大丈夫かなあ?諸々
僕の家は地下一階と一階のメゾネットになっていて、地下に玄関があります。
この建物の地下に玄関があるのは僕の家だけなんですが、
地下への階段を降り切ったところの壁には、建物の配電盤やコントロールスイッチがいっぱいついた壁があります。
先日、ひどい雨が降る夜中に聞いたことのない警報音が突然鳴り響きました。
玄関の外でけたたましく鳴り響いている。
せっかく寝てくれた赤子は起きるし泣くし「なんじゃこりゃ?」と外を見に行くと
その壁のスイッチだらけの中に警報装置があって、赤いランプを点滅させながらビーコンビーコンと大音量の警報が鳴っていました。
見ると、点滅する赤いランプの横に「駐車場排水タンク」と書いてある。
これはなんだろう?
この家には6年住んでるが、こんなことは初めてで、しかもその警報音の止め方も知るわけがない。
ただひたすら大音量で不快な音が鳴り続けて、赤ん坊もそれが嫌ですごい音量で泣き始めた。
うるせーなー。と、そこに書いてある警備会社に電話をすることにした。
「はい〇〇警備保障です。いかがなさいました?」
「渋谷区恵比寿の〇〇というマンションのものです。
なんだかよくわからない警報が鳴り続けていますが、これ何ですか?止めてもらえませんか?」
「お調べします。あー、その警報は駐車場の排水タンクがいっぱいになってるというアラートになります」
「“になります。”ってあんた。それはどうでもいいんだけど、避難とかしなきゃいけないのか?」
「いえ、その必要はありません」
「んじゃなんで鳴ってんの?止めたいんだけど止め方とかあるの?」
「止め方はありませんので、うちの係の人間が駆けつけます。お待ちください」
「早く駆けつけてくれよ。夜中にこんな音で、赤ん坊が起きちゃったじゃねえか!
火災です、逃げてください。って警報なら意味がわかるよ。
外にある駐車場のタンクが満杯です。って俺んちの前で鳴ってさ、俺になんかいいことがあるの?
止めることもできなくてさ。もう1時間くらいなってるぜ」
「いえ、記録によると39分ですね、鳴ってるのは」
「お前舐めてんのか?」
「とにかく係のものが駆けつけますのでお待ちください」
「駆けつけるってすぐ来るって意味だよな。39分もきてないんだぜ。鳴りっぱなしでよ」
「管理人とかいらっしゃらないんですか?」
「常駐の管理人なんかいないよ。
っていうか39分は胸張って答えるのに管理人がいるとかいないとか分からんまま警報はなるようになってんのか?」
「はい、まあその辺は、はい、あんまり関係ないので・・」
「ここで警報鳴らしても俺に打つ手がないんなら、お前のとこでだけ鳴ればいいんじゃないの?
黙って静かに処理してくれない?」
「とにかく係のものが駆けつけますので、申し訳ありませんがお待ちください」
と言ったまま電話が切られた。
AIと話してるのかと思った。これは現実だろうか?
