の、責任をとらなくていい頑張りはチャンスでしかない。

おじさんたちにはなんだか責任がついてまわる。

それがどんどん重くなっていくから、ぼくは若者がうらやましい。

思い切りやってだめならオッサンがケツ拭いてくれるんですから。

 

いつまでやればいいか?は、さっき書いた30年ですよ。平たくいうと。

 

そういう話は、多分、大人が子どもにしてやらないといけないんだけど、

そんな事をちゃんと考えて生きている大人が少ないのが問題だとも思います。

 

あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ。

自分のことを棚にあげて、自分の価値観もないまま世間体と綺麗事を子どもに押し付けるからこんな世の中になる。

学校の教員も然り。

信念のない大人が子どもみたいだから、子どもが不安になるんでしょう。

 

本当は、警察につかまらず、税金をちゃんと払ってれば何をやっても自由。

ということが前提になきゃいけないはずなんだけど、それすらわかってない。

常識だと思って偏った価値観で暮らしてるから変なことになっちゃうんですよ。

 

大人もちゃんと筋の通った話を若者にできるように準備してもらいたいし

パワハラだのなんだの気にして、なにも言わないんじゃなくて

ダメなもんがなぜダメかをはっきりさせてダメなもんはダメだとちゃんと若造を叱らなければいけないと思う。

パワハラを怖がって教育を怠ってはいけない。

 

その若者の人格を否定するわけではない。やったことがダメだと言ってるんだ。

というお互いのルールも必要ですね。

 

だから、そういうことで、

頑張れよ。若造。まだまだ物足りないぜ。

嬉しそうに仕事してたらいい事あるさ。

 

ちゃんと収入が得られて、社会から必要とされている実感も得られて

生きがいという幸福感を得られるために、自分の強みを見つけて磨くんだ。

と、若者にいいたいのです。

自分の強みが見つからないなら見つかるまで探せ。

大事なことは、いちいち何かにびびらないことですよ。

 

そして、いつか「こいつらと組んで何かやりたい」という、魅力的なメンバーのネットワークをSNSなどで作って

大切に温めておいて、何をしたら面白いか考えておくのも手ですね。

それを楽しみにしながら、みんなの頑張りを横目で見ながら、自分の成長に期待する。

そうすると、そのチャンスは比較的早く来る。

そういうことが簡単にできそうな道具がいっぱいある。今の時代は羨ましい限りですね。

 

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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