「どうしてこんなに現実は退屈なんだろう。そして、現実はつまらないか、哀しいか、だけだった。」

Vol.44
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

これからのボクの映画作りは、小説家の書く物語、お伽話とは決別して、現代や過去の出来事、事件、人、モノ、コトを自分なりの思想でどう切り取って自分なりに再考再現してみせるかだとは思ったものの、よくよく思い巡らせてみると、その過去の出来事や事件のほとんどは、映画館で見た洋画や邦画で、それらがボクの身辺に起こった出来事そのもので、出くわした事件、人、だったのだ。寝ても覚めても、映画館の闇と光の中にいることがボクの日常だったというわけだ。
人と会って笑ったり涙ぐんだりするより、スクリーンの中の奴らのやらかしてしまうことや遭遇することに、自分も共に遭遇し、それを記憶し、その虚構の日々と時代を自分も共にやり過ごしてきたのだ。映画の中がどれだけ他人の幻覚だろうと、ボクにはしっかりその2時間が現実であり、実体験だった。
だから、映画館を出る度、ここまでどうしようもない他人の出来損ないの人生に、ここまで真摯につき合ってあげられる人間なんか滅多にいないぞと自分でも感心するほどだった。そして、どうしてこんなに映画が好きなんだと改めて思い、観てきたばかりのその小粋な表情や絶妙な言い草を反芻して、我に返ると、どうしてこんなに世間の現実は退屈なんだろと、一人吹き出し笑いするのだった。現実はつまらないか、哀しいか、だけだった。
映画の中の、長閑さと過酷さと焦燥と哀愁と愉快爽快だけがボクの現実であり、日々の退屈な時間を奪い取ってくれた作品は数知れない。

『セント・エルモス・ファイアー』(86年)は、アメリカの売り出し中の若手俳優たちが自然体で等身大の役を演じた、まさしく青春群像劇。大学を卒業したばかりの仲のいい友人たちがそれぞれに人生を探す話だ。セントエルモスのかがり火とは、航海中の船乗りが見る光のことらしく、彼ら彼女らの人生相談にボクものってやる気分でつき合った。高校の仲間でピンク映画を夢中になって作った頃のことが甦って切なかったが、しみじみするニューシネマだった。

『ホテル・ニューハンプシャー』(86年)は原作がジョン・アーヴィングの小説で、まさしくシニカルなお伽話で、田舎でホテル経営を夢見る父親とその家族が幸福と悲惨の繰り返しを見せてくれて愉しかった。ジョディ・フォスター扮する一家の長女が、高校でフットボール部の奴らに輪姦されるものの、「絶望こそ、力、よ」とケロリと話すその気丈さと逞しさに人生を教えられた。自分のノートにも「絶望こそ、力だ」とメモして、いつか自分の映画でセリフに使おうと思っていたが、いまだに使わずじまいだ。こんな良い台詞は安く使うもんじゃないか。監督が鬼才トニー・リチャードソンだったから見たのかな。英国ニューウェーブの旗手で代表作の『長距離ランナーの孤独』(64年)や『蜜の味』(63年)も忘れられない。あのモノクロームの圧倒的リアリズムこそ、まさに映画の中の見事な現実だろう。彼がプロデュースしたカレル・ライス監督の『土曜の夜と日曜の朝』(61年)も男女のもつれあいの逸品だった。こんなものはボクには到底、撮れそうになかったが。
トニー・リチャードソンには色々教えられた。キャメラで撮っていることを観客が忘れさせてしまうのが映画だということを。そんなキャメラのアングルやレンズを選んで決めることが撮影現場だということを。
題名からして退屈そうな『極道の妻たち』(86年)は岩下志麻さんの色っぽさは大好きだが、どうも外連味だけの劇画のようで体験する気はなかった。

80年代後半のアメリカ映画たちはニューシネマ時代の終わりを告げるようで、最後の我楽多市のようだった。中でも、『800万の死にざま』(86年)は、そのタイトルだけで映画館に引っぱり込まれた犯罪捜査サスペンスだ。監督は『夜の大捜査線』(67年)の名編集マンでもあり、『さらば冬のかもめ』(76年)という小気味いい軍隊モノも撮った作家、ハル・アシュビーだ。主演はジェフ・ブリッジス、寝起きみたいな顔で、案の定、アル中の元刑事でグタグタの日々からやっと立ち直った男を演じていた。敵と最後の丁々発止に息をのんだ。彼は西部開拓時代の気弱でぶざまな悪党が似合った『夕陽の群盗』(73年)というニューシネマも忘れがたいが。
映画は毎週、何か見て、どこかの誌面に書いていた。その作家の思想と画面のセンスを探るためだった。思想が似ていると嬉しくなって、映画をあてに酒を飲んだ。
87年、年が明けて、クローネンバーグ監督の噂の『ザ・フライ』(87年)も観た。ハエ男のホラー感はどうも気が合わなかった。ホラーは今も撮り方を知らない。

(続く)

 

≪登場した映画一覧≫

・『セント・エルモス・ファイアー』(86年)

監督:ジョエル・シュマッカー 
脚本:ジョエル・シュマッカー、カール・カーランダー
出演:エミリオ・エステベス 他

 

・『長距離ランナーの孤独』(64年)

監督:トニー・リチャードソン 
脚色:アラン・シリトー
出演:トム・コートネイ 他

 

・『蜜の味』(63年)

監督:トニー・リチャードソン
脚色:トニー・リチャードソン、シェラ・デラニー
主演:ドラ・ブライアン

 

・『土曜の夜と日曜の朝』(61年)

監督:カレル・ライス
脚色:アラン・シリトー
出演:アルバート・フィニー 他

 

・『極道の妻たち』(86年)

監督:五社英雄
脚本:高田宏治
主演:岩下志麻

 

・『800万の死にざま』(86年)

監督:ハル・アシュビー
製作:スティーブ・ロス
出演:ロザンナ・アークエット

 

・『夜の大捜査線』(67年)

監督:ノーマン・ジュイソン
製作:ウォルター・ミリッシュ
主演:シドニー・ポワチエ、ロッド・スタイガー

 

・『さらば冬のかもめ』(76年)

監督:ハル・アシュビー
製作:ジェラルド・エアーズ
出演:ジャック・ニコルソン

 

・『夕陽の群盗』(73年)

監督:ロバート・ベントン
脚本:デビッド・ニューマン、ロバート・ベントン
出演:ジェフ・ブリッジス 他

 

・『ザ・フライ』(87年)

監督:デビッド・クローネンバーグ
製作:スチュアート・コーンフェルド
出演:ジェフ・ゴールドブラム 他

 

 

出典:映画.comより引用

 

※()内は日本での映画公開年を記載しております。

 

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プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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