こういう嫌な夢をたまに見るよな。とか。
電話の向こうの係のやつも、コイツめんどくせえ奴だなあ、こえーし。と思っただろう。
そうだよ。
こういう時の自分のめんどくささや、俗に言う性格の悪さは自分でも対峙したくない。
自分の立場での正論をキツく低い声でゆっくり言ってるだけなんだけど、いつも加害者みたいになる。
些細なことでこんなに嫌な人間にならなくてもいいとも思う。
いろいろ他人には都合があるからだ。矢面に立ってるやつが失敗してるわけではない。
ただ、今、自分の中に漂っている漠然とした不信感は誰に対するものか分からないが、些細なことで爆発することが分かった。
人の揚げ足を取って自分の中の怒りが増幅する。
これが世の中に蔓延しているとしたら結構危ない。とも思う。
39分+15分くらい経って警備員風の男がずぶ濡れになってやってきて警報を止めて帰った。
そいつには文句は何も言えなかった。こいつも夜中にずぶ濡れで可哀想に。とさえ思った。
「お疲れさん、ありがとう」と言ったら無視された。
ピキッとなって「クソが」と思った。
でも何も言えなかった。気持ちはあっち行ったりこっち行ったりする。
次の日、〇〇警備保障じゃなくて、マンションの管理会社から電話がかかってきた。
「昨日はご迷惑をお掛けしたみたいで申し訳ありません。
お問い合わせの件は、駐車場の排水タンクがいっぱいになったら鳴る警報装置が壊れていて
これを修理しなければいけないということです。
これを修理したら治りますが、次のマンションの理事会に議題として挙げて、理事様達の承諾を得ないと修理する予算が組めません」
と真面目に言った。
「で?」
「で?って・・・」
「で?だよ。
理事会にそんな話をしたいわけじゃねえんだよ。お前も大丈夫か?」
「え?」
「夜中になんかの警報が鳴る。ものすごいでかい音でね。
でもそれが鳴ったからって逃げなきゃいけない訳でもねえし、なんの支障もない、らしい。
ただ家の玄関の近くで警報が鳴る。運悪く夜中だった。止める方法も知らない。赤ん坊は泣き出す。
書いてある警備会社に電話したら係員が駆けつけるから待ってろ。という。
1時間くらいしたらずぶ濡れの警備員がスクーターに乗ってやってきて、やっと止めた」
「はい」
「日常の暮らしの出来事として、その出来事の想像をしてみろよ。
お前はそれを我慢できるのか?
お前のいうことを解読すると、それでもまたいつ鳴るか分からないのに
理事会の承認を得ないと修理はしませんからまた鳴りますけどよろしく、ってことだよな」
「そうは言ってません」
「じゃあなんだよ?」
「その辺は僕に言われてもなあ?・・・」
「はー?僕ちゃんが電話してきたんだよ、俺に。
頼みもしてないのに。そうじゃなかったっけ?」
「警備会社が電話しろって言うもんですから。わかりました。警備会社と一回話します」
と言って電話が切られてその後電話もない。警報もなっていない。
何が言いたいかって、日常が万事この調子だから「自分が狂ってるんじゃないか?」という疑念すら湧いてくる。
全体を見渡してもそんなことだらけ。コミュニケーションがすごく雑。というか下手くそ。
ああ、また嫌な人間だなあ俺。と思いながら。
最近、元上司が国会に呼ばれるような大騒動に発展した事件があった。
しょうもないことがあって、元上司も可哀想に国会議事堂の中で質問攻めにあっているのだが、
相手側のお役所の人たちは、何を聞かれても「お答えします。記憶にございません」としか言わない。お答えしてないでしょ?
記憶喪失病練からのNHKの生中継か?と思うくらい。なんのために国会はあるのか?
国会って嘘ついていいのか?子どもも見るだろう国会中継中に平気でウソがつけるのだろうか?
そこの責任の逃れ方が浅ましい人間がいっぱいいるのだ。
というのも綺麗事だけど分かっているんだけど、あまりにも酷くないか?
コロナ禍で非常事態宣言の延長を繰り返して、ワクチンの入手も遅れている。
保育園の運動会も中止なのに、オリンピックはやるらしく、
三密は避けろと言いながら、代々木公園にパブリックビューイングの準備に入りました。
公園の木を切りました、許せません。みたいなニュース。
原子力発電所の再稼働と似た議論。「この状況で何故?」的な。
そして問題は木ではない。
「代々木公園のパブリックビューイングは中止にします」と緑のタヌキが胸を張るが、それ以外の公園のパブリックビューイングは着々と準備中。らしい。
ワクチンの入手が遅れて日本人はワクチン難民になりかけていたから、メーカーの違うワクチンを日本で作ったんだけど
副反応が出たとか出ないとか言って使うのやめとこうよ。と、余っちゃって外国にタダであげちゃうらしい。とか。
ワクチンをもらった国は本当に嬉しいのだろうか?
