「窓をあければ君がいる」
小学校5年だったか6年だったか(記憶がちょっとあいまいなのは4年生から6年生まで持ちあがりで同じクラスだったから)の国語の授業中。担任の西平久美子先生が「窓という漢字はウ~ハムココロと覚えると簡単です」と言ったことに生徒の一人(ムードメーカーの堤くんだったはず)が「ウ~ハムココロって何ですか?」と質問というよりもツッコミを入れました。すると「おいしいハムを食べるときにウ~となる心よ!」とすかさずこたえた先生。まるで理路整然と言い放った強い口調だったので、この話はそこで終了。え!?何かフシギな説明だったけどどういう意味?とモヤモヤしたまま時は流れて48年過ぎたいまでも窓を見ると「ウ~ハムココロ」のあの日の教室が甦ります。
僕のいま住んでいる部屋には南側と西側に窓がありますが、南側は本棚で潰しているため光が入って来るのは西側だけ。その西側の窓からは狭い道を挟んだお向かいのマンションの東向きの窓とその横を東西に走る車道と歩道がいずれも近距離でしっかり見えます。
毎朝、目が覚めるとまず何はともかくこの窓を開けるのがその日開始のルーティンワーク。夜中に籠った部屋の空気を入れ替えながら、最大の楽しみは前の部屋の窓のそばで横たわる彼女(彼?)の姿を眺めることです(※写真①)。彼女の名前はその毛並から勝手にシロとつけたのですがどうも犬みたいでしっくりこなかったのでロッシーと改名。あれ?結局犬みたいな名前だなぁ。窓辺に佇む彼女に気が付いたのは5年前。毎朝、「おはよう!」と一方的に声をかけ続けているとどことなく向こうもこちらに「おはにゃ~」と挨拶を返したと思えるときもあります。ときどき窓が開けっ放してあって、そのときはロッシーが逃げたり下に落ちたりしないかハラハラしますが彼女は窓辺の定位置から微動だにせずの姿勢を崩しません。淡谷のり子の「別れのブルース」の冒頭「窓を開ければ港が見える~♫」のメロディに乗せて「窓を開ければ彼女が見える~♫」と鼻歌まじりに窓をオープンして始まるお恥ずかしい日々。ただし彼女に会えるのは午前中だけ。お昼を過ぎると彼女の窓には日が当たらなくなるので、そそくさといなくなります。午後は逆側の窓辺で誰かに見つめられているのかもしれません。
以前、同じこの窓から見た怪しい光景(※とりとめないわ62)について書きましたが、窓の外には物語があります。世界の映画史上で最も有名な窓はヒッチコック監督の「裏窓」でしょう。つい最近も田村正和主演の「古畑任三郎」の中の真田広之が犯人の回を見返していると途中で「ヒッチコックの裏窓という映画があったじゃないか・・」という台詞が出てきてワクワクしました。先日、その窓の左端のほうで何やらチラチラ動くのが見えました。気になって開けてみると「ヨーイ、スタート・・・はいカット~、もう1回やろう」という僕の本業でよく聞きなれたフレーズが耳に入りました。どうやら何かの撮影をしているようです。仲間がいるかもしれません。窓を開けて覗き込むとCMではなさそうです(※写真②)。そういうのって、空気というか一発でわかります。戦隊モノかな?もしかしてライダーかな?そうなると俄然興味がわいてしまい気が付くとマスクをつけて外に飛び出し野次馬の一人になっていました。仮面ライダーセイバーの撮影でした。「スミマセーン、スマホで撮るのはおやめくださーい!!」と若い制作のアシスタントさんから怒鳴られて、イカンイカンと我に返り家に引き上げました。いつもと逆の立場になって思い知ることもあります。そのときにこっそり撮った写真をほんとはアップしたいけどグッと我慢。自分だけで楽しみます。
2021年6月19日5時起床。確かニュースで梅雨に入ったと言っていたけれどそんなに蒸し暑くないなと思いながらいつも通りに窓を開けて目を疑いました。ロッシーがいません!いやいやもちろん窓際にいないことはよくあることなのですが事態がまるで違います。ロッシーまるごとロッシー根こそぎ全部ありません。厚手のカーテンもレースのカーテンも全てなくもぬけの殻(※写真③)。ベランダに置いてあった観葉植物もすっかり片付けられています。そうです。引っ越したのです。それならそうとせめてひと声「さよにゃらん」とでも言ってくれればお餞別にチャオチュールくらいおくったのに水くさいです。あ~~、これから毎朝、僕はいったい何を目的に窓を開けるのでしょうか。僕のロッシーは今どこに。ロッシー、カムバッ~ク!!
ところで、あの頃の西平先生はミニスカートがとても似合うチャーミングな人だったなぁ(今おいくつだろう?元気かな)という話はまたの機会に。