「映画が生涯の友どころか、近いうち、自分で撮る日も来るだろうと夢に見たのもその時だった。」

Vol.45
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

映画館を出る度に思ってしまう。どうしてここまでどうにもならない他人の出来損ないの人生に、真面目につき合えるものだと。そんなお人好しで暇な人間なんてそういるもんじゃないぞと。そして、どうしてここまで映画が好きになってしまったんだろうと、改めて思ってみたりする。
それは、ボクの、原体験から始まっていた。それも日本製の邦画じゃなくて、洋画、アメリカ製のものだ。それらを思い出す度にワクワクしてくる。

小学校6年生までは、駅の裏か商店街の外れにある映画館で見ていたのは主に邦画で、ゴジラとキングコングが戦う特撮モノや、父親につき合って見た東映の『陸軍残虐物語』(63年)などだった。キングコングがいる南洋の島の原住民たちが、当時のテレビ放映で見たアメリカ製の『キングコング』(33年)を真似たみたいな半裸で踊る場面には我慢できたが、原住民らに扮した日本人ダンサーたちが顔や全身に焦げ茶色のドーランを塗りたくって踊っていたのは許せなかった。子供映画に海外ロケなどあり得ない時代だが、それにしても、子供をバカにするなとボクは怒っていた。何にしろ、怪獣モノは子供客用だ。ゴジラを倒すために自衛隊ジェット機や戦車も現れたが、ちゃっちいミニチュア模型とすぐに分かり、日本の特撮はこんな程度かと田舎の小学生でも呆れてしまい、そんな子供騙しは子バカにはできてももうつき合う気はなかったのだ。ただ、その『陸軍残虐物語』(63年)の三國連太郎二等兵への西村晃軍曹のリンチ場面はリアルで恐ろしく、しばらく心が傷ついたのも確かだが。

というのは、ボクらは紛れもなくテレビ第一世代の申し子で、その頃に同時にあったアメリカ製テレビ映画シリーズを浴びるように家の14インチ白黒テレビで見て、大人のリアリズムの洗礼を受け、ハードボイルドタッチとドラマ性に目が肥えていたからに他ならない。西部劇じゃ若きC・イーストウッドも出ていた『ローハイド』。『ララミー牧場』もあった。戦争モノの『コンバット』や『ギャラント・メン』のシリーズを筆頭に、ロサンゼルスの探偵モノ『サンセット77』やハワイの事件モノ『ハワイアン・アイ』、エリオット・ネス捜査官がギャングと闘う『アンタッチャブル』や、ロード劇の『ルート66』や、ドタバタ喜劇『三ばか大将』や『ちびっこギャング』、そして、時々はフランス製の『狂った本能』。また『狂ったバカンス』という成人向け映画。『キングコング』や『ヒッチコック劇場』や、3年間も続いたシリーズの傑作『逃亡者』を、毎週毎日入れ替わり立ち替わりのテレビ番組で、まるでアメリカ人になったみたいに勘違いするほど見まくっていた。アメリカ文明に感化され、アメリカ文化に洗脳されて馴染んでしまっていたに違いない。
それが結局、映画を、特にアメリカ映画を見続けることになる理由だろう。

中学1年の終わりに初めて、巨大スクリーンのOSシネラマ劇場(大阪)で見た『バルジ大作戦』(66年)はとりわけ忘れられない。こんな戦場のリアリズムを見るのは、生まれて初めてだった。3時間以上もある物語なのに、退屈さは片時もなく、尻が座席で潰れてしまっているのも気づかず、上映途中の休憩時にしばらく立ち上がれなかった。映画に時を忘れたという記憶は、それから6年ぐらい後に観た『ゴッドファーザー』(72年)ぐらいだ。

『バトル・オブ・バルジ』(原題)は第二次世界大戦の時空に連れていかれた最初の作品だ。情報将校ヘンリー・フォンダが乗る米軍の偵察機が岩山の尾根ギリギリに降下する。その空中撮影のスリリングな大画面に釘付けにされ、潰れたままの尻を浮かせていたのは、15歳のボクだけではなかった。大人たちだってその湾曲した巨大スクリーン(もう一つは東京のテアトル劇場だったか。日本に2ケ所しかない、今のアイマックス・スクリーンのほぼ倍に広がったもの)に、尻どころか全身を浮かせていたのだ。

でも、劇場設備に感動させられたわけではない。フランスのアルデンヌの森を進撃するナチスドイツ機甲師団のタイガー戦車隊長に扮したロバート・ショーの、あの冷徹非情な表情に引きずられるまま、地獄の戦場を一緒にさ迷い歩かされたからだ。
ボクはこの映画で、悪も正義も偽善も勇気も英断も孤独も傲慢も不寛容も、何もかもを3時間で会得した様な気になって、少し疲れながら、映画館を出たのを覚えている。帰りの近鉄電車の中でボクはずっと悲壮で哀れな死を遂げたロバート・ショーの気分のままだった。その夜はなかなか寝つけなかった。
『007/ゴールドフィンガー』(65年)ぐらいしか字幕を追うのが精一杯だった13歳の少年が、そんな出会うはずもない軍人と3時間も戦場で共に過ごしたのは、何よりの人生勉強だった。アメリカのテレビ映画じゃ味わえそうにない劇場映画に、これからはちゃんと向き合い、その主人公や脇役たち、登場する人間すべての生きざまにつき合ってやろう、日々の中で、何か心がもの足りなくなった時はためらうことなく映画館へ走って、心を満たそうと決めた時だった。『バルジ大作戦』の何か月後、ポール・ニューマンという気障な感じの男優の探偵モノ『動く標的』(66年)なんぞを見て、父親の背広のポケットからピースの煙草を盗んで吸ってみたり、また、『ブルーマックス』(66年)という第一次大戦末期のドイツ空軍兵の恋の悲劇に感動して、妖艶なウルスラ・アンドレスの肢体を思い浮かべ、オナニーに耽ったのもこの頃だった。
映画が生涯の友どころか、近いうち、自分で撮る日も来るだろうと予感したのもその頃だ。映画ばかり見て生きることは快楽で、苦痛で、修行だったと、思ったのはつい最近のことだが。