なんだか、何が大事だか分からなくなっていることだらけ。不思議な集団行動。
僕らの知らないいろんな闇の理由があるんだろうけど、ひた隠しにして本当に大事なことはその下のレベルに平気で追いやる。
「国民の生命と財産を守る」のが国の役割だと習ったが、今はまさに国民を命の危険に晒し、税金を誰かが着服するかドブに捨ててる。
「なんで?」と聞いてもちゃんと答えられる人はいない。ちゃんと答えたら身の安全はない。
警報の音が夜中に突然鳴らないようにしてほしい。ただそれだけだった。
うるさいから。
鳴ってもどうしようもないのに鳴る設定になっているのは何故なのか教えてほしい。
その理由に納得できれば「鳴っても仕方ないよ」と思うんだ。だから理由を教えてくれ。
理由がないなら、その、あんまり考えないでやる仕事はやめてくれ。
すぐに、鳴らないように設定を変えてくれ。そう言ってるだけなんだ。
関係ありそうで関係のない話に悩まされるのはうんざりだ。
誰か、ちゃんと、聞いたことに答えて欲しい。
コロナコロナって危険が怖すぎて、縮こまって生活している。
みんな爆発寸前なのに頓珍漢なことばかり起きて、その怒りを我慢して変になりそう。
それが今の気分でしょ?
非日常が一年以上続いてる。今までの日常がなかなか戻ってこない。
一刻も早くマスクしないで友達と集まってカラオケで歌いまくりたいのだ。
頓珍漢な事件が国のレベルでも起きていて、もうみんないい加減うんざりしている。
あんだけ国会で茶番劇場を放送して騒いでおいて、調査します。ってやっといて
調査の結果がテレビで放送されたのを見た覚えがない。ホームページを見てくださいってか。
誰が責任取ったのか?
そんな話ばっかり。
問題ばっかり投げつけられて、それがスカッと解決したところを見たことがない。
なし崩し的にどうでも良くなっていくことばかり。ヒーロー不在な世の中だ。
いや、元々そうだったのかもしれないが。
昔はバレない分もっと酷かったのかもしれないが、そういうことになるのが恥ずかしい。という気概みたいなものはあった。
高倉健さんや渥美清さんの映画で演じる役柄の「男の生き方」をみんなが見ている頃はもう少し、特に男が男らしくありたいと思った。
群れず、悩み考え、闘い、弱者を救い解決する。
見返りを求めずに静かに去っていくんだ。
今は「男らしい」ですら禁句みたいな世の中だ。
雑なやつが建前を盾に取って他人の気持ちも分かったふりして考えずに、目先のことだけの椅子取りゲームに勝てば儲かる。と躍起になって。
バレたらとぼけて知らぬ存ぜぬを決めまくって、記憶をなくしてまで責任は取りたくない。
交通事故の現場で自分が悪くても絶対先に謝っちゃだめですよ。と保険屋の言い分みたいな話。
車を暴走させて通行人を跳ねちゃってもコンビニに突っ込んでも謝らずに車のせいですから。
自分が若い頃、何者になりたかったのか忘れたズルい奴らばっかりの世の中になってきた。
そういう奴らが変に堂々としてるから、それに腹を立てると腹立てた方が悪者扱いですよ。
子どもたちだって、「なーんだ、あれでいいんだな。」と思うだろう。
こんな国で健康な心でいる方が今は難しい。
だからみんな憂鬱な気持ちになってる。
平和でいい国なんだけど、もっとひどい国は沢山あって難民とか出てる。
一生懸命裏で支えている人がいっぱいいて、その人たちに感謝しなきゃいけないんだろうけど。
どっちらけるような毎日であることは確かだなあ。と思う。それが今は嫌だ。
このパンデミックの騒動が終わったら、一回ちゃんと自分のことを見つめ直すべきだと思うのです。
そうじゃないとなんの教訓も得られないまま苦しんだだけ。ということになる。
ちょろまかす、すっとぼける、やり過ごす、丸め込む。をしない人達になりたい。
それこそが実はニューノーマルなんじゃなかろうか?
だから高倉健さんの任侠映画をいっぱい見た方がいいんじゃないか?と思うのです。
「任侠がNGなんですよー今は」とか言われそうだけど。