空気と水

Vol.175
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

なんかね、ずっとそうなのかもしれませんが

最近特に思うんですけどね。

この「空気」に圧迫されて、何の決まり事もないのに

みんなで、ただなり行きで物事が決まっていくこの国は

いつこんな感じじゃなくなるんだろうな?と思うんです。

 

オリンピックのことも、コロナの飲食店の営業のことも、原発のことも

何も決まり事がないところでなんとなく決まっていくんだけど

どうしても腑に落ちないことが多い。でしょ?なんでそうなるかなあ?って。

科学的な根拠も少なく、それについての説明もないし、説明を求めることもできず、

求めても都合が悪ければ無視されるでしょ?

 

どこの国にもそんな空気みたいなのはあって、国として統制を取るためには

ある程度少数意見を切り捨てないと話が進まないのは同じだと思うんです。

もっと抑圧的な国もあるって事件が最近起きていましたけどね。香港で。

 

だけど、圧倒的に自分の身の回りにある空気と、よその国の空気には違いがあって

それは、「そもそも決まり事としてある考え」というか「何を優先するか?」

という感じの「掟」みたいなものがハッキリないまま進む。ということです。

 

それがなんなのか?主義なのか、法律か、価値観のようなものか、宗教観のようなものか

分からないけれど、何を優先させるのか?それは何故か?という基準がないんですね。

長い間そんな感じだから権力者も嘘つき放題でしょ?

 

だから、なんか根拠もなく、意思決定機関の人間のパワーゲームの中で

自分たちだけ調整を重ねた、行き当たりばったりの施策の空気の圧力に押されて

個人的な利害の追求だとしか思えない。

 

お上が言ってるんだから。泣く子と地頭には敵わないよ。と

国民も従来の日本人らしいメンタリティを勝手に働かせて、反対勢力も力がなく

なんかひどい目に毎度あうけど、なんとなく収まって学習はしない。

みたいな事がずっと続いているような気がするんです。俺たちは馬鹿なのか?と。

 

その根拠のない空気圧がめちゃくちゃ強い国だよなあと思う訳です。

太平洋戦争のころはもっと酷かったんでしょうけどね。

 

 

空気があるところには水がなければいけません。

 

僕がやっているCM プロデューサーという職業はまさに「水」を持って

仕事に挑みます。

CMを一本作るときに、企画しているとき、演出家に頼んだとき

クリエイターと言われる人たちは全力でそのCMの理屈と表現を

クオリティの高いものに仕上げようとするものです。それが仕事だから。

 

その時の現場の空気はよく暖まっています。

 

ただ、物事には限度があります。暖まりすぎた空気は山火事を起こすので

程よいところで水を撒いて冷やさなければいけません。

その水が「根拠のある現実」です。

プロデューサーは、山火事になると大惨事なので、そうなる前のいいタイミングを

見計らって水を撒かなければいけません。

 

「盛り上がって素晴らしいアイディアが出ているところ、大変申し訳ないんですけど

 そのお金はどこから出てくるんですか?その作業する時間はありますか?」

と言わなければいけないのです。

 

この行為を「水を差す」と一般的には言われます。

 

プロデューサーも好きで水を差しているわけではありません。

願わくばクリエイターたちと、どんどんエスカレートしていくアイディアに

乗っかって、イケイケゴーゴーと行ってみたいという欲望があります。

 

たまに気の弱いプロデューサーや駆け出しのプロデューサーなどが

その熱い空気に押され負けして「やりましょう」なんて言っちゃって、大赤字になり

仕事しないで家で寝ていた方がよっぽど儲かった。という結果になる事があります。

 

それは仕事じゃありません。趣味の世界に入っていきます。

使う金が発注主のや会社の金だから趣味にもできないか。

 

「水を差す」人は嫌われます。

シラけるからやめて。と言われ、守銭奴のような目で見られます。

プロデューサーという人種を嫌いな人は沢山います。

利益のことばかり考えて役に立たない。と。

 

