ハイレベルな、漫才的ボケ
- 番長プロデューサーの世直しコラムVol.30
- 番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
漫才には、ボケとツッコミという役割分担がありますね。
ボケ役のやっていることを要約すると、「ある話題において、わざと、明らかな、しかも観ている側が共感できるようなレベルでの間違いや勘違いを言葉にして、笑いをさそう流れをつくる」。それに対してツッコミ役は、ボケ役の間違いを素早く指摘して笑いを生む。
一流の漫才コンビ、「やすしきよし(横山やすし・西川きよし)」の横山やすしは「一見、ツッコまれまくりながら話題をリードするボケ」という高度な手法を確立し(ダウンタウンの松本人志が手本にした)、ものすごいレベルの笑いを生んだそうです。有名なのは、「怒るで、しかし」ってフレーズですね。
ボケ役のタイミングや口調、内容のレベルが高ければ高いほど面白い話になっていくし、観る人の笑いの感情を増幅、加速させることができる。僕は、それは、「したたかなトボケ」だと思うんです。ボケの語源は、トボケ。 この、「トボケる」という行為が実に高度なコミュニケーション技術なのでは? と思っています、最近。
僕は、元来ツッコミ体質です。他人のいろんなアラが気になり、ツッコむ。言いにくいことも、それが正義だと思ったら平気で言葉にしちゃう。 そんなことを仕事で20年近くやっているものだから、いろんな軋轢を生んできました。傷つけたし、恥をかかせたし、恨まれもしたと思います。 ただ僕の場合、他人にだけではなく、自分にもツッコむ。俺はこれでいいのか? 他にやり方はないか? 何やってるんだ俺? それで寝られないことさえある。
もちろん、アラが見えれば、部下を怒鳴ります。会社で部を持って、部下といわれる人間が数人いるようになってからも、多くの部下の欠点を端的に指摘して、それじゃ駄目だと言いつづけてきました。 そして最近、このツッコミ体質が自分の領域を狭めているんじゃないかと思い始めています。
自分ならこうする。自分はこうやってきた。何でお前にはそんなことができないの? 馬鹿じゃないの? いらいらするなあ、さっさとやれよ。簡単じゃねえか。よく考えたらわかるだろう。思慮が浅えよ。俺は一生懸命やっているのに、なんでお前は一生懸命やらないんだ! 軍隊みたいにやってきました。だって、僕、運動部で怒鳴られながら育ったんだもん。そこで、人格が形成されちゃったんだもん。
ただ、実際には、自分がそう思いこんで自分で自分を追い詰めてきただけかもしれない。自分自身をしかりつけながら育ったのは本当ですが、誰かが僕にそうしなさいと言った訳でもない。 遠い田舎から出てきて、東京でCMをつくる仕事に就いた。失敗すると人格を否定されるんじゃないかとビビリながら、克己しないと生きられないと、犬のようにただ吠えていただけなのかもしれない。
自分が勝手にそうやって空回っているにもかかわらず、周りにもそれを要求した。ちゃんとやらない人がいると、上司だろうと部下だろうとツッコミを入れまくった。 他人の行動を見て外から非難するのは簡単です。自分がやったからお前もやれよという論理は、かなり身勝手でした。今、そんな風に思い返しています。
僕の上司だった人たちは、そこがわかっていたんだと思います。「若いね、君」と、何度か、言葉や態度で示されたことを覚えています。 狂犬のような僕をうまくコントロールした人たちがいて、僕の攻撃に腹を立てたりせず、さらっとかわし、僕をのせるようにうまいこと扱ってくれた。深く、感謝します。
そして、気づきました。その上司たちは、うまいこと「ボケ」てくれていたんです。
「ボケる」は、「ツッコむ」より難しいです。 ボケ役は全体が見えていないとボケられないです。話の流れの終着点をわかっていて、そこへ導くべく、わざとトボケたことを言って、ツッコミ役の人間に勢いよくツッコませる。それをまたうまいことかわして、さらにボケる。話を右に左に振りながら進めていくうちに、話の本質を顕在化させていく。気づきを与える。直接的に答えを示すのではなく、相手にも周りにも考えさせ、気づかせる技術。それが「ボケ」なんじゃないか?
これは、そうとう人生に余裕がないと不可能な技だぞ。
青くて、金も力もコネもない奴には「ボケ」はできないです。自分を良く見せたい、早く何者かになりたいとギラギラしている奴は、一生懸命ツッコもうとするものです。もちろん、そういう奴は、ツッコまれると怒る(笑)
たまに「この人、達人だなあ」と思える人に出会えることがありますが、大体そういう人はものすごく話が面白く、しかも「ボケ」のレベルがかなり高い。軽くボケて、僕なんかにもツッコむ余地をくれたりしながらこちらの真意を計っていたりする。 僕は、そういう人たちの高度なトボケに守られて育ててもらったんだ。自分で勝手に育った訳じゃないんだ。
で、今の自分のやり方に限界があるんじゃないか? という疑問が顕在化しました。
これまでの僕は、ダースベーダー的なやり方でした。恐怖で組織を統率する。言うこときかないと、恐ろしい目にあわすぞー。 そんなの、早いうちに限界がくるんですよと、「スターウォーズ」がメッセージしてくれているじゃありませんか。まだ気づかないんですか? と最近、もうひとりの自分が問いかけてきます。br / ダースベーダーも「怒るで、しかし」と、たまにボケる余裕があったら、帝国軍ももう少し強かったんじゃなかろうか。そう思えてきました。
上司は上司らしく、血気盛んな若者のツッコミに対して高度なボケで答えるべきだと思います。ツッコんだ奴や周りで聞いている人たちが、くすっと笑って、なるほどなあと納得しちゃうようなボケ。人はそうやって育てるべきだ。そういうことができる大人になるべきだ。なりたいなあ。
だから、若者のつっぱらかったツッコミにも大いに期待するんですけどね。うまいことトボケてやるから、来るなら来い。どんどん来いと。
攻撃的ボケ、リードするボケのできる大人。これが最近の憧れですね。 それで人が育つと、最高なんですけどね。
Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。