「仕事」

番長プロデューサーの世直しコラムVol.27
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

仕事って、いったいなんなんでしょうね。

大人と子供の違いは、経済的に誰にも依存することなく生活をつづけられるか否かにあると思うのです。自分の持っている知識や経験や技術やアイディアを、他人が金を出して買ってくれる。買ってもらったお金で日々、生活をつづけるのが大人。

買ってもらえる技を使う場所が、「仕事」ということになります。

他人がお金を払って技を買ってくれるわけですが、そのチャンスは均等に巡ってくるわけではありません。いろんなアイディアをつかってもらえるお金を安定させなければいけないし、自分を買ってくれる金額がどんどん大きくなることも目指すべきです。

「偉くなる」といいますが、「偉くなる」はふんぞり返って自分では仕事をしないという意味なんかではない。僕は、「自分の価値を上げた状態」だと思っています。上げた状態を維持しなければならないので考えることも多いし、偉いという状態はその分責任も重い。要は「偉い」は、大変なのであります。 「偉い」ほうがお金をもらえるが、仕事で自分の価値を上げて「大変」になっていかないとそれは叶わない。これは、比較的簡単な論理ですね。

一方、若い頃はそうでもないけど、歳をとるにしたがって、いろんなことに金がかかるようになる。世の中はそういう仕組みになっています。 彼女や彼氏ができれば、金がかかる。車も欲しくなる。結婚するにも金がかかる。Gパンじゃなくてスーツにネクタイをしなきゃいけなくなる。子供ができれば人一人分のお金がかかる。部屋の数も必要になり、賃貸やめて3LDKのマンションでも買おうかということにもなる。病気になれば医療費はかかるし、保険には入らなきゃ心配だ。いろんな税金は問答無用で徴収される。 とにかく、社会の仕組みは払わなければいけないお金が増えていくようにできていて、つまりは、社会人になって惨めな気持ちで生活をしたくなかったら、「偉くなる」ことを目指さなければいけない。少なくとも僕は、そう思うのです。

「今の若い人たちには、その想像がついているのだろうか?」というのが、僕がいだく、最大の疑問だったりするのです。

最近、個人的な理由で、不動産会社や内装業者、インターネット関連のコールセンターの人、引っ越し業者、いろんな若者たちと関係持つのだけど、なんとなく、彼らの振るまいがゆるく感じられて、うまくいかないことが多い。どうしても、「偉くなりたくない」と言っているだけような態度にしか見えない。仕事のできない奴が確実に増えていると感じてしまう。

僕の「感じ」を説明すると、こうだ。 若いくせに、属する組織の中で「失敗をしない」を優先するあまり、大切なことはなんなのかを見失っている。本質的なことを見ようとせず、人からどう見られているかばかりを気にして、頭の中は保身のことばかり。だから平気で嘘もつくし失敗を隠蔽しようともする。矢面に立ちたくなくて、今直面している問題に立ち向かおうとせず、決断もしない。失敗をしても上司にありのままを報告せず、自分の都合の良いように解釈して報告し、その間に時間が経って問題が大きくなっていく。 といって怒鳴りつけると、フリーズして思考回路が停止する。下を向き、黙ってしまい、最後には泣く。親と、客や上司の区別すらついていない。

現に、僕は、マンションの販売を依頼した不動産会社の若い営業マンのいいかげんな契約のおかげで百万単位の金を失うことになってしまった。いいかげんな販売方法のおかげで、なかなか売れず、そのうち景気が悪くなり、査定したときよりマンションの値段を数百万円下げて販売せざるを得なくなってしまった。新しく買ったマンションの内装工事は、内装業者の若い営業マンのいい加減な仕切りのおかげで工期が大幅に遅れて、数週間入居できずウィークリーマンションに暮らすハメになった。登場した上司もすっとぼけていてろくに事実確認もしないままやってきて、交通事故のように自分から謝ろうとはしない。「じゃあ誰が悪いんですかこの件は?」と聞いたら、「世の中が悪いんですよ」と言ってのけた奴もいる。 ついでに言うと、損害に対する保障などは、ほぼ何もない。文句を言いまくって謝られまくった挙げ句、こっちが泣き寝入りというあいまいな決着にされてしまうことだらけである。誰も責任をとろうとしない。というか自分の失敗に対して、失敗は認めても、単純に金を払いたがらない。

以前にも書いたけれど、現代社会は、ホスピタリティーという言葉がもてはやされて上質なビジネスコミュニケーションが求められている反面、レベルの低いビジネスしかできない人間を大量に生み出してもいると思うのです。そこの格差が、日増しに広がっているように思えてならない。

仕事ってなんなんでしょう? お金をもらって何かをする。プロフェッショナル。 だったら、まず、やっている仕事に関することが大好きな人であるべきだ。大好きなことは意地になってやれるし、顧客に損をさせたりもしない。 不幸にして不本意ながらその職業についたのであっても、むりやりその仕事を好きになるべきでしょう。努力をするか、辞めて好きになれる他のことを探すかのどちらかである。 「やりたくねえなあ」と思いながら、他に行く所もないからとぶら下がって適当な仕事をしていると他人に迷惑がかかるんですよ。

僕もアラフォーと呼ばれる境遇だからですかねえ、使えないガキが増えてむかっ腹が立つのが正真正銘の本音。もうみなさんわかってらっしゃると思うけど(笑)、怒ると辞めちゃうからといって「褒めて伸ばそう」という風潮に与(くみ)するつもりもない。

もちろん、上司にだってがんばる必要はありますよ。まずやらなきゃいけないのは、上司自身がその仕事が大好きで、仕事をやっていることで良いことや楽しいことがあると見せる。そして、何が正義かはっきりさせなければならない。それをやった上で部下に対する態度は毅然としていて、メリハリをつける。つまり厳しくする所と抜く所をはっきりさせるべきである。そして部下の失敗の責任はとる。 「仕事は会社のためにするものではなく、自分のためにするものだ。自分の価値を上げる努力をしろ。私は、会社は、それを正当に評価する」と部下に伝えるべきである。 本当は、親が、子供が社会人になるときに、床の間を背に正座でもさせて教えなきゃいけないことだとも思うんですけどね。

働かなくても生きていける裕福な人を除いて、「仕事」イコール「生きていく」なんだとみんなが理解すべきなのではないでしょうか。

生きていくのに大切なことは、自分の将来を真面目に考える想像力と、自分のいる世の中で何か良いことをさがす好奇心だと思うのです。

世間一般の「仕事」のレベルは、日本の経済と一緒でゆるやかに下降していると思います。 お金をもらってやっていることは失敗しないようにしなければいけないし、普通のことと一緒に考えてはいけないのであります。 プロは顧客の要求になんらかの結果を出して、納得させてこそプロ。 そんな簡単なことがわからない世の中になってしまっては、何を信じて良いのやらわからなくなってくるのであります。愚痴ですけど。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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