だから水を差すのはものすごく難しい行為です。

言い方もタイミングもめちゃくちゃ準備して発動します。

冷静なサディストとなって心を鬼にしないとできません。

また、何のために水を差すのか?を見失うと何もできなくなってしまいます。

当然水を差す必要のないときには水は刺さない。という判断をします。

 

この場合、商売なので、他人様に自分でお金を払ってまでいいCMを作って差し上げる

ことはできないということです。簿記でも習って来いや。ってことです。

何がいくらなのか、各項目に相場を元に厳格に値段を割り出す作業や交渉も必要です。

差す水にはエビデンスが必要だからです。

 

また、水を差した後に、ちゃんと皆さんが納得するような代替案や新技術の紹介なども

必要です。折り合いをつけて終わらせないと、そもそも話の腰を折るだけで

何も解決しないでしょうし、ただのケチだと思われて次の仕事がもらえません。

 

そうやって日々生きていると、このお国に必要なのはその「水を差す」係に

権限を与えることなんじゃないかと思うのです。

 

つまり、クリエイターと元メダリストとタレントと政治家はいっぱいいるのに

プロデューサーが不在なのが問題なんじゃないか?と。

 

オリンピックにしても、当初、「お金のかからないオリンピック」と言ってたのを

覚えている人はたくさんいると思います。

国立競技場の建て替えも予算云々で建築家が変わったり色々していましたが

結局、オリンピック予算は増えに増えていることでしょう。

 

限られた予算と不十分な準備期間でCMを一生懸命作っていると、

規模は相当違うけど、オリンピックの一連の話は羨ましいほどのザル。

これでいいなら儲かるだろうなあ。業者は。と思います。

 

最初に決めた予算の中で、やることとやらないことを精査し予算に収めるのが

が当たり前の商売でしょうけど、国家プロジェクトに「水を差すんじゃねえぞ」

という空気がすごかったんでしょうね。オリンピックだぞ!と。

利権争いも凄かったんでしょうし。

 

ビジネス書を読んでいるとよく書いてあること

「無能なリーダーの下では、部下が共有するのは無力感である」みたいな話。

結構笑えなくなってきました。

 

この国は、もう長いことその無力感を味わいすぎて、国民の無力感に疑問がなくなって

きているんじゃないか?と。

その国民の無力感をいいことに地頭たちが都合の良いことばっかりして

バレたら記憶を無くす。文句言われたら無視する。といういつものパターンではあります。

 

国の事業は特に、プロデューサー不在の世の中に、プロデューサーチームを作って事業の大枠を

固めてチェック機能を働かせないと本当に誰かが適当なことをして、乗っかって儲けを掠め取る

輩が野放しになる。そこには深い闇があって人が死んだりする恐ろしさもあるんですけどね。

 

その何かを掠め取る側が発する空気は圧力と温度が高いんです。火事寸前。

 

これを、おかしいと水を差す人の出現をみんなが願っています。多分。

 

コロナの騒動とそれに伴うオリンピックの延期、開催するかどうか?の騒動で

この空気の存在が相当ダメなものだという事がハッキリしました。

 

冗談じゃなく自分は死んでしまうかもしれないという恐怖を突きつけられて

最近の日本人としては初めて自分と向き合わなければならなくなりましたね。

俺ってどうなっていくんだろう?と。個人的な危機と社会の危機が同時に起きたからですね。

そこには根拠がなく段取りが悪い変な空気が蔓延していた。

 

無くせばいいのにな。この空気。嫌な匂いがするなあ。と思ったはずです。

江戸時代の時代劇のバカ殿と悪代官と悪徳商人が牛耳っている世界。みたいなことが

現実に長い時間続いているから、こういう空気になっちゃったんでしょう。

 

ずっと言われてきてるけど、ガソリンで走る車と同じタイミングでこの空気を

無くすようなことを意識してやらないと、どうもこうも子供達に未来はないような

気がしています。

 

 

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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