(続く)

 

 

≪登場した作品一覧≫

『陸軍残虐物語』(63年)

監督:佐藤純彌
脚本:棚田吾郎
出演:三國連太郎 他

 

『バルジ大作戦』(66年)

監督:ケン・アナキン
脚色:フィリップ・ヨーダン、ミルトン・スパーリング、ジョン・メルソン
出演:ヘンリー・フォンダ 他

 

『キング・コング』(33年)

監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シューザック
脚本:ジェームズ・アシュモア・クリールマン、ルース・ローズ
出演:ロバート・アームストロング 他

 

『アンタッチャブル』(87年)

監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ケヴィン・コスナー、ショーン・コネリー、アンディ・ガルシア 他

 

『ちびっこギャング』

60年代に日本でも人気を博したアメリカのテレビシリーズをリメイクしたキッズコメディ。

監督:ペネロープ・スフィーリス
出演:トラビス・テッドフォード、メル・ブルックス

 

『狂ったバカンス』(63年)

監督:ルチアーノ・サルチェ
出演:カトリーヌ・スパーク

 

『ゴッドファーザー』(72年)

日本でも1972年に劇場公開。

監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:マーロン・ブランド、アル・パチーノ 他

 

『007/ゴールドフィンガー』(65年)

スパイアクション映画『007』シリーズの第3作。

監督:ガイ・ハミルトン
出演:ショーン・コネリー

 

『動く標的』(66年)

監督:ジャック・スマイト
出演:ポール・ニューマン、ローレン・バコール

 

『ブルー・マックス』(66年)

監督:ジョン・ギラーミン
脚本:ジェラルド・ハンリー 他
出演:ジョージ・ペパード、ジェームス・メイスン 他

 

『狂った本能』(65年)

監督、製作、脚本:エドモン・T・グレヴィル
原作、脚本:アンリ・クルーザ
脚本:Louis A. Pascal
出演:ロッサナ・ポデスタ 他

 

出典:映画.comより引用

『ローハイド』(海外ドラマ 59年~65年)

日本では、同時期の1959年から1965年まで、NET(現テレビ朝日)系で放送された。
また、2010年には日本で初DVD化された。

出演:クリント・イーストウッド 他

 

『ララミー牧場』(海外ドラマ 60年~63年)

日本では、1960年6月30日から1963年7月18日まで、毎週木曜日夜8時からNETテレビ(現テレビ朝日)系で放送された。

監督:ポール・ランドレス
出演:ロバート・フラー 他

 

『コンバット』(海外ドラマ 62年~67年)

日本に於いてはTBS系列で1962年11月7日から1967年9月27日まで、水曜20:00から放送され人気を博した。

監督:ボリス・セイガル 他
出演:ヴィク・モロー 他

 

『ギャラント・メン』(63年)

製作はワーナー・ブラザース・テレビジョン。

監督:チャールズ・R・ロンド 他
出演:ロバート・マックィニー ウィリアム・レイノルズ 他
脚本:ケン・ペッタス

 

『サンセット77』(海外ドラマ 60年~63年)

日本では1960年10月から1963年4月までKRT(現TBSテレビ)の日曜夜8時から放送。

出演:エフレム・ジンバリスト・Jr ロジャー・スミス 他

 

『ルート66』(海外ドラマ 62年)

日本では、1962年4月7日から同年10月27日までNHK総合テレビで放送され、その後フジテレビやテレビ東京でも再放送された。

監督:フィリップ・リーコック
出演:マーティン・ミルナー、ジョージ・マハリス

 

『ヒッチコック劇場』(海外ドラマ、第1期:57年)

アルフレッド・ヒッチコックが原作・プロデュースしたミステリードラマ番組。日本では、日本でもテレビ各局で繰り返し放送された。

監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:イングリッド・バーグマン、ケリー・グラント 他

 

『逃亡者』(海外ドラマ 64年~67年)

出演:デビッド・ジャンセン 他

 

『ハワイアン・アイ』(海外ドラマ 63年)

ハワイが合衆国の50番目の州となった1959年に<ワーナー探偵4部作>の第3作としてアメリカ・ABCでスタートし、日本では1963年にTBSで放映された。

監督:エドワード・デイン
出演:コニー・スティーヴンス、ロバート・コンラッド、アンソニー・アイズリー

 

『三ばか大将』(63年)

日本では1963年から日本テレビで放送され、スポンサー企業のイメージキャラクターとして使われるほどの人気を博していた。

 

 出典:Wikipediaより引用

※()内は日本での映画公開年を記載しております。

 

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プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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