「特別な夏パート2」
定番の質問の一つに「タイムマシンがあったらいつの時代に行きたいですか?」というのがあります。ネットで調べると、有るわ有るわテレビや雑誌の企画などで毎年のように頻繁に行われています。なのでその回答も見慣れているかと思うのですが、去年の夏にラインリサーチが行った調査では1位がなんと昭和でした。え!昭和?そして2位は平成です。この手のものでは必ず人気のある幕末や安土桃山は影を潜め、マンモスや恐竜の時代と答えた人は超少数。そして未来もまた人気がありません。
調べた時期のせいもあるのでしょう。去年の夏。あの頃、某知事は盛んに「この夏は『特別な夏』」と言われていました。あれから一年。今年は「この夏を最後のステイホームに」がキャッチフレーズのようです。コピー的には去年の方がまだ上出来。というか、今年のものはもし若手が書いてきたら一言「ボツだね」で終わりです。何年か後にこの夏はどんな風に思い出されるのか、考え始めたら少し恐くなりました。
タイムマシンの話に戻ります。世界で最も有名なタイムマシンはおそらく映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンでしょう。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が作られたのは1985年。公開とともに大ヒットとなり、その後1989年にパート2、1990年にパート3が制作されました。主人公のマーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)は過去や未来を飛び回ります。
この映画の後、日本でも多くのタイムマシンをネタにした映画や演劇やお笑いが作られていますが元ネタ以上のものにはなかなか出会えません。しかし日本にはそれよりはるか以前にデロリアンどころではないタイムマシンが発明されています。その名はもちろんご存知、どこでもドア。漫画「ドラえもん」が最初に発表されたのは1969年。それから4年後の1973年にどこでもドアは登場します。さらに1979年からアニメ化され、1980年の1月1日放送のタイトルは「タイムマシンでお正月」でこの回にはよりタイムマシン感の強い「タイムパトロール」のお目見えです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」公開の5年も前の話です。
ではこのドラえもんが最初のタイムマシンかといえば違います。ドラえもんよりも82年前の1887年にスペインの作家エンリケ・ガスパール・イ・リンバウの「時間遡行者」という作品で発案されたのが最初だと言われ、その後1895年イギリスの作家ハーバート・ジョージ・ウェルズが出した「タイム・マシン」で広まったようです。そういえば筒井康隆のSF小説「時をかける少女」が学研の「中三コース」で連載されたのが1965年なのでこれもドラえもんよりもだいぶ前のことですね。
僕が子どもだった20世紀の後半は未来に向かうことは楽しみでした。冒頭の質問では未来は人気の的でした。唯一ノストラダムスがそれを阻もうとしていましたが、あっけなく21世紀は訪れました。あの頃もしタイムマシンが完成して、それこそ去年の夏や今年の夏の日本にやってきたら驚いただろうなぁ。高層ビルや交通網やインターネットなんかにも多少戸惑うかもですが、そんなことよりこの暑さのなか、道行く人が全員マスクをしている姿には面食らうはず。何が起こったと思うのでしょうか。一瞬話がスリップしますが今から10年前、下北沢の北沢タウンホールで開かれた「三遊亭白鳥・桃月庵白酒Wホワイト落語会」の企画で白いマスク着用のお客さんは500円のキャッシュバックだったため会場みんな白マスクで一緒に記念撮影をしたことを思い出しました。あの幻のような出来事は何だったのだろう、妙に懐かしいです。
2021年晩夏。クマゼミやヒグラシの鳴き声がずいぶんか細くなってきました。不要不急かどうかはわかりませんが、一日一度は散歩に出ます。事件が会議室で起こらないように、部屋にいるだけでは気持ちの変化も乏しくなります。外は相変わらずすれ違う人は皆マスク姿ですし、子ども連れのお母さんは気のせいか僕から子どもを遠ざけようとしたりもしますが、それでもほんの少しの時間でも外に出ると気分が晴れることがあります。
行きつけのコンビニで夕飯を買って家に戻る道。前方に見えた光景(※写真1)にグッと魅かれて小走りで近付いてしまいました(※写真2)。涙が出そう。どこかが弱っているのかもしれません。ギュッと抱きしめたい時間でした。
ところで、タイムマシンを題材にしたものの中では、さらば青春の光のコント「タイムマシーン」が最高!という話はまたの機会に。
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